第35話 長湯は禁物

「いいわよ」


 何がいいのか、と自分に問いかけてはみるがどうやら今の私は正常な判断ができなくなっているらしい。


 普段なら藍斗に嫌われるために絶対脱衣所まで藍斗を呼ぶなんてこと絶対にしない、というかそもそも脱衣所に藍斗を呼ぶなんて恥ずかしいことを絶対にしない。

 しかし、時すでに遅し。藍斗は脱衣所まで入ってきており扉を一枚開けたらそこに藍斗がいるという状況が出来上がってしまった。


 かなり際どい状況ではあるけど天井家での状況も今の状況とあまり違いはないので変に意識する必要はないはず、たぶん、いや、きっと、絶対。


 自分で藍斗を脱衣所まで呼んでおきながらその先の展開を考えておらず、気まずさを感じた私は藍斗に話しかけた。


「部屋に露天風呂があるってのも変な感じね」


「普通は無いからな」


「貸切って感じがしていいわね。温度はちょっと熱いけど気持ちいいわ」


「確かに熱かったな。熱すぎて俺も長風呂はできなかったし」


 扉一枚越しで全裸になっているとはいえ、一応タオルは巻いて入っているので恥ずかしさも若干は薄れる。


 多少の恥ずかしさは拭えないがいつまでも必要のない会話を続けていても意味がない。せっかく普段ならあり得ない状況なのだから、普段なら訊くはずのないことを藍斗に訊きたいと思ってしまった。

 旅行に来ているという状況と服を着ていないという開放感もあってか、私は先程の話の続きを話し始めた。


「……私もね、あんたのことは家族だと思えなかったの」


「……え?」


 先程終わった話を蒸し返してまで何を言っているのだろうか。私は藍斗に嫌われなければならない。でも、考えと行動は全く別のものになってしまっている。


「陽子さんと隆行さんは本当によくしてくれて、本当の両親みたいですごく暖かいんだけど、あんただけは本当の兄妹って思うことはどうしてもできなかったのよ」


「そうか」


「私の中でもね、あんたは幼馴染でしかないの」


 私がそう言うと扉の向こうからガタッという物音が聞こえてきて藍斗が狼狽えているのが分かる。

 私に狼狽えていることを悟られたくなかったのか、藍斗は平然と私の会話に賛同してきた。


「俺もそうだからな。気持ちはわかる」


「幼馴染以上、恋人未満的な?」


「何言ってんだおまえ。てか恋人未満なのかよ」


 気が抜けてしまったのか、気を許してしまったのか、私がこれまでせき止めていたものが一気に溢れ出す。藍斗にも言われたけど、何言ってんのよ私。幼馴染以上って何? どういうこと? 説明してほしいわ。


 今の私からは藍斗に冷たく当たっている私の姿はカケラも見られない。


「そうよ。恋人未満。だって……」


「……だって?」




 いつまでも幼馴染以上でいたいから。




 そんな私の言葉が口に出ることはなかった。


 私はやはり藍斗と幼馴染以上の関係を望んでいる。今は私が望む幼馴染以上の関係ではあるが、恋人未満の関係だ。 


 欲を言えばやはり私は藍斗と恋人になりたい。

 しかし、今ある幼馴染以上の関係や私の居場所を壊してまで、それを望もうとは思えなかった。


 しばらく口をつぐんだまま露天風呂に入り続けていると少しずつ意識が朦朧としてきて視界が暗くなっていくのが分かる。


 色々なことに悩み過ぎていた私は自分がのぼせていることに気が付かなかったようだ。  

 少しずつ私の視界は狭まっていき、最後には完全に真っ暗になった。




◇◆




 目を冷ますと、私は部屋の畳の上に敷かれた布団で横になっていた。

 

 最初はもう朝か、なんて思いもしたがまだ陽の光が差し込んでくる様子はない。

 しばらくして自分が露天風呂の中で意識を失ってしまったことに気がついた。


 私としたことが、まさかのぼせるなんて……。


 私はやけに重たい体をなんとか起こした。


 すると、私の上にかけられていた浴衣がハラリと落ちる。


 そして私は裸になった。 


 ……え、裸? 


 あれ、私浴衣着てなかったかしら……。浴衣、浴衣……。 

 そう言われてみれば自分で浴衣を着た記憶はない。


 布団から起き上がり裸の状態になって焦った私はすぐ部屋を見渡すが、部屋の中に藍斗がいる様子はない。


 よかった……藍斗に裸を見られるところだった。


 --いや、ちょっと待て。


 私は露天風呂に入っていたところから記憶が朧げとなっており、自分で布団に寝転がった記憶はない。それなら私はなぜ布団の上に?


 --ま、まさか!?


 藍斗がここまで運んだってこと!? 全裸の私を!?


 いや、でも私はタオルを巻いて風呂に入っていたのでまさか全裸を見られているわけ……。


 いや、今私全裸だし!! それにビチャビチャのタオルを巻いたまま布団の上に寝かせる訳ないわよね!?


 動揺しながらも、私はとりあえず急いで浴衣を着た。


 浴衣への着替えが終わったタイミングで部屋の扉の鍵が開く音がして扉が開く。


「お、起きてたか」


 何食わぬ顔で部屋に戻ってきた藍斗はスポーツドリンクのペットボトルを二本持っている。


「ええ。もう起きてるわよ」


 正直かなり同様はしているが、藍斗にそれを悟られないよう私は平然とした態度で藍斗との会話を続けた。


「そりゃよかった」


「あの、1個だけ確認させてもらってもいい?」


「どうした?」


「私、お風呂でのぼせたわよね」


「そうだな」


「アンタが布団まで運んでくれたの?」


「そうだ」




「……見た?」




「……見てない」




「あ!! 今変な間があったわ!! 絶対見たでしょ!?」


 私が藍斗に訊ねると、藍斗は変に間を開けて返答してきた。これは確信犯だと言わざるを得ないだろう。


「……いや、見てない」


「本当に見てないならこっち見て言えバカ!!」


 変な間を空けるだけでなく、藍斗はあからさまに目線をそらして返答してきた。

 そこまで分かりやすく嘘をつくのなら最初から正直に言っても良かったのでは?


「ふ、不可抗力だろ!! ビショビショのタオル体に巻いてのぼせたやつをそのまま寝かせとく訳にもいかねぇし⁉︎」


「み、認めたわね!? この変態!! 痴漢!! 強姦魔!! ド変態!!」


「あのままほおって置けってのか!? あと最後の方が変態度増してるのやめろ!!」


「なんとか変態で留まらせてあげてるだけ感謝しなさいよ‼︎ 別に陽子さんを呼びに行くとか、やりようはいくらでもあったでしょ⁉︎」


「母さんなんか呼んできてこの状況どう説明すんだよ⁉︎」


 藍斗の的確な指摘に私はぐぬぬっと後退りする。確かに陽子さんが私が裸で倒れているところを見たら後でどう状況を説明しようか難しいところだ。


 動揺から藍斗の事を執拗に罵ってはいるが、藍斗の取った行動は間違っていない。私のためを思っての行動なのだからこれで藍斗を攻めるのも違う気がする。


「……まぁそうね。私が悪かったわ」


「お、おう」


「何よ。驚いた顔して」


「いや、なんかいつもよりやたらに素直だったから」


「フンッ。私はいつも素直よ」


 いつもより自分が素直になっているのは自分でも理解している。


 やはり今の私は、いろいろな点においてガードが甘くなっているようだ。

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