第90話 変わる時

 俺がくるみを小突いた後、飯崎はずっと俺たちのことを疑ってはいたが、せっかくこんなところまで来たのだからと繁華街をぶらついてから帰宅した。

 瀬下とくるみが前を歩き、その後ろを俺たちが歩く。飯崎の横には先程の男ではなく俺がいて、2人で並んで歩いているだけなのに、なぜかいつもより心地よさを感じた。


 そして俺は自宅で寝る準備を済ませ、ベッドに寝転がり布団の中に入って丸まっていた。


 くるみにハメられたとはいえ、飯崎と一緒にいたのが彼氏ではなかったことに俺は安堵していた。くるみのことを許したわけではないが、正直感謝しなければならないとも思っている。


 俺は飯崎のことが好きでありながらも、嫌いだった時の気持ちが抜け切らず、自分たちの関係について深く考えようとせずに曖昧にして生活してきていた。今まではそれで済んできたし、何も問題はなかったんだ。

 しかし、今回のことではっきりと分かった。俺はやはり飯崎が好きだ。飯崎が他の男に取られるという想定をしたことがなかったわけではないが、これまで飯崎とはあまりにも長い時間を共にしてきて、飯崎が俺の隣からいなくなることに対して現実味を感じなくなってしまっていた。


 だが今回、飯崎が別の男と2人で歩いているのを見て、このまま俺が何もしなければいつか本当にこうなる日がやってくるのかもしれないと思ってしまった。いや、思うことができた。


 そんな悲しい未来を迎えないためには、やはり俺の方から飯崎に対して何か行動を起こすしかないだろう。

 行動を起こすとは言っても、何をしたらいいか全く分からず、布団の中で悶えていた。


 ああ俺はどうすればいいんだああああァァァァ。


「なんで布団に潜ってるのよ」


「は、はい⁉︎」


「「痛った‼︎」」


 布団に潜っていた俺は急に聞こえてきた飯崎の声に驚き、飛び起きるような形で布団から出た。すると、飯崎の額と俺の額がぶつかり鈍い音が部屋の中に響き渡った。


「ちょ、ちょっとなんなのよもう……。結構痛いんだけど」


「そ、それは申し訳ないけど……。急に音もなく入ってこられた上に、急に横で話しかけられたら誰だって驚くだろ」


「だ、だってもしかしたらもう寝てるかなと思って……。それで静かに入ってきたら、アンタが布団に丸まってて寝てるのかと思ったらグネグネ動いてるから起きてるなと思って声かけたら飛び起きて頭ぶつけられて……。こっちだって災難よ」


 飯崎なりに気を遣っての行動だったってことか。それなら俺の方から強く責めるのもお門違いだろう。

 というかグネグネしてたの見られてたのか……。まあ流石にグネグネしてたの理由までは分からないだろうからよしとしよう。


「……まあぶつけてすまんかった。痛くないか?」


 そう言って俺は飯崎の額を撫でる。


「……う、うん。大丈夫」


 ……ん? なんか顔が赤い気がする。気のせいか?


「それで、何しに来たの?」


「アンタ、今日ほんとに尾行してたんじゃないの?」


 入りづらい俺の部屋に入ってくる程尾行をしていたのか偶然会ったのか気になるのか。

 だがしかし、それを正直に答えるほど俺も馬鹿じゃない。


 ……いや、それが馬鹿なんだ。今俺がここで正直に答えなければ結果はこれまでと変わらないものになってしまう。


「ああ。尾行してた」


「まあそうよね。尾行なんてするわけ……って尾行してたの⁉︎」


 飯崎は俺の予想外の返答に驚きを隠さないでいる。


「飯崎のことが心配だったから見に行ったんだよ。まあなんともなくてよかった」


「ふ、ふーん。心配だったんだ。私のこと」


「心配に決まってるだろ。家族だし、好きな相手なんだから」


「……へ?」


 ……ん? 今俺悟りすぎて変なこと言ってないか⁉︎


「ち、ちがうぞ⁉︎ す、好きな相手ってのは家族としてのアレだからな⁉︎」


「は、はぁ⁉︎ そんなの私だって分かってるわよ‼︎ ばか‼︎」


 ああ……。折角変わろうとしたのに、これじゃあ今までの自分と何も変わってないじゃないかよ……。


 そして飯崎は俺の部屋から出て行った。

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