第3話

翌日――


 父親は仕事に出かけたるめ、翔は母親と一緒にタクシーに乗って病院へ行くことになった。

 曜日感覚に、にぶくなっていた翔は昨日が日曜日だったのだと朝食の時に気付いた。

 珍しく母親が呼びに来たので一緒に階段を下りてリビングに入ると父親が居てテレビでニュースを見ながら朝食を食べていたのだ。

 そのニュースのなかで天気予報があり、そこで今日が月曜日だと知ったのである。

 ずいぶんと長い間、一人での食事が当たり前だった翔にとって両親と食事を共にすると言うのはすごく落ち着かない時間だった。

 食事を食べ終えると、予定通り翔は母親と病院に行くことになり。嫌な緊張感と共に美乃梨の病室を母親がノックする。

 看護師からは、昨日みたいな事にならないようにと厳重注意されていた。

 そして母親に背中を押される形で、翔が前に出て美乃梨の元へと向かう。


「おはよう、美乃梨。昨日は驚かしちゃってごめんね」


 作った笑みと用意しておいた言葉ではあるが堂々としていた。


「あれ? おにいちゃん?」


 昨日と同じく美乃梨の視線が翔の頭から足元までを行き来する。

 あの、お化けみたいなのは何だったのだろうと言うくらい様変わりした翔の姿はひいきめなしでカッコいいと思った。


「そうよ、お兄ちゃんよ。分かる美乃梨?」

「なんかちょっと見ない間にずいぶん変わっちゃたんだね」

「それだったら美乃梨だって同じだろ。すっごく可愛くなったよ」

「えっ! そ、そうかなぁ……えへへへ」

「美乃梨、子供のころした約束って覚えているかい?」


 おどおどした母親とは対照的に翔はどこまでも堂々としているように見えた。

 実際はただ開き直っているだけなのだが。

 どうせ、美乃梨の気分次第で自分は、あの部屋に引きこもることになるだろう。

 でもそれが嫌じゃなかったからこその態度だった。 


「えと、もしかして、それって……」


 ほんのりと頬を赤く染めた美乃梨が上目づかいで翔を見つめている。


「大きくなったら『おにいちゃんのおよめさんになりたい』って言ってただろ?」

「う、うん。でも、……」

「もしかして、他に好きな人が出来た?」

「いっ! いないもん、そんなひと!」

「じゃぁ、今でも有効なのかな?」

「もう! おにいちゃんのバカ! そーゆー事は、お母さん達が居ないとこで言ってよね!」

「でも、確認しておかなくちゃいけない大事な事だったからさ」

「うん……それは、わかってるけど……なんか私、記憶の一部が欠けちゃってるみたいで……」

「あははは。だったらなおさらしっかり確認しておかなくちゃいけなかったじゃないか」

「うん。そうだね。私は、おにいちゃんのお嫁さんになりたい」

「今すぐには、無理だけど、そのうちにな」

「えへへ。ちょっと照れるね」

「でも、いいよね、お母さん?」

「え、ええ、もしあなた達が本気で結婚したいって言うのなら止めないけれど……」


