第1章

第1話 マリアの進路

 人間とライネルとの長きに渡る戦争が終戦してから、18年の歳月が流れた。

 街はほぼ復興してはいたものの、時折ライネルからの襲撃がある為、軍は森林及び国境付近の警戒を怠らなかった。


 ここ、アリティア王国の軍での階級は、上からカリィテロアダマス、アダマス、スマラグドス、アントラクス、サピロス、キュアノス、カライス、トパソス、サルディオスという9段階の階級があり、現在アダマスとスマラグドスはそれぞれ1名のみで、王都アリティア周辺を護り、7名いるアントラクスのうち6名は、それぞれ、6つある他の都市に駐在し、1人は王都アリティア所属の隊の隊長となっていた。そして、その他、王都アリティアを護るのは、サピロスの称号を持つ7名の隊長が率いる、7つの部隊だった。


 ライネルのほとんどは、獣のような姿をしており、群れをなして潜んでいる。国内の山地、森林及び国境周辺を探索し、それを見つけて退治するのが、軍の主な仕事だった。


 ゾイは仕事を終えると、いつも城からまっすぐに自分の屋敷に帰って来ていた。屋敷の前で、門の前に立つ2人の警護の兵士と目が合う。


「ゾイ隊長、お疲れ様です!!」


「あぁ。変わりはなかったか?」


「はい。何もありませんでした」


「そうか。いつもすまないな」


 ゾイはそう短く会話をすると、ドアに向かって歩いた。


「お帰りなさい!!」


 するとドアが開き、中から薄い桜色の瞳にゆるくウェーブのかかった長い漆黒の髪の少女が元気に明るい声でそう言い、目の前にいるゾイに抱きついた。


「ただいま、マリア」


 ゾイは疲れた顔をしてはいるが、優しい表情でそんなマリアをしっかりと抱きしめた。


「ゾイ、怪我してない? 大丈夫?」


 次の瞬間、マリアはバッとゾイから離れ、ゾイの身体を見回す。


「大丈夫だよ。かすり傷程度ならいくつかあるが……、いつも通り、大した事ないよ」


「そっか。よかったぁ……」


 マリアは心底安堵したようにため息まじりにそう言うと、明るい笑顔を見せた。


「今日はね、シチューだよ!」


「そうか、いつもありがとうな。じゃ、急いで風呂入ってくるよ」


 本当に嬉しそうにマリアの頭を撫でて言うゾイ。


「いいよ、急がなくても大丈夫だよ。ゆっくり疲れを取ってきてね」


「ありがとう。じゃ、そうさせてもらうよ」


 いつも殆ど変わらない会話。ゾイとマリアは、2人で住むにはかなり広いこの屋敷で、毎日こんな会話をしていた。






 ゾイは18歳の時に軍に入隊し、今では上から3番目のスマラグドスの称号を与えられ、1つの部隊の隊長を任せられている。そして、今はこの屋敷には、ゾイとマリア2人だけで住んでいる。


 マリアが1人になる時は、必ず警護の兵士が数名配置される。マリアはそれがとても気に入らなかったが、表向きはライネルであるマリアを監視する為で、本当の理由は、マリアの事を心配しているもう1人の人物が、マリアにもしもの事があったらと、マリアの身を案じてさせている事だった。


 ゾイが入隊して13年、こんな生活が続いている。


 マリアは普通に学校にも通っていて、最初の頃はマリアの事を良く思っていなかった人間も、みんなに優しくいつも笑顔を絶やさず周りを明るくさせるマリアに、いつしか皆、惹かれていった。


