第15話 全ては君のために
土曜日、特に予定も無い俺はリビングテーブルの椅子に座りながらテレビを見ていた。そしてキッチンでは飯崎がロールケーキを切っている。
このロールケーキは昨日母さんが買ってきたもので、昨日の夜食べきれずに余った分を飯崎は朝食後に食べようとしていた。そんなもんばっか食ってたら太るぞ。
「私、ロールケーキ食べるけどあんたも食べる?」
「……え?」
飯崎があまりにも意外なことを聞くものだから、思わず驚いてしまった。
「え、じゃないわよ。アンタ甘いの好きでしょ?」
「え、あ、そうだな。じゃあ食べるわ」
なにこれ怖い。なんで急に飯崎が優しいんだ?
飯崎は俺の事が嫌いでたまらないはずだ。そんな俺にそんな優しい声をかけるなんて何事?
いや、まぁ最近優しい姿を見せてくれるところもあるし本当に優しくなっただけなのかも……。
いや、油断するな俺‼︎ 甘い言葉をかけておいて毒殺とかもあり得るからな。
流石にそれはねぇか‼︎ 本物じゃないとはいえ家族だしな‼︎ ははははははっ‼︎ やべぇ怖ぇ。
そして俺は飯崎が机の上に出してきた二つのロールケーキをよく観察する。もし毒が含まれているならどちらか色が違ったり匂いが違ったり……。
そう思って二つのロールケーキを見比べてみるがそんな違いがあるはずもない。
……馬鹿か俺は。
いくら俺の事が嫌いだからといって飯崎がそんな事をする訳がない。
ロールケーキは二つ。よく見ると片方だけ若干大きい。こないだ泣かせてしまった事もあるし、大きい方をやるかな……。
いや待て、あいつそういえば体重のこと気にしてたよな。それなら俺が大きい方食べたほうがいいか。こんな微妙なサイズの違い、飯崎は気付いてないだろうし。
そして俺は大きい方のロールケーキを食べ、自室へと戻っていった。
◇◆
「お風呂上がったわよ」
……え?
俺は自分の耳を疑った。
飯崎はいつも風呂を上がったからといって俺にそれを報告してはこない。それなのに何故今日は俺に風呂を出た事を報告してきたのだろう。
「あ、ああ。じゃ俺も入るかな」
飯崎の異変に動揺しながらも、動揺している姿を見せると揶揄われるので俺は冷静に風呂に向かった。
脱衣所で服を脱ぎながら洗濯機に服を突っ込む。いや、まじでなんで俺にわざわざ風呂を出た事を報告してきたんだろうな。
疑問に思いながらも俺は風呂の扉を開けた。
「な、なん……だと?」
俺は風呂場の光景を見て一瞬固まってしまう。いつもの飯崎が上がった後の風呂場とは圧倒的に違う部分がある。
浴槽にお湯が残ったままなのだ。
飯崎の入浴時間から考えて、湯船には浸からずシャワーだけで済ましたとは考えづらい。という事は飯崎はこのお湯に浸かっている事になる。
飯崎はいつも自分が浸かったお湯に俺が入るのを嫌がって、俺が飯崎の後に風呂に入る場合は必ず風呂のお湯を抜いている。
それなのに、なぜ今日は風呂のお湯が抜けていないんだ? ただ抜くのを忘れただけなのか?
なんにせよ、今ここに飯崎の出し汁が残っていることは間違いない。
そして俺は手をそのお湯に突っ込んだ。
「うん。まだ温かい。今日のお湯で間違いないな……」
今俺がお湯の中に手を突っ込んだのは温度を確認するためだ。そうする事でこのお湯が今日のお湯なのか、昨日のお湯なのかが分かる。
決して飯崎の浸かったお湯に手を突っ込みたかった、なんて他意はない。絶対にない。
「……」
そして俺は静かに浴槽の栓を外した。
このままこのお湯をここに残しておいたら俺は大切な何かを失ってしまうかもしれない。
それに、飯崎はいつも俺に入られるのが嫌でお湯を抜いているのだから、俺がここでこのお湯に浸かってしまっては飯崎が嫌な思いをするのは目に見えている。
そして俺は風呂を沸かし直した。
もう飯崎の涙は見たくない。いや、見ない。流させない。そう誓ったのだから。
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