——ヒーロー見参!
誰一人として、気づいている者はないが、俺は知っている。
この世界は作り物なのだ。小説みたいに、誰かによって書かれた世界……いや、もしかしたら、小説そのものかもしれない。そうに違いない。そうだ。俺のいるここは、小説の中なのだ。
恐ろしいことに、そのことに気づいているのは、俺だけなのだ。
誰かが作った。でないと辻褄の合わないことがたくさんある。まず俺という存在だ。俺には、記憶がない。それ自体は、調べてみると、記憶喪失という病気があるから、なんともないのだが、俺にはそれどころか、住所も経歴も親もないのだ。しかし、名前と、俺を知る者と、未来に対する、何かすべきであるという、確信と、恐怖感だけがある。
俺がそうであるから、この世界もきっとそうなのだ。そうであるはずだ。全ては作り物で、誰かが何かをするために、全ては仕組まれているのだ。
順番に説明しよう。
まず俺という存在。俺の名前はサンバ・デイ。参場泥。二十歳! そして、俺は何かをしなくてはならない。いつから俺がいるのかは、思い出せないが、それを思い出すために、俺はここ最近、ずっと移動している。
俺を知る人というのは、ある女である。正体は知らない。けれど、さっきから、俺のあとをついてきているのだ。
黒髪の、背の低い、青いシャツを着た女。
さっき、ファミレスで昼食を食べている時のことだ。まず最初に彼女が俺に気づいた。そしてそのことに俺は気づいた。偶然目があったのだ。
その時あの女は何かに思い当たったような表情をして、すぐ目を逸らした。それと同時に俺は不思議な力で確信したのだ。俺は作られた存在で、この世界もそうであると。
きっとあの女は、俺のことを知っているに違いない。
するべきこと! それが分からなくてはならない。早く、それを突き止めてしまわなくてはならない。この世界が小説だとすると、するべきことを自分で理解し、まさに行動しなければ、俺には存在価値はなく、もしかすると、消される!
だから、俺はあの女に追いつかれる前に、それを思い出さなくては。
あの女が見ている。
あの女はなんなのだ! 小説の主人公か? それとも、監視するものか? 小説の機能がちゃんと働くように、俺が使命通りに行動するか、管理している存在かもしれない。
ああ、恐ろしい。ああ、思い出せない。俺は何をしなくてはならないのか。
だめだ。俺は、あの女に消されるのだ。
こっちへ来た。
どうしよう。逃げ場がない。いったい、何なんだ?
「安心して、デイくん、あなたは消えたりしないわ」
なんだと……。
「なぜです? なぜそう言えるんです?」
「なぜも理由もないわ。逆に、なぜ消えるのよ」
そうか……。消えない……。では、俺は何をすればいいのだ?
「何もしなくていいのよ」
何もしなくていい? この女は、そう言ったのか? どういうことだ。なぜ、何もしなくていい?
