第44話 お礼でもなんでも、後回しにすると言いづらくなる

 体育祭を終えて時刻はもう日をまたぐ直前。そんな夜中に私は藍斗の部屋の扉の前に立っていた。

 扉の前に立ってからもう5分が経過している。ここまでくるのにかかった時間が約30分ということを考えると、すでに35分もの間、藍斗の部屋に行くのを躊躇していることになる。


 家に帰ってきてから夕食やお風呂、歯磨きなどを全て済ませて自室に戻り今日のことを考えていると、やはり藍斗にお礼を言わないわけにはいかなかった。

 いくら私が藍斗のことを嫌いになろうとしているとはいえ、私のためにしてくれた行動に対してお礼を言わないという選択肢はない。


 二人三脚は結局4組中3着という微妙な結果ではあったが、私たちが体育祭で二人三脚をしているのを写真に納めた陽子さんと隆行さんは家に帰ってきてからもその写真をずっと眺めており、それを見て笑顔になってくれていたので藍斗の口車に乗せられて二人三脚をして良かったと思う。


 そうなるとやはりお礼を言わないわけには……。


 よし、もう思い切って入ろう‼︎ 


 そう思ってドアノブに手を伸ばし、体重をかけようとしたそのとき、愛斗の部屋の扉が自然と開き、私は倒れ込むようにして藍斗の部屋の方に倒れて行った。


「っと。危ねぇな。何してんだよ俺の部屋の前で」


 倒れそうになった私の体を藍斗が受け止める。


 別に私も女子の中で体重が軽い方ではないのだが、予想以上にガッチリと受け止められた私は藍斗の体を上から下まで舐めるように目視した。


「な、なんだよ」


「べ、別に。なんでもない」


 ふぅ〜ん……。


 こんなに細く見える腕でも結構しっかりしてるんだ……。

 身長も大きくなってるし、身体的に成長しているのはわかっていたが、藍斗の体に密着してみるとその成長を尚更実感させられた。


 二人三脚のときは夢中で気づかなかったが、よく考えてみれば二人三脚のときも藍斗の体はかなりガッチリしていたように思う。


 まぁ露天風呂でも私をお風呂場から布団の上まで運んでくれたのだからそりゃ力もあるか……。


 私は露天風呂でのことを色々と思い出し自爆した。


「おい、今度は急激に顔が赤いぞ⁉︎」


「なんでもないから‼︎ 大丈夫だから‼︎」


 私が赤面していることに気がついた藍斗は私の顔を覗き込む。それに対して藍斗の顔を直視できない私は顔を逸らしてしまう。


「本当か? 大丈夫そうには見えないけど……」


「大丈夫だって言ってるでしょ⁉︎」


「そ、そうか? それならまあいいけど。どうかしたか?」


「あ、あの……今日のことなんだけど……」


「お礼なら別にいらないからな」


 私からお礼を言う前に、藍斗は礼はいらないと言ってきた。


 なぜこいつは私の言いたいことを完璧に言い当ててくるのだろう。

 頭の中でも覗かれているのではないかと思うと気分が悪い。


「べ、別にお礼なんか言いにきたんじゃないわよ」


 --何言っちゃってるの私⁉︎ 藍斗に今日のお礼を言いにきたんでしょ⁉︎ 


 私の考えを言い当てられたことが悔しかったのか反射的に否定してしまった。


 このままでは本当にお礼ができなくなってしまう。


「じゃあ他に用事でもあんのか?」


「……今日はありがと」


「やっぱりお礼なのかよ」


「いいでしょ別に‼︎ お礼されて何か不満なことでもあるわけ⁉︎」


「俺は別にお礼を言われるようなことをしていないからな」


「で、でも……」


「……?」


「それでも、私はアンタに助けられたわ」


 一度は否定してしまったものの、なんとか冷静さを取り戻した私は素直にお礼を言うことができた。


「……ふぅん。素直にお礼を言うなんて珍しい」


 藍斗は珍しいものを見るような目でこちらを見ている。


「こ、こんな時くらい素直にお礼の気持ちを受け取っときなさいよ‼︎」


「そうだな。こんな時くらいは素直に受け取っとく」


「もうすでに素直じゃないのよ。次から気をつけてよね」


「はいはい」


 一通りお礼を言い終わると話す内容も無くなり私たちの間から会話はなくなってしまった。


「……今度さ、羽実子さんに報告しに行こうぜ」


「え、なにを?」


「兄妹で二人三脚して3着でしたー、って」


「……そうね。それを聞いたらきっとママも喜ぶわ」


 そして私は藍斗の部屋から退出した。


 藍斗の言葉に私はどうやら完全に牙城を崩されてしまったらしい。


 これはもう……。


 嫌いなままではいられない。

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