第98話 フリ

 私が唇に感じたその懐かしい感触。すぐに私の唇からなくなってしまったその感触を、私はもう一度、いや、何度も感じたいと思っていた。


 唇に感触があった時は藍斗に気付かれる可能性があったので流石に目を開けることはできなかったので、藍斗の何が私の唇に触れたのか確証はない。

 それでも、私はその感触を鮮明に覚えていた。前はされる側ではなく私の方がする側だったけど。


 なんで、なんで藍斗の方から私にキスしたの? キスをするってことは藍斗は私のことが好きっていうことなの?


 藍斗が何を考えているのかはとても気になるが、悠長にそんなことを考えている暇はない。

 私が眠っているのをいいことに藍斗は私に好き放題していて、挙句の果てにはキスまでしてきた。こうなると、藍斗がこの先私に何をしてきてもおかしくはない状況だ。


 もしかすると体を触ったり、服を脱がしたりしてくる可能性すらある。そう考えた私はベッド中で身構えていた。

 それなのに、藍斗は中々私に手を出してこない。5分、10分と目を瞑ったまま待ってみるが、藍斗は全く手を出してこない。


 キスをしてからベッドを出ていく素振りも見せず無言で私のベッドにいるなんて何を考えているのかしら。

 痺れを切らした私は少しだけ、目を開けてみることにした。


 そして目を開けた私は目の前の光景に言葉を失った。


「……は?」


 藍斗はベットに寝転がっている私の目の前で、心地よさそうに寝息を立てながらぐっすりと眠っていた。






 うっすらと目を開けると見覚えのない景色が広がっている。見覚えのない景色に一瞬混乱しそうになるが、すぐに状況を思い出した俺は目を開けて体を起こした。


 そうだ、今日は熱海に来ていたんだった。熱海に来て、商店街を歩いた後でホテルに入ってそれで……。

 飯崎が眠いと言い始めて寝てしまったので、1人で時間を潰そうとしたが、あまりにも暇だったので寝ている飯崎にちょっかいをかけて……。


 ……!? 飯崎は!? 飯崎はどこに行った!?


 寝ぼけていた俺は、俺が飯崎にしでかしてしまった所業を思い出して飯崎がこの部屋の中にいないことに焦りを感じた。


 眠っている飯崎にちょっかいをかけていて、そのままキスをしてしまったんだ。

 それで飯崎の横に寝転がって寝顔を見ていたらこっちまでウトウトしてしまって、そのまま寝てしまったんだ。本当は気付かれないうちにベッドから出ていくつもりだったのに、何をやってるんだ俺は。今日はこんなことをしにきたんじゃないだろ……。


 部屋の中を見渡しても飯崎の姿は見えず、眠ってしまっていた俺は飯崎がどこに行ってしまったかなんてもちろん知らない。

 もしかしたら連絡が入っているかもしれないとスマホを覗いてみるが、飯崎からの連絡は入っていない。


 とにかく早く飯崎を探さなければと思った俺は、ベッドから飛び起きた。


「何バタバタしてんのよ」

「い、飯崎⁉︎」


 どこかに行ってしまったと思っていた飯崎だったが、どうやら洗面所の方にいたらしくヒョコと顔を出した。

 

 飯崎は俺がやっていたことに気付いているのか? それとも気づいていないのか? 気付いているかいないかでは飯崎に対する接し方は全く別のものになってましまう。


「何よ、そんな大きな声出して」


 これはどっちなんだ? どっちだというんだ⁉︎


「す、すまん。ぐっすり寝れたか?」

「ええ。おかげさまで体力回復したわ」

「そうか。それならよかった」

「ほら、ご飯食べにいく時間でしょ。早くいくわよ」

「お、おう……」


 この反応、どうやら俺が飯崎にちょっかいをかけていたことには気づかれていないようだった。

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