第8話 飯崎の襲来
どういう風の吹き回しだ?
普段であれば天地がひっくり返ったとしても飯崎が俺の部屋に来るなどあり得ない。まあ今実際俺の視界は天地ひっくり返ってるんだけど。
俺と飯崎の仲が良かった頃ならまだあり得る話だが、今となっては飯崎が俺の部屋にやってくるなど夢物語に等しい。
飯崎が俺の部屋にやってくる理由があるとすれば、やはり飯崎が先程涙を流した事だろう。
飯崎の事を考えて床を転がり回っていた俺は急いで起き上がり、ようやく天地がひっくり返った状況から抜け出した。
正常に戻った俺の視界には目の前に立っている飯崎の姿がよく見える。天地がひっくり返っている時は気が付かなかったが、飯崎の鼻先は真っ赤になり目は酷く腫れ上がっている。
こんな飯崎の顔を見るのもあの日以来だな……。
とりあえず飯崎の問いかけに返答しないといけない訳だが、何やってんのよ、って聞かれても、飯崎の事考えながら転がり回ってましたとは言えるはずもない。
苦し紛れではあるが、何もしてませんと回答するしかない。
「いや、別に何も」
「苦しすぎでしょ。あんだけ物音立てながら転げ回ってたら流石に私の部屋にも響くわよ」
そうですよね苦しいですよね聞こえますよね。
通常時であれば俺が自室の中で転がり回れば隣の部屋にいる飯崎に物音が聞こえてしまうことくらい容易に想像がつく。
それなのに、俺とした事が飯崎の泣き顔を見て動揺してガードが緩くなってしまっていたようだ。
「……すまん。流石にやりすぎたかもしれん」
飯崎に涙を流させてしまった事を考えると意外にも俺の口からは自然と謝罪の言葉が出てきた。
「謝るのにかもしれないって、謝る気ある?」
「いや、謝りたいって気持ちと謝りたくないって気持ちが交差して出会い頭に衝突した感じになってるわ」
「ふんっ。まあ今までどれだけ喧嘩しても謝罪してこなかったあんたにしては良くできたんじゃない」
「……へ?」
俺はてっきり、「ちゃんと謝罪しなさいよ。首を垂れて謝罪するってのが常識でしょ?」なんて残忍な言葉を投げかけられると思っていたので、予想外の返答に目を丸くした。
「……な、何よ」
「いや、久々に莉愛……いや、飯崎とまともに喋ってるなと思って」
「--っ。知らないわよバカ」
飯崎とまともに会話が成立していたのは羽実子さんの生前の話。あれからもう一年以上の期間が経過してしまっている。
飯崎との会話に懐かしさを覚えた俺は思わず飯崎と仲が悪いことを忘れて飯崎のことを"莉愛"と名前で呼んでしまいそうになった。
それを聞いた飯崎は一瞬狼狽えたような表情を見せたが、すぐに体裁を取り戻した。
また飯崎の事を莉愛と呼んでやれば飯崎の狼狽えた姿が観れるのではないかと考えると、これからちょくちょく下の名前で呼んでやろうかとも思ったが、それは俺にもダメージがあるのでやめておこう。
「……」
「どうした?」
俺のことをバカと罵ってから飯崎は黙り込んでしまった。言葉も見当たらなくなるほど俺のことが嫌いなのだろうか……。
いや、俺だって、飯崎の事なんか大嫌いだ。
……でも、飯崎が俺の事を嫌いって言わなかったら、俺から飯崎のことを嫌いになることなど絶対に、100パーセントあり得なかっただろうな。
「……」
「てかなんで俺の部屋きたの?」
「……」
ダメだ、飯崎が完全に黙り込んでしまった。勢いで俺の部屋まで来たのはいいものの、その先の展開は何も考えていなかったようだ。
マジで全く動かないな。ハシビロコウくらい動かんわ。
「……そ、そういえばなんかあんたの部屋、変な匂いしない?」
分かる、分かるぞ飯崎。気まずくて何か話題を見つけなければと一生懸命考えたんだろうが、考えに考えた末に見つけた話題が俺の部屋から変な匂いがする、って内容なのは酷すぎませんか?
