第62話 捨て猫を拾う感覚で
茹だるような暑さは日に日に強さを増していき、最近の口癖は「溶ける……」というあり得ない言葉になってしまっていた。いやほんと、溶けそうなくらい暑い。いっそ溶けてしまいたいとすら思っている。
まだまだ夏に差し掛かったばかりなのにこの暑さでは先が思いやられると思っていたが、梅雨入りしたせいで今度は大雨の日が続いている。
雨のおかげで暑さは和らいでいるが、雨は雨で面倒臭い。傘をさしていても服も濡れるしカバンも濡れる。
放課後、教室の窓から昼頃から大雨が降り続き水溜りだらけになってしまったグラウンドを眺めながら俺と瀬下は呆然と立ち尽くしていた。
「なぁ。もうかれこれ30分は待ってるけど止む気配なくね?」
瀬下は薄々俺も感じていた内容を口にして、俺たちの間には絶望感が漂い始めた。
今朝は久しぶりに快晴で、天気予報を見もせず今日は傘なんていらないだろうと調子に乗って傘を持ってこなかったのが仇となった。
ちなみに飯崎はしっかり傘を持ってきていたようで、くるみと2人で早々に帰っていった。
「こんなに雨降ってて雨の音も聞こえてくるってのにこいつは呑気なもんだよ……」
俺と瀬下に囲まれるようにして机に突っ伏すいつもの体勢をとっているのは金尾だ。
普段は授業が終わるチャイムを合図にそそくさと帰宅して行くのだが、今日はなぜか教室で眠りこけている。
「呑気なのはお前もだろ。金尾さんの気持ち聞いたのに返事どころか反応すらほとんどしてないんだから」
「そ、それは……」
瀬下は俺が忘れようとするしていた耳が痛くなる話を掘り返してきた。
俺は以前、金尾の俺に対する気持ちを知ってしまったわけだが、それに対して金尾に返事をするわけでもなく自分の中で金尾について考えることもなかった。
要するに逃げているのである。
「実際どうなの?」
「どうなのって何が?」
「金尾さんのことが好きなのかって話だよ」
「好きかどうかと言われてもって感じなんだよな。恋愛なんて経験したことねぇし」
俺が今現在恋愛対象として見れるような女性は飯崎か金尾くらいだ。
最近は飯崎との関係も徐々に安定してきたし、昔のように仲の良い幼馴染に戻れてきている気はする。
しかし、俺が飯崎のことを好きかと訊かれればそこには正直疑問が残る。
金尾は俺のこと好きだと言ってくれているのだから、俺と金尾のことを好きになればめでたくお付き合いをスタートさせることもできるのだろうが……。
くるみはない。瀬下の嫁みたいなもんだからな。まああいつら仲悪そうだけど。
「じゃあ金尾さんと付き合うのはナシなのか?」
「うーん……--正直あんまり分からん」
「ナシとは言わないのな」
「……確かに」
「てことはアリなんじゃねぇの?」
「金尾とは一緒に喋ってるとめちゃくちゃ心地いいし、気も楽だから結婚とかしたらいい生活が送れるかもな」
あれ、今俺結構恥ずかしいこと言わなかったか? 付き合うとか飛ばして結婚って……。
「ぶはっ‼︎ 結婚は話ぶっ飛びすぎだろおまえ‼︎」
俺の発言が琴線に触れた様子の瀬下は腹を抱えて笑い始めた。
「や、やめろ‼︎ そんな大声で笑ったら金尾が起きるだろ‼︎」
「だって結婚って……そんなの笑わずにいられないだろ⁉︎」
「笑うな‼︎ 今のは別に本気で言ってるわけじゃ……」
「別に弁解なんていらねぇよ。まぁ要するに飯崎さんも金尾さんもお前からしたら恋愛対象なわけだ」
「んーそうなのかもな。否定はできん」
瀬下に恥ずかしい発言を聞かれてしまったが、金尾の様子を確認するとまだスヤスヤと眠っている様子。今の話を本人に聞かれたらと思うと……。
「ちゃっかりお前の周りって可愛い子が集まるよな。羨ましいわ」
「お前だってくるみがいるじゃねぇか。俺はくるみタイプだけどな」
「お前はあのぶりっ子妹キャラが好きなだけだろ。それは好きじゃなくてフェチっていうんだよ」
俺のフェチの話は置いておいて、俺は未だに瀬下とくるみの関係性を聞き出せずにいる。
くるみと瀬下は仲が良いように見えて距離が遠く感じるが、その理由は一体なんなのだろうか。
「フェチとかいうな。俺が変態みたいじゃねえか」
「違った?」
「違うわ」
