第88話 後押し

 なぜ尾行をしているという最悪のタイミングでくるみに出会ってしまうのだろうか。普通に考えたらくるみと遠方の地で遭遇するなんてあり得ないことなのに……。

 自宅のリビングで飯崎を尾行するかどうかを悩んでいたあの瞬間に、俺が潔く飯崎の尾行をやめておけばこんなことにはならなかっただろうし、こうして飯崎が男と並んで歩く嫌な場面を目にすることもなかっただろう。数時間前の自分が憎い。


 ……いや待てよ? よく考えたらくるみの言葉を真に受ける必要なんてないんじゃないか? こんなところで偶然俺と出会う確率は相当低いだろうし、くるみが俺に嘘をついている可能性は大いにある。


 うん、そうだ。くるみはきっと嘘をついている。家からここまでやって来るのに1時間以上もかかるというのに、何度もくるみに会うなんてやはり普通では考えられない。

 

 そうなると、やはりくるみは意図してこの場に来たということになる。だがそれは、くるみが俺の行動全てを把握していなければできないはずだ。

 俺は飯崎を尾行しにいくかどうか、かなり迷っていたし俺の行動を完全に把握できているとは流石に思えない。というかそうだとしたら怖い。


 でもくるみならなんかそれをやってのけそうで怖いんだよなぁ……。


「なあくるみ、やっぱお前がここに来たのって……」


「天井くんあれ見て‼︎ あの2人、2人で1つのコーヒーしか買ってないよ⁉︎」


「なんだって⁉︎」


 くるみの言葉を聞いて、俺はくるみを訝しむのをすっかり忘れてしまった。忘れてしまっても仕方がないだろう。2人で1つのコーヒーを買ったということは、飯崎があの謎の男と間接キスをするということ同意義なのだから。


「1つしか買ってないってことは、あの2人、もう間接キスなんて全く気にしない関係ってことなのかな?」


「おい、言葉にしてはっきり間接キスとか言うなよ」


「別に言うくらいいいでしょ。それに莉愛ちゃんとあの男の人が間接キスをしたからって天井くんには関係なくない?」


「か、関係なくはないだろ。お、幼馴染なんだし……」


「ただの幼馴染でしょ? じゃあ莉愛ちゃんがどこの誰と間接キスをしようが、ディープキスをしようが、エッチなことをしようが天井くんには関係ないよ」


 くるみの言葉を聞いた俺は突っ込む余裕もなく、その言葉は俺の心に深く深く突き刺さった。


 これまで飯崎に男の影があったことは一度もなかったし、俺自身自分の中では飯崎のことが好きだとは思いながらも、その意思を誰かに話したり、飯崎本人に伝えようとはしたことはない。


 それは要するに、俺と飯崎がただの幼馴染であるということを表している。

 

 一緒に住んでいたって、一緒に旅行に行ったって、誕生日プレゼントをもらったって、それは俺たちが家族だから行っていることに過ぎなかったのだ。

 それなのに、俺は心のどこかで、飯崎とは家族以上の関係になっていて、飯崎もきっとそう思ってくれていると、そう油断していたのだ。


 それが今となっては目の前で飯崎が男の隣を楽しそうに歩いている姿を見せつけられており、自分が情けない。


「天井くんにとって莉愛ちゃんはただの幼馴染なの?」


「……」


 くるみからの問いかけに、俺は返答することができない。


「近くにいるからこそ、上手くいかないこともたくさんあるよ。私たちもそうだったから。莉愛ちゃんが今何を考えているかは知らないけど、まだ諦めるには早いと思う。未来を変えたいなら、今行動するべきなんじゃない?」


「……ありがとう。くるみ」


 くるみが言葉を言い終えた付近で、謎の男は飯崎にコーヒーを渡そうとした。


 くるみの言葉を聞いた俺はその場面を見て、何の躊躇もなく飯崎達に向かって走り出した。

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