第16話 悲しむ人が自分だけなんてあり得ないのね

 翌週の土曜日、藍斗の両親は相変わらず仕事で家を空けており、家の中には私と藍斗の二人きりだった。


 今日は私にとってとても大切な日で、外出するために身支度を進めている。


 そして藍斗も、何やら急いで身支度をしている。


「どうしたのよ。今日何か予定でもあるの?」


「瀬下と遊ぶんだよ」


 藍斗が遊ぶ相手と言ったら瀬下君しかいない。昔からあまり友達を多く作るタイプの人間ではなかったが、私の事情もあり家から離れた高校を選んでいるので中学時代に関わりのあった友人とは連絡を取らなくなり余計に友人が減ってしまっている。


 それには少なからず責任を感じているのだけれど……。


 藍斗が今日瀬下くんと何をするのかは知らないが、どうせまたカフェにでも行くのだろう。


 藍斗は紅茶が好きで、家には様々な種類の紅茶が置いてある。

 毎日紅茶を飲むなんて高校生らしくないし、格好つけるため無理でもしてるのかしらね。


 格好をつけているのだとしたら、結局色々な紅茶を飲んだ挙句リプトンのレモンティーが一番好きなのだから全く目的を達成できていない。


 というかレモンティーったら紅茶なのかしらね。そこすら危ういわ。


「へぇー。アンタも暇ね」


「おい、それは瀬下も一緒に侮辱してるからな?」


「そ、そんな訳ないじゃない。アンタだけよ」


「お前もどっか行くのか? 急いで準備してるみたいだけど」


 藍斗と同様に身支度をしている私がどこに行くのかを疑問に思った様子の藍斗が質問してきた。

 その質問をしてくる時点で、藍斗が今日なんの日かを覚えている可能性は低い。


「……私もくるみと遊ぶのよ。アンタみたいに暇じゃないから」


「え、いやそれ俺とやってること同じだけど?」


「うるさい馬鹿‼︎」


「あっそ。それじゃ、もう行くから」


「ちょ、ちょっと」


「え、なに?」


「今日……何の日か知ってる?」


「……知らんな。今日何かあったか?」


「……なんでもない。早く出てけ。バカッ」


 一度は私がどこに行くのか興味を持った藍斗だったが、結局今日が何の日かを当てられないまま家を出て行った。


 今日は何の日か、という質問に藍斗が答えられる訳もない。


 今日はママの月命日だ。命日を気にする人はいても、月命日に毎月お墓参りをしている人なんて中々いない。流石の藍斗でも命日は覚えているだろうが、月命日は意識していないだろう。

 それでも私は月命日には必ずお墓参りに行っている。


 ママの命日には天井家と一緒にお墓参りに行った。私の事が嫌いな藍斗も、ママの事が絡むと流石に断れなかったようで一緒に来てくれていた。


 藍斗が月命日なんて覚えていなくて当たり前。それでも私にとっては大切な日だ。


 藍斗がそれを気にしていないことを気にしながらも、お墓参り後にくるみと会う予定があり、その予定に遅れる訳にはいかないので私は身支度を済ませ急足で墓参りへと向かった。




 ◇◆




 地元の花屋で供花を購入してから私はママのお墓へとやってきた。

 バケツに水を組み、バケツの中に柄杓を入れて私はママのお墓へと向かった。


 陽子さんと隆行さんは仕事が忙しいし、仮に月命日を覚えていたとしてもお墓参りに来る事はできないだろう。

 でも、藍斗ならいくらでも時間があるはずだ。瀬下くんと遊ぶなんて意味のない事に時間を使うよりも、たまにはお墓参りに来てくれれば良いのに……。


 いや、そもそも藍斗の頭の中に月命日という概念があるのかどうかすら怪しいわね。


 ママのお墓参りに来たというのに頭の中は藍斗の事で埋め尽くされている。私は必死に藍斗の事を忘れようとしながらママのお墓へと歩いていった。


 あれ、ママのお墓の前に誰かいる……?


 ママのお墓に近づいていくと、ママのお墓の前で誰かが手を合わせて座っているのが目に入った。


 ママの知り合いか? それとも陽子さんか隆行さん?


 いや、違う。あのシルエットは……。


「--え?」


「--え?」


 私が藍斗の姿をみて思わず声を出すと、その声に反応してこちらを見た藍斗が私と同じ声を上げた。


「……なんでここにいるの? アンタ瀬下君と遊びに行くんじゃなかったの?」


 ママのお墓の前で座って手を合わせていたのは、瀬下くんと遊びに行くと言って家を出て行った藍斗だった。


 何故藍斗がここに? 瀬下くんと遊びに行ったんじゃなかったの?


「い、飯崎こそ、くるみと遊びに行くんじゃなかったのか?」


「くるみと遊ぶ前にお墓参りして行こうと思って……」


「……はぁ。俺も同じだよ。瀬下と遊ぶ前に墓参りしに来た」


 え、私と同じ? 


 藍斗はママの月命日なんか気にしてなくて、気にしてないどころか月命日という概念すら知らないはずじゃ……。


「え、でもアンタ今日がなんの日かなんて……」


「馬鹿。今日は羽実子さんの月命日だろ。誰が忘れるかよ」


「え、でも今までアンタ月命日なんて……」


「……」


「な、何よ黙り込んで」


「……毎月来てるよ」


「え、毎月?」


「ああ。羽実子さんにはお世話になったし、俺自身未だに信じられないんだ。この世に羽実子さんがいないって。それならせめて、毎日は無理でも月命日くらいは会いに来ないとなって」


 俺自身未だに信じられないという言葉を聞いた瞬間、ママを失って悲しんでいるのは私一人だけではなかったんだと安心して涙が出そうになった。


 私はママがいなくなってしまった事を頭では理解しながら心では理解できていない。どれだけ時間が経ってもたまにやってくる、私はこの世で一人ぼっちなんだ、という感覚は消え去ってくれなかった。

 ママのことを覚えているのは私だけで、みんなそのうちママのことを忘れてしまうのではないかと思っていた。


 でも、それは違ったのだ。


 藍斗もまだママが死んだ事を受け入れきれなくて、こうして毎月会いに来てくれている。

 藍斗も私と同じ気持ちだった事を知った私は安心感を覚えた。


「……そう……なんだ」


「ああ。しっかり報告しといたぞ。飯崎が僕をいじめるんですって」


「い、いじめてなんかないわよ‼︎」


「はいはい。わかったわかった」


「なんにもわかってない‼︎」


「ほら、早く手合わせろよ。お前も羽実子さんと話に来たんだろう?」


「うっさい。言われなくてもやるわよ」


 そして私はお墓の前で手を合わせる。


 ママ。私、ママがいなくて寂しいけど元気にやってるよ。陽子さんも隆行さんもいるし……い、一応藍斗もいる。


 だから何も気にしないで、ママはゆっくり休んでね。


 そして私はくるみと、藍斗は瀬下くんと遊びに行くために別れたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る