ロストネーム

べいっち

第1話

 空気を割って弾ける衝撃音。銃声だ。

 一年ぶりに戻ってきたのに全然変わっていない。


「私、待っていてって、言ったのに」


 この国では国を否定する者は殺される。それでも抗ってしまう人は多い。


 だから銃声が絶えないのだ。


『戸籍上死んだ戦士、《ロストネーム》の初戦だ。圧倒的戦力差を見せつけろ』


 無線を通して知らされた戦争開始の合図。


 深呼吸と涙を一つ。私はもう、私ではない。


 忌々しい白鳥の翼を生やし、担いでいた小銃を手に取った。


「運がいいなんて、クソ喰らえだわ」


 やり場のない気持ちと国への憎悪を胸に、コードネーム《ブロンドスワン》として、今は亡き親友のために戦地へと飛び立った。


 ―――――


 勢いよくブランコを漕ぐ。


「明後日、私は死ぬかもしれないんだって」


 ――漕いでいた足が、止まる。

 地面につま先をさして止めた。


「いきなり重い話してごめんね。でもメアリーには知ってて欲しくて」


 いつも太陽みたいな笑顔で笑ってるジェシカが大人しいなと思ったら、「明後日、死ぬかも」って。


「ドッキリ?」


 私の言葉に首を振り、ブロンドの髪の毛が揺れた。


「ドッキリだったらよかったんだけど⋯⋯ね」


 苦笑いで誤魔化し、それでも震える唇。グレーの瞳が潤んで――、


「国の《人体改造実験》、その被験者に選ばれたの」


 ⋯⋯⋯⋯あぁ。


 思わず俯き唇を噛む。プツリと、血が流れた。


《人体改造実験》


 それは頭の狂った研究者と政治家が倫理観や人権を度外視し、戦争のために行われる非人道的な実験のこと。


 かつて存在したという獣人や魚人、鳥人など。その再現をするのが目的だ。


 健康診断と一緒に適性診断を受け、適性があるもののみが被験者に選ばれるという。


 だが手術の成功確率は一パーセントにも満たない。


 成功しなかった人間は、動物の遺伝子に拒絶反応を起こし死んでしまう。辛うじて生命を維持していたとしても、動物の遺伝子が邪魔をして普通の人間には戻れない。


 つまり、被験者に選ばれるということは死を意味している。


「なんで、ジェシカなの⋯⋯ッ!」


 明後日、手術が行われるのだろう。


 だから今日、いきなり遊びたいなんて家に来たんでしょう。明日は施設に向かうんでしょう?