 あまりの急展開に母親は頭が付いていかず、そうこたえるのがやっとだった。


「よかったな美乃梨。お母さんは許してくれるってさ」

「う、うん。でも、やっぱり恥ずかしいよ~」


 美乃梨は顔を真っ赤にしながらもじもじとしていた。


「そ、それに! おにいちゃんこそ、他に好きな人とか出来てたりしないの?」


 いるわけがない、ずっと引きこもっていたのだから。 


「いないよ。ずっと美乃梨だけだよ」

「ほ、ほんとに? しーちゃんとかも?」

「しーちゃん?」

「あ、えと。同じクラスの。じゃなかった同じクラスだった詩乃ちゃん、なんだっけ……えと、ごめん。なんかそこらへんが良く思い出せないみたい」

「いいよ、ゆっくりで。きっとそのうちに思い出すから」 

「そうよ美乃梨。先生も言ってたでしょ。事故で記憶障害が起きてるかもしれないって」

「あ、うん。でもね。おにいちゃんをとられたくなくて、何かしたって事だけは、なんとなくだけど覚えてるの」


 翔も母親も察した。ある日突然豹変した態度は、おそらくそこらへんが原因なのだろうと。

 兄を取られないために家に閉じ込めたのだと――

 子供のしたことなんだから笑って許してやれって言われそうな気もするが翔が失った時間は大きかった。

 勉強だけはしているので、それなりに知識はあるが、交友関係がなければ得られなかったものもある。

 実際に、当時の友達とだって、ある日を境に一切の連絡を取れていない。

 翔に友達と呼べる者は誰一人として居なかった。

 それでも、翔は作った笑みを崩さない。


「別にいいじゃないか。ボクが美乃梨の事が好きで、美乃梨もボクのことが好き。お母さんだって認めてくれてる。それじゃ不満かい?」

「いいの…かな?」

「全部、美乃梨次第だよ」


 実際に、今までもこれからも変わらない事実。

 翔にとって自分で決められることは、あまりにも少ない。

 本当の母親に捨てられ、次に出来た家族には最初こそ歓迎されたが似たような扱いを受けてきた日々。

 これ以上、失うものなんてない気がしていた。


「じゃ、じゃあ、私! おにいちゃんの恋人になりたい!」

「うん。じゃあ今から僕たちは恋人同士だね」

「えへへ~。退院したらデートしようね、おにいちゃん!」

「うん。美乃梨の行きたいところに行こう」


 翔の意思なんてほとんどなかった。

 どう転んでも、美乃梨の思ったようにしか事は運ばないと思っていたのだから。

 

 



 お見舞いは1週間ほど続き、美乃梨の退院の日が決まった。

 父親は有給休暇を取り何年振りかの家族4人そろっての食事を食べた。

 美乃梨と翔が恋仲になったことを父親は最初こそ驚いていたが――やはり美乃梨中心の考え方は変わらず。

 むしろ結婚しても美乃梨と一緒に暮らせるならこれで良かったと言っていたくらいである。

 冷静なのは翔だけだった。

 しばらくは自宅療養となるが、そのうちに記憶が戻って自室にこもる日が近々くると思い疑ってすらいなかった。

 

