第32話 温泉の熱に当てられて

 俺は飯崎に裸を見られてから部屋の露天風呂に入り日々の疲れを癒していた。

 とんでもない事件ではあるが、旅館の雰囲気が俺の心を落ち着かせてくれる。後からジワジワきそうだけど。

  

 疲れを癒した俺は風呂から上がり浴衣を着てブローをしていた。

 ブローを終えたタイミングで入り口の扉の鍵を開ける音が聞こえてきて、飯崎がそーっと部屋に入ってくる気配を感じる。どうやら大浴場から戻ってきたようだ。


 普通ならそーっと部屋に入ってくる必要などないが、先程の事件があったからにはいつもの勢いで部屋に入ってくることはできないだろう。


「もう裸じゃないから大丈夫だぞ」


 部屋に入ってくるのにビビっている飯崎に俺が先程の姿ではないことを教えてやる。


「……フンッ。別にあんたの裸なんか気にしてないわよ。どうせ昔たくさん見てるんだから」


「俺もお前の裸たくさん見てるけどな」


「バ、バカ‼︎ なに気持ち悪いこと言ってんの⁉︎」


 風呂に入ってのぼせてしまったのか、昔の記憶を蘇らせて恥ずかしくなったのか、飯崎の顔は急激に赤くなっていく。


 少し前ならこんな冗談を言うだけで飯崎は本気でキレて冷たい目を向けてきていたので、もしかすると俺と飯崎の関係は多少改善されてきているのかもしれない。

 それともただ旅行に来て気が緩んでいるだけなのだろうか。いつもは飯崎が俺を貶す言葉にイライラしてしまうのだが、今日はそういった感情を一切感じない。


 風呂から上がりブローを終えて少しは 熱った体を冷やそうと俺は風にあたるため窓際の席に座って窓を開ける。

 やはり露天風呂にお湯が注がれる心地よい音が聞こえてきて、俺の気持ちはさらにリラックスされていく。


 今なら、昔の蟠りを解いて飯崎との関係を改善できるのではないだろうか。


 そう思って俺が口を開こうとした瞬間、飯崎の方から俺に訊いてきた。


「あ、アンタはさ、私のこと家族だと思ってる?」


 この質問はチェックインをした時に飯崎が気にしていたことの延長だろうか。


 飯崎は最近になって家族のことについて気にするようになった。その理由は分からない。

 ……いや、きっと飯崎は最初から今までずっと、そのことを気にして生きてきたのだろう。


 俺からしてみれば実の母親と父親と暮らしているだけの普通の生活なので気づいていなかっただけだ。飯崎はずっと自分の居場所を確認し、探していたのだ。


 この質問をしてきた飯崎に対して俺はなんと答えるべきなのだろう。


 家族だと思ってるよ、なんてありきたりな返答は飯崎の悩みから逃げたも同然になってしまう。

 やはり話すなら本音で、それがたとえ失礼で飯崎の望んでいた回答ではなかったとしても、俺が今飯崎に対して思っていることを話すべきだろう。


「すまん。俺は飯崎を家族だと思った事はないし、多分これからも思えん」


 自分の本心を飯崎に話すと飯崎は俺が気づかない程度に俯き、表情を曇らせた。


「……そっか」


「だって飯崎は俺の幼馴染だろ?」


「……え?」


 飯崎は俺の返答にキョトンとした顔をしている。


「飯崎と一緒に家に住むことになって、そりゃ最初は俺も飯崎と家族に、兄妹にならないといけないって思ってたんだ。でも一緒にいれば一緒にいるほどやっぱ飯崎は幼馴染なんだよ。昔から俺のよく知る飯崎でしかないんだよ。だからさ……」


「な、なによ」


「ひ、人並みにドキドキしたりはする」


「……は?」


「だ、だってそうだろ⁉︎ 事情が事情とはいえ同い年の女の子が急に一緒に住むってなったら誰だってドキドキするって‼︎」


 自分でもなにを言っているのか理解が追いつかないが、一度話し始めたら俺の口は止まらなかった。


「そ、そうなのね……」


「そ、そうだ」


「……。へぇ〜。アンタ、私がずっと同じ家で一緒にいるからドキドキしてたんだ」


 したり顔で俺の方に目線を向けてくる飯崎の表情に、負けたような気はするがその顔ができると言うことは、飯崎の悩みを少しは解消してやれたということではないだろうか。


「仕方ないだろ。俺だって健全な男子なんだから」


「ふーん。健全なんだ。じゃあ提案があるんだけどさ」


「提案?」


「私、今からそこの露天風呂入るから、こっち見ないようにしてて」


 ……何言ってんだこいつ?


 飯崎はきっと大浴場でのぼせたのだ。そうでなければそんなこと言うはずがない。


「なにいってんの⁉︎ やめとけってそんなことするの‼︎」


「アンタだけこの部屋の露天風呂楽しんで私が楽しめないのは悔しいじゃない‼︎ アンタが覗かなければいいだけの話でしょ?」


「ま、まぁそれはそうだけど……」


 なにやら変なスイッチが入ってしまった様子の飯崎はそのまま露天風呂へと続く脱衣所へと入っていく。


「ひ、一人は寂しいから……。私がいいって言ったら脱衣所まできて会話してくれない?」


「べ、別にそれは構わんが」


「ありがと」


 そして飯崎は脱衣所へと姿を消した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る