 しかし、まだマリアの事をただライネルだというだけで、嫌う人間も数人いた。それは、家族や大切な人をライネルに殺され、心の傷が癒えない人々だった。


「ねぇ、ゾイ、学校を卒業してからの事なんだけど……」


 食事を終えると、マリアが話し出した。


「やりたい事、やっと決まったのか?」


 マリアは来月、学校を卒業する。同級生のほとんどがもう卒業後の就職先等が決まっているのに、マリアはずっと悩んだままだった。


「……ゾイはとても強くて……、隊長だし、絶対大丈夫って解ってるけど、私ね、毎日不安なんだ」


「急にどうした?」


 悲しげに揺れる薄い桜色の瞳を、ゾイは優しく覗き込んだ。


「もう……ひとりで、ただ待ってるのは、嫌なんだ」


「……マリア?」


「ゾイ、私、入隊したい」


 その言葉にゾイは驚愕した。


「おまえ……!?」


「お願いっ!! ゾイなら私の実力知ってるでしょ? ゾイのいる第1部隊のみんなだっていつも言ってるよね? “マリアがいたら戦力になるのにな”って」


「おまえ、何考えて……」


「ずっと考えてたんだ。でも、絶対ゾイには反対されると思って、恐くて言えなかった」


 ゾイの言葉を遮るように続けて話したマリア。その瞳は悲しげではあったが、とてもまっすぐで真剣で、力強い光を帯びていた。


「反対するに決まってるだろう? おまえ、俺たちが何と戦ってるかわかってるよな?」


「……わかってるよ!」


「危険すぎる。ダメだ。それだけは絶対に」


「どうして? 私だってここで育った“人間”だよ? 女が軍に入っちゃいけないって決まりもないみたいだし、……少しでもゾイの側に居たいんだ。一緒に戦いたい」


「そんな理由での入隊は認めない」


「違うよ。……本当の理由は……、みんなに認めてもらいたいんだ。……私がここの人間だってこと。みんなとおんなじ、アリティアの国民だって事」


「……マリア」


「軍に入って、みんなの為に戦ったら、きっとわかってもらえるでしょ? この伝説の剣って言われてるシアネスの剣を使って、ライネルを倒したら……」


 マリアは側に置いてあったシアネスの剣を掴み、鞘から少し出してみた。

 シアネスとは、この世界で一番固いと言われている鉱物で、半透明でうっすらと白くオパールのように輝く石だった。その石は、昔から魔除けとされ、ライネルはその石には近づけないと言われている。


 そのシアネスの剣の元の持ち主は、ゾイの父親だった。ゾイの父親はライネルの王との決戦の時、アリティア前国王と共に身命しんめいしてライネルの王を倒し、そして命を落とした。残されたシアネスの剣は、このディミトリア家に届けられ、マリアは幼い頃からその剣のそばで育ったせいか、ライネルだというのに害はなく、シアネスに直接触れさえしなければ危険はなかった。それどころか、元の持ち主の息子であるゾイとリトスがいくら使いこなそうとしても使いこなせなかったその剣を、マリアはいとも簡単に使いこなし、ゾイが率いる第1部隊の隊員は全員マリアに勝てない程、マリアの剣の腕は上達していた。そして、まるでお守りのようにいつもシアネスの剣を側に置いているのだった。


「マリア、おまえの気持ちは良く解る。確かに、そうすれば皆、おまえの事を認めるかもしれない。でもな、俺は、おまえを危ない所に連れて行きたくはないんだ」


「そんな事、私だって同じだよ。ゾイに危ない所に行ってほしくない。ライネルとなんか戦って欲しくない!! 私……、ゾイまで居なくなったら、どうしたらいいの? いつも……そう思って……、そう考えたら、恐くて」


「……大丈夫だ。俺は居なくならない。いつだって、ちゃんと帰って来てるだろ? 俺が重傷を負って帰って来た事があったか?」


「……ううん、ない」


「だろ? おまえを1人になんかしないよ。絶対に」


「……絶対?」


「あぁ。約束する。おまえは俺が一生守るって昔から言ってるだろ? だから、そんな事で不安になるな」


「……ゾイ……」


 ゾイにそう言われると、マリアは何も言い返せなくなってしまい、黙り込んでしまった。そんなマリアを見て、諦めたのだと思って安心したゾイは、優しい笑顔を見せ、マリアの頭を撫でた。

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