第55話 長いトイレ

 お婆さんをタクシーに乗せ、なんとか病院へと送り届ける役目を果たした私は病院を出た。


 お婆さんは看護師さんに連れられてお爺さんの病室へと連れられて行った。

 看護師さんがいうにはまだお爺さんは意識がある状態とのことなので、きっとお婆さんはお爺さんに無事会えただろう。


 お婆さんを病院に連れて行くまでずっと肩に入っていた力は抜けたものの、疲労は溜まっておりホッと一息つきたいところではある。


 しかし、私は急いで映画館のトイレの前まで戻らなければならない。


 藍斗に私の状況を説明できていればあまり急ぐ必要もないのかもしれないが、私は藍斗に連絡を取る術を失っている。


 お婆さんをタクシーに乗せた私はタクシーの中で藍斗に連絡を入れようとしたのだが、カバンの中に入っているはずの携帯はどこかに置いてきたのか見当たらなかった。


 どこに置いてきたのかを考えると、藍斗を待っているときに座っていたトイレの前に置かれていたソファー周辺という答えを導くことができた。


 私は藍斗を待ちながら携帯のインカメで身だしなみを整えていた。その途中でおばあさんがトイレから出てきたので、焦った私はカバンにしまうことなくその場に置いてきてしまったのだろう。


 藍斗の携帯の電話番号も覚えていないので、最近ほとんど目にしなくなった公衆電話を使って電話をすることもできない。


 それに今日は私と藍斗が一緒に出かけているところを同じ学校の生徒に見られないよう家から電車で一時間近くかかる映画館に来ているので、藍斗と落ち合おうにもどこに集合するかなんて決まっていない。


 どうしようもないしどうするべきなのかはわからないが、とにかく私はタクシーを捕まえて映画館に戻ることにした。


 すでに40分近くが経過しており、今から映画館に戻ろうと思うと20分はかかる。

 病院に行くまでの道もかなり混んでいたので映画館を出てから戻ってくるまでに1時間以上は経過してしまうことになる。


 そうなれば藍斗が映画館に留まっている可能性は低い。 


 急にいなくなってしまった私に愛想を尽かしてどこかに行ってしまったり、もう帰宅してしまっているのではないだろうか。


 タクシーに揺られながらそんなことばかり考えてしまう。


 こんなことになるならお婆さんに声をかけなければ……。


 いや、それは違う。私は自分の気持ちに正直に行動したのだ。それを今更後悔するなんてお門違いである。


 もっと時間がかかるかと思っていたが、先ほどよりも道は混んでおらずスムーズに映画館まで戻ってくることができたので、映画館を出てから丁度一時間程で映画館へと戻ってこれた。


 タクシーを降りた私はエレベーターを使って映画館へと昇っていく。

 私が病院に行っている間に藍斗がどこに行ってしまったかなんて分からないので、とりあえずは先程のトイレに戻るしかない。


 でももう帰ってるよね……。


 私、最低だなぁ。今日は藍斗の誕生日で藍斗をお祝いするためにこの遊びに誘ったのだ。

 それなのに、誘うだけ誘っておいて無言で急にいなくなるなんて……。


 どうしてこんなに上手く行かないんだろう……。


 目尻が熱くなり、思わず涙を流してしまいそうになる。

 そのタイミングでエレベーターの扉が開き、私は映画館に到着した。


 恐る恐るトイレの方に近づいていくが、やはり藍斗の姿は見えない。


 トイレだけでなく、トイレの周辺もくまなく見渡してみたがやはり藍斗の姿は見当たらなかった。


 やっぱりいないよね……。


 そりゃそうだ。一緒に映画を見に来ていた人間がトイレから出てきたら急にいなくなっているのだから、どこに行ったかも分からない私をこんなところでずっと待っているなんてバカのすること。


「長いトイレだったな」


「--え?」


 聞き覚えのある声に振り返ると、そこには藍斗の姿があった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る