第2話 負傷

 この日、アリティア所属第1部隊と第2部隊は、第3都市ポツネリアより増援依頼を受け、ライネル討伐に出陣していた。


「第1部隊と第2部隊が帰って来ました!!」


 夜もだいぶ更けた頃、護衛の兵士からそう知らせを受け、マリアは慌てて屋敷の外に飛び出した。大通りまで走ると、道の両端に人垣が出来ていた。


「みんな無事なの!?」


 マリアは周りにいる人々に聞いた。


「だいぶ負傷者がいるらしいよ」


「ゾイ隊長が大怪我されたとか……」


 街の人々は口々に色々不穏な噂をしていた。


「大怪我……って……」


 その言葉を聞くと、マリアは慌てて人を掻き分け、辺りを見回した。


「なんで、こんな時に限って、知ってる兵が誰もいないのよっ!」


 そう呟くと、城へと向かう軍隊の前へ出ようとした。


「おい、おまえ! 道に出るな!!」


 城迄続く大通りを警備している兵がその行動を止めようとしたが、マリアはその兵をキッと睨み付けた。


「私は、マリア・ディミトリアです。ゾイ・ディミトリアの側に行かせて頂きたいのですが」


「あっ! ゾイ隊長の!? これは失礼致しました。どうぞお通りください!」


 マリアがゾイの妹だとわかった兵士は、慌ててそう謝ると、マリアを通した。マリアの目の前を、数台の馬車が通り過ぎる。


「マリア! こっちだ!」


 その馬車と共に進む兵たちの中にマリアを呼ぶ者が居た。それは、マリアがよく知る第1部隊の隊員だった。


「ゾイは!?」


「この中だ。少し、深手を負っている。……すまない、俺達がついていながら……」


 ゆっくりと進む馬車に、マリアは飛び乗り、中に入った。


「ゾイ! しっかりして! ゾイ!!」


 体の至る所に赤い血が滲んだ包帯を巻かれているゾイに、マリアは必死で呼び掛けた。


「……大きな声を出すな。なんでおまえが? ……そうか、もうアリティア城下に着いたのか……」


 眠っていたその瞳をうっすらと開けたゾイが、苦しそうな息づかいで言った。そのブルーグレーの優しい瞳を見て、マリアは心底安堵した。


「無理に喋らないでいいよ。……良かった。目を覚まさないかと思った」


「……おいおい、そこまで重傷じゃないぞ。あいつらが大げさなだけだ」


「だって、ゾイが大怪我するなんて、初めてだもん。……そんなに強いライネルだったの?」


 その問いかけに、ゾイは一瞬瞳を閉じ、そして再びマリアの顔を見た。


「おまえが気にすることはないよ。俺に隙があっただけだ」


「……隙って……。ゾイに隙なんてありえない。何があったの?」


 心配そうに見つめながらマリアがそう問いかけるのとほぼ同時に、馬車が止まった。


「怪我人を早く中へ!!」


 外から大きな声が聞こえてくる。


「マリア、ゾイ隊長を中に運ぶ。おまえも来い」


 隊員の1人が慌てて幌を開けて言った。


「おい、俺は自分で歩けるぞ。他の怪我人に手を貸してやってくれ」


 そう静かに隊員に言うと、ゾイは、ゆっくりと起き上がろうとした。


「ゾイ!! 動いちゃだめだよ。こんなに血が出てるのに……」


「大丈夫だ。他の怪我人のところへ早く行ってやれ」


マリアに明るい笑顔を見せると、隊員にそう指示をするゾイ。


「しかし、隊長!!」


「これは、命令だ。早く行け」


 ゾイが厳しい表情で隊員にキツく言う。


「……はい、了解しました」


 心配そうな表情をしながらも、命令に背くことなどできない隊員は、やむを得ずゾイの馬車から離れた。


「……マリア、ちょっと肩を貸してくれないか?」


 そう言うとゾイは、マリアの肩を借り、起き上がった。


「ありがとう」


 優しく微笑むゾイに、マリアはほんの少し、心から不安が消えるのを感じていた。


「本当に……大丈夫なんだよね?」


「あぁ」


「よかった」


 立ち上がり、ゆっくりと城の中へと向かうゾイの後を、マリアも心配そうについて行った。






「ゾイ、歩いて大丈夫なのか?」


 城の中に入ると、最初に出迎えたのは、この国の国王代理であり総司令官でもある、唯一アダマスの称号をもつ、クロエ・カルディツアだった。


「ただ今、帰還致しました、クロエ様。私は大丈夫です。ご心配おかけ致しました」


「早く報告を聞きたいところだが……」


 そこまで言うと、ゾイの後ろにいるマリアに視線を向ける。


「こんばんは、マリア。ゾイを危険な目に遭わせてすまなかったね。今夜はもう遅いから、おまえもここに泊まるといい。部屋を用意させるから、ゾイについていてやってくれ」


「はい、ありがとうございます、クロエ様」


 マリアは、優しく微笑むクロエに深々と礼をした。


「今は、手当てが先だ。深手を負っている者には、特別に魔術師による治療も準備してある」


 この国での治療法は、医師によるものと魔術師によるものの2種類があった。しかし、魔術師による治療は、その魔術師側にも多大な負担がかかる為、余程のことがない限り行われない事だった。


「そんなに、被害が大きいのですか?」


 マリアが真剣な瞳でクロエに聞く。


「あぁ、これは念の為だよ。そんなに深刻に考えなくて大丈夫だよ」


「そうですか」


 マリアは、気になりながら、次々と怪我人が運ばれて行くのを目で追っていた。






 城内にある軍の兵舎では、多くの兵士が治療を受けていた。そんな中、兵舎とは別の場所に、ゾイの部屋が用意された。

 治療が終わり、やっと少し話せる時間ができると、ゾイが口を開いた。


「他の人間の口からお前に伝わるよりは、やはり俺の口から話した方がいいんだろうな」


 ベッドに横たわったまま、優しく、どこか悲しげな瞳でマリアを見つめて話しはじめたゾイ。


「……やっぱり、何かあったんだね?」


「ライネルの、貴族が現れた」


「……え?」


 ライネルの貴族とは、人間とほぼ変わらない容姿をしており、その能力は計り知れない。獣の姿をしているライネルとは天と地ほどの格差があった。


「俺が軍に所属してから、出逢ったのは初めてだ。前に見たのは、もう20年近く前になる。奴らは、俺達の予想を遥かに上回る力で攻撃をしてきた。……悔しいが、今回は撤退せざるを得なかった」


 悔しそうに話すゾイを、マリアは黙って見つめている。


「今回の事で、お前を悪く言う人間が、また出てくるかもしれない。でも、お前はお前だ、何も関係ない。だから、何も気にするな」


「……なんだ、そんなこと気にしてたの? そんなの今に始まった事じゃないし、私はここで育った人間だよ。気にする事なんて元々何もないよ」


 マリアは笑顔で明るくそう答えた。本当にそう思っていたから。


「危ない目にも……遭うかもしれない」


「何言ってるのよ。この街で私に勝てる人間なんて、クロエ様とゾイ以外いないじゃない。私は、大丈夫だよ。何の為に強くなったと思ってるの?」


「そうだな。この街にいれば、安心か」


 ゾイは、ようやく少し笑顔を見せると、目を閉じた。そんなゾイを見て、マリアは切ない思いに駆られた。もし、自分が知らない場所でゾイが命を落としたら……、そんな事ばかり考えてしまって……。



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