こりゃもう末期だな。俺の事嫌いとかじゃなくてもう人として見てなくない?
とはいえ、自分の部屋から変な匂いがすると言われれば気になるのも事実。
「……え? 変な匂い?」
俺は自分の部屋から変な匂いなど感じたことがない。なんなら消臭剤も置いているし、その辺りは同い年の女子が一緒に住む者として気を遣っているつもりだ。
え、この年齢にしてもう加齢臭とか⁉︎ いや、流石にそれは考えづらいな……。
臭源に心当たりのない俺は飯崎のそばを見渡す。すると、飯崎のすぐ隣に置かれていたゴミ箱が目に入ってきた。
--まさか⁉︎
だとしたらやばい‼︎ それはやばい‼︎
普段飯崎が部屋に入ってくることはないし、両親が俺の部屋に入る事もまずない。ゴミ箱のゴミは自分で捨てるし、全く警戒していなかったがそれはやばすぎるだろ‼︎ 大ピンチ‼︎
そのゴミ箱には危険物が包まれた例の物、し、シコティッシュが‼︎
「あ、あれかな⁉︎ 俺いつも部屋のカーテン閉め切ってるしカビ臭いのかな⁉︎ と、とにかくこんな汚いところは美少女の飯崎には似合わねえから‼︎ さ、もう行こう‼︎ 自分の部屋に戻ろう‼︎」
俺は急いで飯崎の肩をもち、くるっと方向転換させて飯崎が部屋から出て行くよう促した。
「え、ちょっと急に何⁉︎ そ、それに今あんた美少女って……」
「な、何ってそりゃこんな汚いところにいたらカビ吸い込んで肺がおかしくなるだろ⁉︎ 汚らしい俺がカビ臭くなるのはまだしも超絶美少女の飯崎にそんな臭い部屋にはいさせられないからな‼︎」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ‼︎」
「は、はい⁉︎」
再び聞いた飯崎の大声に俺は体を丸めた。大声をあげたくせに、飯崎はそれからしばらく黙り込んでしまった。
飯崎が大声を出したのには驚かされたが、とりあえず廊下には出れたからよしとするか。廊下に出てしまえば危険物の臭いが漂ってくる事もないし一安心だな。
……いや、もしかして飯崎が大声を出したのはなんの匂いかバレたからか⁉︎ だとしたらやばいやばいやばすぎる。
いや、飯崎はあの臭いを嗅いだ事がないはず。それなら変な臭いだとは思っても、何が臭源かは気付かれないはずだ。
だ、大丈夫。俺、飯崎はオカズにはしてねえから……って言えたらよかったんだけどなあ……。
正直したことあります。何回も。何杯もご飯おかわりさせていただきました。
「……」
飯崎は相変わらずのダンマリ、ウンとかスンとか言ってくんねえかな。
こっちは飯崎の横にあるシコティッシュで頭いっぱいなの。分かる?
「わ、私……。べ……に、あん……と、きら……じゃ……ら」
「え、なんだって?」
飯崎はゴニョゴニョと口を動かし、何を言っているのか言葉が聞き取れない。
「な、なんでもないわよ‼︎」
「いや、頼むってもう一回だけ」
「……私別に、あんたのこと、嫌いじゃないから」
「え、それってどういう……」
飯崎はそう言い残し、俺の部屋を後にした。
俺を嫌いじゃない? いやそんな訳は……。
飯崎の真意など考えても考えても理解できるはずがないのに、俺はしばらく自室で飯崎の発言について考えていた。
おっと、その発言の真意を考えるよりも先に俺にはやらなければならない事があるだろ。
そして俺は一階から市指定のゴミ袋を持ち出し、シコティッシュを優しく丁寧に袋へと詰めた。
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