 だから――


「ねぇ、おにいちゃん。一緒に寝ても良いかな?」


 パジャマを着た妹が枕を持ってやってきた時には少なからず動揺した。

 デートと言っても形だけ。4人で食事するのも形だけ。それ以外は想定していなかったからだ。


「あ、うん。いいよ」


 そう応えるしかなかった。

 全ては美乃梨が決める事で自由なんてないはずなのだから。


「やった! ありがとうおにいちゃん!」


 無邪気な笑みを浮かべる妹。

 作った笑みを浮かべる兄。

 久しぶりに妹が居る時間に風呂に入れたため翔もパジャマに着替えていた。

 通信教育の課題も一段落ついたところだし、少し早いが一緒にベッドに入ることにした。


「なんか、一緒に寝るとちょっとあっついんだね……」

「ちょっと待ってて、エアコンの温度下げるから」


 一年を通して常に快適を約束してくれるエアコンは、比較的新しい物。

 ずっと引きこもっているために使用頻度が高く。昨年お亡くなりになられたからだ。

 でも、そのかわりに快適な風を送り出してくれる。


「えへへ。でも嬉しいな。こうしておにいちゃんと一緒に寝るのが夢だったんだ」

「そう、だったんだ」


 翔の声色には少なからず動揺が見られた。

 この状況を両親が見たらなんと言うか? それも気になったが一番は、美乃梨を異性として意識してしまっているからだった。

 自分の知っている美乃梨とは全くの別人みたいで、だからこそ気になってしまう。

 ただ、隣で寝ているだけなのにドキドキしてしまっていた。


「ねぇ、おにいちゃん。おやすみのちゅーはないの?」

「えっ!」

「うそ、じょーだん。今度こそ、ほんとにおやすみ」


 そう言って美乃梨は目を閉じた。

 その一方で、翔の心臓は、ものすごい勢いでバクバクと高鳴っていた。





 朝起きると、隣で女の子が寝ていた。

 気持ちよさそうに無邪気な顔して寝息をたてている。

 昨晩特になにもなかったにもかかわらず、何かを成し遂げたかのような達成感に近いものを翔は感じていた。

 記憶をたどれば、ずっと昔。それこそ、美乃梨が幼稚園の頃なんかは一緒に寝たりお風呂に入ったりもしていた。

 それらとは明らかに違う何かを実感していた。

 正直、起こすのが少し怖いとすら思ってしまう。

 もしも、目が覚めて以前の美乃梨に戻ってしまっていたらと思うと、この寝顔を少しでも長く見ていたいと思ってしまう。

 両親からも、ある日突然記憶が戻ることもあると聞かされているだけに不安だった。


《コンコン》


「翔、朝ごはんの時間よ!」


 昨晩寝付くのが遅かった分、起きるのがいつもよりも少しばかり遅くなってしまっていたらしい。

 あわてて、「は~い」と返事をしたのはいいが「ん~なぁに、あさなの~?」美乃梨が起きてしまった。

 その声を聞いた母親は、慌ててドアを開ける。

 見てしまった、翔と、美乃梨が一緒に居るところを――


「こ、こ、これは、ど、どういう、ことなの?」

「ふわ~。おはようおかあさ~ん」


 見られてしまったものは仕方がないと翔は割り切り。

 なるべく平静を装って言葉を並べる。


「昨日、美乃梨が一緒に寝たいって言ってきたから一緒に寝てただけだけど」

「そ、そうなの?」


 母親の視線は美乃梨に向かって『本当にそれだけなの?』と訴えている。


「うん、そうだよ~。ふぁ~」

「そ、それなら、いいのだけれど……」

「ねぇ、おにいちゃ~ん。おはようのちゅ~」

「え、ちょっと! 美乃梨!?」


 目を閉じ唇をとがらせて、今にも本当にキスしそうになっている二人を見て母親は焦る。


「はいはい、その冗談はもう通用しないから。着替えてご飯食べに行くよ」


 しかし、翔はさらっと受け流してベッドから降りてしまう。


「む~。おにいちゃんのけち」


 母親は、ほっと胸をなでおろし、それを見た美乃梨は素朴な疑問をぶつけた。


「ねぇ、お母さん。私とおにいちゃんはキスしたらダメなの?」

「えっ?」

「だって恋人同士はキスとかするのが普通なんでしょ?」


 まるで無邪気な子供がするような質問に母親はどうこたえていいか、言葉をつまらせてしまう。

 それに対し、翔は冷静を装うように助け船を出した。


「美乃梨。きっとお母さんは、ボクたちにはまだ早いって思ってるんじゃないかな?」

「そうなの?」

「あぁ、だってボク達は恋人にはなったけどまだ日が浅いからね」

「じゃぁ、そのうちしてもよくなるんだね!」

「それでいいよね、お母さん?」

「そ、そうね……」


 母親は、そうこたえるので精一杯だった。


「じゃぁ、いつになったらしても良いのお母さん?」


 まるで小さな子供のような質問は止まらなかった。


「え、え~と。そうね……」


 あからさまに視線を泳がせ無言のまま翔に助けを求めていた。

 それを察した翔は、適当なハードルを用意する。


「じゃぁ、3回デートしたらってところでいいんじゃないかな?」


 少なくともこれで時間は稼げるし、その間にこの恋人ごっこも終わる可能性は大きい。


「そうなの? お母さん?」

「そ、そうね。そのくらいならいいんじゃないかしら」

「じゃぁ、おにいちゃん! 今日デートしよ!」

「ダメだよ美乃梨。先ずは、お医者さんから出歩いても良いって言ってもらってからじゃなくっちゃ」

「む~」


 美乃梨はむくれるが、これ幸いと母親は翔の言葉に乗る。


「そうよ、美乃梨。お兄ちゃん言う通り。先ずは先生の許可がでるまでは家で静養してなくちゃダメよ」

「は~い」


 そう言って美乃梨は部屋から出て行ったのだった。


「あ、ありがとうね翔……」

「いいよ別に。ボクは通信教育も嫌じゃないし、この部屋で過ごすのも嫌いじゃないから」


 作った笑みで言葉を並べる翔の目だけは全てを諦めたような目をしていた。




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