瀬下との話にひと段落がついたところで俺たちは雨に濡れるのを覚悟して帰宅することにした。
「おい、金尾、起きろよ。こんなとこで寝てたら風邪ひくぞ」
「……ふわぁ--あれ、どうして私の家に天井さんが?」
「ここはお前の家じゃないからだ」
「なんとっ」と驚く表情を見せた金尾はまだ視界がぼやけているのか目を擦る動作をしている。
「珍しいな。金尾が早く帰らないなんて」
「天井さんと瀬下さんがいてくれたから安心感があったのかもしれません」
「男子2人に囲まれてたら危ないだろ」
「そ、そうですかね。私、もう帰りますね。お二人のお邪魔になるのも申し訳ないので‼︎」
「別に俺たちカップルとかじゃねぇから。邪魔とかおもわねぇぞ」
「い、いえ。それじゃあ‼︎」
「金尾っ」
「は、はいっ⁉︎」
俺はそういって自分が持っていたブレザーを金尾に渡した。
「お前、傘持ってないだろ。バス停まで走っていけよ。それで雨除けでいいから。どうせクソ暑いから着ねぇし」
「あ、ありがとうございますっ」
そういって教室を出て行く金尾の表情が赤い気がしたのは気のせいだろうか。
こんなに遅くまで教室に残っていたというのに何やら焦っていたようにも見えたし。
「お前も罪な男だなぁ」
「は、なんの話?」
「それが分かってないのが一番罪だわ」
「訳が分からん」
瀬下が何を言っているのかは分からなかったが、俺たちは金尾の後を追うようにして教室を出た。
◇◆
教室を出て昇降口に向かった俺たちはあまりの大雨に絶望し、一瞬帰宅するのを躊躇したがこのまま学校にいても仕方がないとびしょ濡れになって家まで帰ることを決意した。
幸い汗を拭くためのタオルは持っていたので、電車の中では雨を拭くことに徹した。
電車を降りる頃には多少服も乾いているかと思っていたがそんなことはなく、電車を降りてもびしょ濡れだった。まあどうせ今からまた濡れるしいいんだけどね。
意を決して駅を飛び出し家に向かう。
服と鞄もかなり濡れてしまってはいるが1番被害を受けているのは足元だ。
走っているせいで水溜りの水が跳ねてズボンはぐしょぐしょだし、浸水してしまった靴の中の感触が気持ち悪い。
もう今更濡れるのを気にする必要はないので、とにかく早く家に到着しようと全力でダッシュしていた。
……ん? なんだあれ。
全力ダッシュ中に横を通った公園でブランコに乗りながらびしょ濡れになっている女子が目に入った。
しかもその女子は俺たちが通っている高校の制服を着ている。
最初は見過ごそうとしたが、それは俺の良心が黙っていなかった。
「……何やってんの?」
「……誰?」
質問を質問で返すな。せめて質問に回答してから質問しろ。話が長くなるだろ。
急がないとカバンの中の荷物までびしょびしょになってしまう。
「俺は2年の天井藍斗だ。アンタは?」
「私も2年。
小波はブランコに座っていてもかなり小柄なのが分かる。身長は150センチあるのだろうか。
これだけチビなら同じ学年に居れば気付きそうなもんだが……。記憶を張り巡らせるが、俺の記憶にこんなチビはインプットされていない。
「小波はこんなとこでびしょ濡れになって何やってんだ?」
「……家に帰っても誰もいないから」
そう言って声を振るわせる小波の顔は雨でびしょ濡れしなってしまっているが、俺には小波が大粒の涙を流している様に見えた。
「……親は仕事か?」
どうして家に帰っても一人なのか、と聞いてしまうと事情が事情だった時に小波が返答しづらい可能性があるので、俺はあえて仕事かと訊いた。
その辺りは飯崎との会話で気を遣っているので慣れたものだ。
「……両親は二人とも海外。家には私しかいないから」
「そうか。とりあえずずっとこんなところにいたら風邪ひくから、早く帰ろうぜ」
「帰りたくない。帰ったら1人ぼっちだから……」
ここにいてもひとりぼっちな事に変わりはない様な気がしたが、俺は思わず高声をかけてしまった。
「俺の家くるか?」
この俺のあまりにも軽率な発言が後に波乱を巻き起こすことになるのを俺はまだ知らない。
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