第57話 簡単なことが簡単じゃない

 家に到着して一息つこうと思った私は大事なことを忘れていたことに気づき血の気が引いた。


 私は今日のメインである誕生日プレゼントを渡すのをすっかり忘れてしまっていたのだ。


 誕生日プレゼントを渡すことが今日の最大の目的と言っても過言ではなかったはずなのに、予想外の出来事が発生してしまったせいで完全にそっちに気を取られてしまっていた。


 私が忘れてしまっていたのはプレゼントを渡すことだけではない。

 

 家に帰ってくるときは藍斗とタイミングをずらして帰ってくるつもりだったのに、2人で一緒に帰宅してしまったのだ。


 今日は陽子さんと隆行さんの仕事が早く終わる日。私たちが帰宅するであろう時間には2人が家にいることは事前に確認していた。

 陽子さんと隆行さんがいる家に私と藍斗が同じタイミングで帰宅すると、2人でどこかに出かけていたのかと疑われかねないので別々で帰宅する予定だったのだ。


 2人の前では仲が良いフリをしているとはいえ、土日に2人で一緒に遊びに行くのは初めてだったので、2人で一緒に帰ってしまった私たちは予想通りの質問攻めにあってしまった。


 最後は私が藍斗の誕生日だからご飯を奢ったという言い訳で話は落ち着いたのだが、その言い訳を信じてくれたかどうかは定かではない。


 まさか私の感情に陽子さんと隆行さんは気づいていないよね……。


 まあ今更後悔しても仕方がないし、今私が考えなければならないのはプレゼントのことだ。


 これを渡さなければ一緒に色々と悩んでくれたくるみにも合わせる顔がないし、私自身納得することはできない。


 まだ今日という日は終わっていない。私はプレゼントを片手に藍斗の部屋の前まで歩いて行った。


 この紙袋に入れたプレゼントのティーカップを藍斗は喜んでくれるだろうか。


 藍斗は怒っているどころかその場からいなくなってしまった私をずっと待ち続けてくれていたわけだが、感情を隠しているだけで、実際は激しく怒っているのかもしれない。


 それなら私がプレゼントを渡したところで……。


 いや、怖気付いている場合ではない。


 私は藍斗の部屋の扉の前で何度かノックの練習をした。


 よし、あとは本当にノックをするだけだ。


「何やってんの?」


「へぁっ⁉︎」


 私が藍斗の部屋の前でノックの練習をしていると、突然後ろから声をかけられた。


 私の後ろに立っていたのは藍斗だった。


 どうやら藍斗はリビングにいたようで、部屋に戻るために階段を登ってきたらしい。


「なんだよそんなに驚いて。こっちが驚くじゃねぇか」


「最初に驚かしたのはそっちでしょ⁉︎」


「いや、だって俺の部屋の前で不審な行動してる奴がいたんだからそりゃ声かけるだろ」


 藍斗の言っていることが正論すぎて、反論の余地がない。


「そ、それはそうだけど……」


「で、何か用か?」


 一度はピンチかとも思ったが、藍斗からは最高のパスがやってきた。

 私の方から何か話を切り出すのは難しいが、藍斗の質問に対して私が、はいどうぞ、と藍斗にこの紙袋を渡すのは別段難しいことではない。


 たったそれだけで私のミッションは達成される。


 それなのに、なぜか私はそんな簡単な言葉を口にすることができない。

 あとはこの紙袋を藍斗に渡すだけなのに、たったそれだけなのに、たったそれだけの行動を起こすことができない。


「……と、特に用は」


「そうか。それならもう部屋に入らせてくれ」


「それはダメ‼︎」


「……え? なんで?」


 藍斗が部屋に入ってしまったら、このプレゼントを渡すタイミングはきっともうやってこない。

 それなら私は今藍斗に誕生日プレゼントを渡すしかないのだ。


 そのためにも、藍斗を部屋の中に戻らせるわけには行かない。


「だ、ダメなものはダメなのよ」


「いや、わけがわからなさすぎるだろ。ここ俺の部屋なのに」


「と、とりあえず私の部屋に来なさい」


「ん、わかった……って余計にわけが分からないんだけど⁉︎」


「いいからきなさい‼︎」


 自分の部屋に藍斗を招き入れることで時間を稼ぐつもりだったが、そんなことをするくらいなら素直にプレゼントを渡せば簡単な話だったのではないかと思う人もいるだろう。


 だって私自身がそう思ったのだから。


 しかし、人間慌てると冷静な判断ができないもので……。

 私はそのまま無理やり藍斗を自室へと招き入れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る