第42話 悲劇のヒーロー気取ると気が楽になるのってなんでだろう

 午前中の競技を終えてお昼休みが始まった。


 先ほどまで声援で賑わっていたグラウンドは一旦賑やかさを忘れ、全校生徒がお昼ご飯を食べるために続々と観戦に来ている家族の方へと向かっている。


 そんな流れに逆流して歩いている生徒が一人。そう。私、飯崎莉愛だ。


 私には家族がいない。仕事の都合で両親が来れないという生徒は何人かいるだろうが、両親がいないという根本的問題を抱えているのは私くらいのものだろう。

 私をママの娘として育ててくれている陽子さんと隆行さんは体育祭を観に来てはいるが、私みたいな部外者が家族三人の時間を邪魔することはできない。


 陽子さんと隆行さんも本音では私は邪魔者で、藍斗と3人で過ごしたいと思っているかもしれないし……。

 いや、あの2人に限ってそんなことを思っているとは思わないが、やはりそう思わずにはいられなかった。


 お昼休みは1人でご飯を食べることになると分かっていた私は学校に来る途中、コンビニに寄っておにぎりを1つ購入した。

 おにぎりの具は私のお気に入りである海老マヨ。安いおにぎりよりも若干値段が高いが、こんなところくらいは贅沢したってバチは当たらないだろう。


 おにぎりが入った袋と水筒を持ち、目立たないように人目につかない場所を探す。


 全校生徒がグラウンドで昼食を食べているので人目につかない場所を探すのは簡単だ。学校中どこに歩いて行ってもグラウンド以外に私以外の生徒は見当たらない。

 どこで昼食を取るか悩んでいた私だったが、最後に選んだのはいつも私たちが過ごしている教室だった。


 いつも必ず誰かがいる教室には誰もおらず、窓の外を見るとテントの下でブルーシートの上に座り楽しそうに昼食を取っている家族の姿が目に入ってくる。


 なんでだろう。こんな幸せな状況見たくないはずなのに、どうしても見てしまう。

 怖いもの見たさなのか、それとも羨ましがっているのか……。


 いや、ただ悲劇のヒーローを気取りたいだけなのかもしれない。


 私以外の生徒が誰もいない教室で、私はいつも座っている自分の席に座った。


 初めて経験する誰もいない、物音1つない静まり返った教室。誰もいないということはこんなにも寂しいことなのか。

 そんな状況の中で改めて実感する。私は1人なのだと。誰も私のそばにいてくれる人はいないのだと。


 お願いしたわけではないけれど、私の周りにはいつもくるみがいて、くるみの側には必ず瀬下くんがいて、瀬下くんの側には必ずあいつがいる。


 そして決まってみんなが集まるのは私の隣の机。そう、そこは他でもない藍斗の席だ。私は藍斗の席をジーッと見つめる。


「……不本意だわ」


 お昼になるにつれて気温が上がり暑くなってきたというのに、教室の中にはどこかひんやりとした空気が漂っている。

 それなのに誰も座っていない藍斗の席に藍斗が座っているのを想像するだけで、少しだけ寂しさは晴れて暖かみを感じた。


 不本意ながら、私は藍斗が横にいることに安心感を覚えているらしい。


 藍斗が隣の席に座っている状況を想像しておにぎりを一口食べる。

 コンビニのおにぎりはすごく美味しい。その美味しさはもしかすると健康にはよくないのかもしれないが毎日でも食べたいと思うほどだ。


 こんなに美味しいおにぎりを食べているというのに、やはり想像では私の心は満たされてはくれない。


「ママ……パパ……」


 弱気になって思わずそう呼んでしまった次の瞬間、教室の引き戸がガラガラッと大きな音を立てて開き、ドンッと壁にぶつかる音が教室中に響き渡る。


「やぁっと見つけた」


 開いた引き戸の先に立っていたのは幼馴染、藍斗だった。


「え⁉︎ 藍斗⁉︎」


「--っ。なんで急に名前で呼ぶんだよ。びっくりするじゃねぇか」


「い、今のはそのっ⁉︎ 呼ばざるを得ない状況だったというかなんというか……」


 急な出来事で思考が停止してしまっている私は普段名前で呼ばないようにしていることを忘れて思わず藍斗と名前で呼んでしまった。


「まぁいい。それよりなんでこんなとこにいるんだよ」


 呆れたように私に問いかける藍斗の語気はどこか強まっているようにも聞こえる。


「だ、だって……」


「だって?」


「私は……本当の家族じゃない」


 こんなこと、口に出すべきではないと分かっている。口に出したってどうにもならないし全員が傷つくだけ。

 

 それなのに、私の口からは自然と言葉が溢れた。


 陽子さんと隆行さんは私にとても良くしてくれる。それはもう本当の娘と同じかそれ以上に優しくしてくれる。

 でも、それでも本当のママとパパがいないという状況はただの女子高生である私に耐え切れる状況ではない。


 ここまでずっと我慢してきた言葉がここにきて溢れてしまったのだ。


「……はぁ。あのな、確かにこないだの旅行のとき、俺はお前を家族だとは思ってない、幼馴染だと思ってるって言ったよ。だからってな、家族だと思ってないわけじゃない。それに母さんと父さんはどう思ってると思う?」


「そ、それは……」


 藍斗の質問への返答に逡巡していると、激しく切れた息が聞こえてきて、陽子さんが教室の入り口から姿を表した。


「はぁ、はぁ……。ほら、莉愛ちゃん。一緒にお昼ご飯にしましょう‼︎」


 そう言って陽子さんは私に向かって大きなバケットを差し出す。

 陽子さんがなぜここにいるのかという疑問はあるが、陽子さんが激しく息を切らしていることの方が私は気になった。ここまで走ってきたのだろうか。


「まあママの弁当はコンビニのおにぎりよりうまいとは限らないけどな」


 遅れてやってきてから冗談混じりでそう言って陽子さんに脇腹を膝で強打されたのは隆行さんだ。


 隆行さんの発言はこの状況で私がおにぎりを買っていることを後ろめたく感じてしまう可能性を考慮してのものだろうか。


 実際、隆行さんの言葉で私は心に余裕を持つことができた。


「もう、それにしたって私たちを置いて走って行かなくてもいいのに。どれだけ待ってって言っても血相変えて走ってっちゃうんだから。男子高校生の足には追いつけないわよ」


「ちょ、ちょ、母さん? 俺別に血相変えて走ってねぇから。めちゃくちゃ歩いてたから」


「なぁに言ってんのよ。アンタが一番最初に突っ走ってったじゃない」


「……はぁ」


 藍斗は項垂れながら右手で顔を覆い首を横に振っている。

 まさか藍斗が? 私のことを心配して探し回ってくれてたの? それも血相変えて? 陽子さんの声が聞こえないくらい?


 藍斗の反応でそれが事実なのだということを察した私は思わず胸を弾ませてしまった。


「……まあそういうことだ。もう言わなくてもわかるだろ」


「……うん」


 どうやら私は天井家の娘として正式に認定されているらしい。

 もういっそこと、苗字も飯崎から天井に変えてしまおうかと冗談混じりに考えながら、藍斗と結婚すればそれが実現してしまうということに気づき、私は隠れて顔を赤らめていた。

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