 強くブランコのチェーンを握りしめる。


「運が、よかったんだよ」

「⋯⋯は」


 顔を上げ、ジェシカを見て目を見開く。馬鹿なのか。死にに行くようなものなのに――、


「なにもできない子どもの私が、国のために⋯⋯家のために、できることができたんだから」

「――っ!」


 被験者には大量の金が送られる。


 ジェシカの家は決して裕福とは言えない。言ってしまえば貧乏な方だ。

 今日だってほつれた服を着ているし、内職を手伝っていることも知っている。


『うちにはこの話を断るお金なんてないわ。ごめんなさいジェシー。下の子のためにも、仕事をしてきて欲しいの』


 きっとジェシカは「家庭が裕福になるなら」と思っているんだろう。


 でも自己犠牲でそんなことをしていいわけがない。死んでしまえばそれで終わりだ。


『⋯⋯借金をしてでもあなたが大切だから断るよって、嘘でも言って欲しかったな』


 人の人生をお金で左右してはいけない。買っていいわけがない。人身売買と一緒だ。非人道的だ。倫理とはなんなのだ。なんのためにある学問なのだ。


「ジェシカッ!」


 勢いよく立ち上がる。チェーンが怒るように音を鳴らす。


「私たちは『なにもできない子ども』じゃない!」


 まだ生まれて十数年しか経ってないひよっこでも。


「私たちはなんにでもなれる子どもだ」


 そう言ってもジェシカはブランコに乗ったまま私を見上げている。


「私たちにはなんにでもなれる未来がある、将来がある、希望がある」


 それを大人が奪うのはおかしいんだ。


「なんにもできないから子どもなんじゃない。なんにでもなれるのが子どもなんだよ」


 ジェシカは「あ⋯⋯」と、涙を流し、私は袖口でそれを拭った。


「明後日死ぬなんて、そんな状況に立たされているなら私と逃げよう」


 手を引っ張って立ち上がらせる。そのまま強く抱きしめると、ジェシカの匂いに涙が溢れた。


「でもっ、私が受けなかったらその穴埋めに別の人が受けることになるんだよ⋯⋯?」

「他の人の心配なんてしないでっ!」


 お願いだから。


「自分のために生きてよ⋯⋯」


 ワガママになってよ。


「逃げたいって、そう言ってよ⋯⋯」


 唇から溢れる血の味。

 ジェシカは抱きついていた私を引き離す。


「ありがとう、メアリー。⋯⋯ごめんね」


 涙でぼやける視界。それでも輝いて見える太陽みたいなジェシカの笑顔。


「もう決めたことなの」

「うっ――」


 強い衝撃がはしる。思い切り首の後ろを叩かれたらしい。


「い、か⋯⋯な⋯⋯」


 まって。


「お願い、私を信じて待っていて。どうか生きていて」


 ―――――


 気絶させてしまってごめんなさい。

 でも、メアリーに会えて本当に良かった。


 みすぼらしい私に優しく接してくれて。一緒に逃げようって、私が言って欲しい言葉を言ってくれた。


 それだけで充分。充分すぎるんだよ。


 でもね、欲を言えばメアリーと一緒に逃げたかった。死ぬのは怖い。嫌に決まってる。


 だけど役員さんに言われたの。


『あなたが断った場合、僅かに適正のあるメアリー・ロッジに被験者権が渡ります』


 って。


 意地悪だよね。クソ喰らえ。ふざけるなって思った。


 穴埋めに選ばれた人は誘拐まがいの強制連行。そんなことくらい知っている。


 逃げることだって考えた。でも逃げたところでいずれ捕まる。メアリーと逃げたらメアリーまで一緒に実験台にされるかも。それとも即射殺?


 そんな道選べない。断れない。逃げられない。


 運がよかったのよ。私が選ばれたからメアリーを守れる。


 メアリーを私のせいで殺したくない。守りたい。

 その思いだけで、明後日の手術も乗り越えられる。


 ⋯⋯先に旅立ったとしても、ゆっくり待っているから。


 だから、メアリーは生きて。


 親友よ、心からあなたを愛しているわ。


 ―――――


 やっと眠れそうだったのに銃声で目が覚めた。

 あの銃声は人体改造実験に反対する者が嘆いた結果だろうか。


 腫れたまぶたを開いてカレンダーに目をやる。

 今日は、ジェシカに実験が行われる日。


 ⋯⋯私は明後日、死のうと思う。


 今日は金曜日で学校もあるし、ピアノの習い事だってある。最後に挨拶はしておきたい。


 明日は荷物を片付ける。処分するものは燃やして、好きなものを好きなだけ食べに行こう。


 明後日。

 ジェシカの訃報が届くなら、この日までには届くから。


 もし届かなくても――


「止められなくてごめん」


 あの日、ジェシカは私を気絶させて研究所へと向かって行った。


「待てないや」


 ジェシカからもらった最後の言葉を、私は破ろうとしている。


 私も同じように被験者に選ばれていたら、少しは恐怖心を取り除けたんだろうか。


 どうして、こうなってしまったんだろうか。


 空が明るくなり始め、建物の合間から朝日が見える。


 その輝きすら、乾ききった瞳にはくすんで見えた。


 ジェシカの笑顔のほうが、際限のない優しさをもったジェシカの心の方が、よっぽど輝いていた。


 涙がまだ出てくる。私はジェシカがいないとダメなのだ。

 そう思い知らされた数日が、これからの日々が、私には耐えられない。


 だから明後日、言いたいことを全て叫ぶんだと、死ぬんだと、決意した。

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