第7話 新しい一歩

 城から十数分歩いた所にある、2人で暮らすにはかなり広い屋敷が、ゾイとマリアの家だった。

 そこまでマリアを背負って帰ったゾイは、マリアの部屋のベッドにマリアをそっと降ろし、マリアの腰に携えられているシアネスの剣をそっと外し、いつもマリアがそうしているように、ベッドの下へともぐらせた。


「おまえも疲れただろう。ゆっくり休め」


 ゾイがそう言い、マリアの額に優しくキスをすると、マリアの腕がゾイの首に絡み付いてきた。


「……ゾイ……愛してる……」


 虚ろな妖艶に光る桜色の瞳に見つめられ、ゾイは一瞬動揺した。


「何処にも行かないで、マリアと一緒にいて……」


 その言葉で、ゾイはハッと我に返った。それは、マリアが幼い頃、ゾイによく言っていた事だった。


「昔の夢でも見たのか? 俺はここに居るよ」


 ゾイは安堵して優しい笑顔でマリアを見つめ、そう言った。


「一緒に寝ようよ……」


 離れようとしないマリアの腕を無理にほどこうとはせず、ゾイはそのままマリアの隣に横になった。


「仕方ないな。今日だけだぞ」


「……ありがとう、ゾイ。嬉しい……」


 更に腕に力を込めてゾイに抱きつくと、マリアはゾイの胸に顔を埋めて嬉しそうに言った。そして、次の瞬間、スースーと静かな寝息を立てて眠ってしまった。

 そんなマリアの髪を優しく撫で、ゾイは大きくゆっくりと呼吸をした。


 ────ライネルは、その瞳で人間を魅了し、自分の意のままに操ることが出来る者もいると言うが……、マリアのあんな目、初めて見たな……。一瞬俺は……────


 ゾイはマリアに見つめられた時の事を思い出していた。惹き込まれてしまいそうな程のあの瞳を……。


 ────“愛してる”なんて、マリアが言葉を覚え始めた頃からずっと言っていた事じゃないか。今更何を驚いてるんだ? ……そういえば、こいつ、いつから言わなくなったんだろう?────


 マリアは幼い頃、毎日のように“ゾイ、愛してる”と言っていた。ゾイもそれに対して“俺もだよ”と優しく答えていたのだ。それは、家族に対する愛情表現と、ゾイはずっと思っていた。しかし、いつの日からか、マリアはそれを口にしなくなっていた。


 そんな事を考えているうちに、ゾイも眠りに堕ちて行った。






 翌日。


 カーテンを閉め忘れた窓から、眩しい朝日が射し込み、その光の眩しさに、マリアは目を覚ました。


 ────頭いったーい……。なんか重いし……。あれ? 私、どうしたんだっけ?────


 あまり目を開けられずに、ぼんやりした頭で一生懸命記憶を辿るマリア。そして、暖かい温もりを感じ、ゆっくりと目を開いてみると、視界が何かに塞がれている。


 ────え……?────


 マリアが驚いて顔を上げると、頭に置かれていたゾイの左手が、力なくマリアの首までするっと落ちた。

 

 ────なっ!? な、なんで?────


 見上げたマリアの目の前には、ゾイの寝顔が……。そして、頭が重いと思った原因は、ゾイの左手が置かれていたからだったのだということに気付いた。ようやく、自分の両腕がゾイの首にまわされていることに気付き、マリアの顔は一瞬で真っ赤になり、そっと腕を戻そうとした。

 そんな時、ゾイの両腕がマリアの頭を優しく抱え込み、マリアは再びゾイの胸に顔を埋めるように引き寄せられる。


  ────え!?────


 動揺して必死に離れようとするマリアの耳に、クスクスと小さく笑う声が聞こえて来た。


「……ゾイ?……」


 顔をあげることも出来ず、そう小さく言葉を発したマリア。


「ごめん、反応を確かめてた。……よかった、いつものマリアだ」


 笑いを堪えながらそう言うと、ゾイはそのままの体勢でマリアの頭をポンポンと優しく叩いた。


「いつから、起きてたの!?」


「おまえが頭を動かした時から」


 そう言うと、ゾイは手の力を緩めた。


「なんで、ゾイが隣に……っ、なんで私っ……ゾイに抱きついて……」


 最後の方は小声になりながら、マリアは耳迄赤く染めてそう問いかけた。


「覚えてないのか? おまえが、一緒に寝て欲しいって言って、俺を離さなかったんだぞ。……でも、久し振りにぐっすり眠れた気がする。マリアのおかげかな」


「……え、私……が?」


 マリアは記憶を辿るが、どうしても思い出せない。


「昔は、よくこうして寝てたよな」


「……でも、今は……困る……」


 赤面したまま顔を見ずに言うマリア。


「そうだな。もう兄の腕の中では眠らない年だよな」


 クスッと笑うとゾイはマリアから離れ、ベッドから降りた。


「えっ! そういう意味じゃないよ! 年なんて関係ないし、ゾイが迷惑じゃなかったら……」


 マリアは飛び起き、ベッドの上に座り、慌ててそう言った。


「俺、迷惑だなんて言った事あったか? ……でも、いつまでも一緒のベッドで寝ている兄と妹なんて、いないぞ」

 

 ────やだ、私、何言って……────


 マリアはただただ、ゾイと一緒に居たいとそう思うだけだった。


「具合は、どうだ? 何処も何ともないか?」


「……うん、ちょっと頭痛いくらい」


「そうか。じゃ、俺が朝食作るから、お前は出かける準備をしとけ」


「ありがとう」


 マリアは昨夜のことを全く覚えておらず、疑問ばかりが頭に浮かんだ。しかし、ふと鏡に映る自分の顔を見て、現実に引き戻された。


 ────もう、今日から私は女の子を辞めるんだった……────


 着替えを済ますと、マリアは長いウエーブのかかった漆黒の髪をポニーテールにし、赤い紐で結った。


 そして、腰には普通の剣と、シアネスの剣のふたつを携え、鏡を見る。


 ────よし────


 マリアはこれから先の未来に少しの不安を抱きながらも、固い決意を胸に、部屋を出て歩き出した。

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