「理由は簡単よ。あなたは、存在しないの」
参場泥くんは、煙とともに消えて、そこには紙が一枚残った。その紙には、参場くんのイメージイラストと、不十分な設定が書かれている……。二十歳。身長、普通。大きなDがついている赤いヘルメット。緑色の全身タイツの服……。
わたしはその紙を折って、ポケットにしまう。
ああ、みなさん、見ていらしたのですか。こんにちは、文子です。いつも、わざわざ読んでくださってありがとうございます。
さっきからベラベラ独り言をしながら歩いていた彼は、参場泥と言って……知ってるんですか!? ……ふむふむ、なるほど。じゃあ、なぜ彼が束の間でも存在したのか、その説明をしましょう。
わたしは趣味の一つとして、たまに物語を書く。それを、わたしの部屋に遊びに来ていた桃色皇女が見つけたらしく、彼女は紙を一枚使ってある男の絵を描いた。それが彼であった。
そこまではなんの問題もなかったのだ。問題はそれから少しずつ、半年の時間をかけて形になっていった。本当に、形になったのだ。
次の日、桃色皇女は学校へ行った。いつもの日常である。そこで、彼女はクラスメイトの弱気な少年に求められて、とあるヒーローの話をした。そのヒーローは、強くて、いつでも突然現れて、苦しめられてる人を助け、そしてまた次なる場所へと行くため去ってしまう。そのヒーローの名前は、参場泥。
桃色皇女のクラスメイトである小林というある弱気な少年は、参場泥に心を打たれた。どこかにきっといるはずだ。彼はそう思ったのだ。
そのまた次の日、小林少年は桃色皇女に、先日のヒーローの話を求めた。
桃色皇女は、昨日と同じ話をしてもつまらないので、こう言った。
「そうだ。昨日あたしは、彼を目撃したわ」
たまたま聞いていた、そばにいた少年らも、その話に引き込まれた。参場泥はたった二日にして、教室中のヒーローになった。
桃色皇女はわたしに、「今日、面白いことがあってよ」とその話を教えてくれて、「もしよければ、他の話を作って、あたしに教えてくれてもよくってよ」と言った。
わたしはいくらかの話を教えた。
そしてその話を、次の日教室でしたのだ。
しかし、その話はそれだけではなかった。
なんと、桃色皇女以外に、参場泥を見たという少年がいて、その目撃談をしたのであった。それらの話もまた、教室で盛り上がった。それによって、小林少年は、「どこかにきっといるはずだ」どころではなく「いるに違いない」と思うようになっていた。それに加え彼は「参場泥はきっと僕の前に現れる」とさえ思ってしまったのだった。
そしてとうとう、小林少年は、本当に見たのだった。
三週間経ってからだった。参場泥の存在は、誰かがミスをしたり、問題を間違えたりした時に「参場泥がやってくるぞー」と言う、お決まりの冗談になっていて、桃色皇女も、すっかりその話には飽きていた頃だった。
「ほんとに見た!」
と必死に訴える小林少年。
桃色皇女が、それは作り話だったと言っても小林少年はひかなかった。
「ほんとのほんとに見たんだ。猫が、川に落ちてるのを助けてたんだ」
全身緑のタイツで、頭に大きなDのついた赤いヘルメットをかぶっているから、間違いようがない。
「いいえ、そんなはずはないわ。そうだ、あなた、今日の放課後、あたしについてきなさい」
と、桃色皇女は小林少年をわたし(鉄文子)の部屋へ連れてくることにした。それで、わたしの説明と足して説得するつもりだったのだ。
そう、そのつもりだったのである。
けれど、二人がわたしの部屋に来て、寝ているわたしをチャイムで起こした時、彼女たち二人はものの見事にあわてていた。
見てしまったのである。
二人で、参場泥が走っているところを見たのだ。
「あれは、さすがのあたしだって、見間違えるはずありませんわ。絶対に、ぜーったいに、参場泥でしたの!」
「あらあら」
「あらあらではありませんわ!」
と桃色皇女は足を踏み鳴らして言った。
「あれは、あなたが作ったのでしょ。あなたが見つけて、ちゃんと、君は本当は存在しないと、言ってやらなくてはならないわ」
と桃色皇女は言うのだった。
「そんなの嫌だよ。参場泥はみんなを救うんだ。僕たちが困ったとき、助けてくれるんだ」
「うるさいわねえ。いないものは、いちゃいけないのよ」
「そんなの嫌だよ。彼はいなくちゃいけないんだ」
けれど、もし本当に参場泥が存在し始めているのであれば、どうにかしなくてはならない。その話が彼女たちの思い込みなら、それでいい。参場泥が、ラスボスを倒すために、月へ行ったと、そういえばいいのである。けれど、存在しないものが、本当に存在してしまっているのなら、それは大問題、かもしれない。なんてことないかもしれない。が、大問題かもしれないと言う立場で取り扱わなくてはならない。
「わかった。なんとかするわ」
とわたしは言って、二人を帰した。
なんとかする、とは言ったが、わざわざ彼を探す気にはなれなかった。なんだか馬鹿馬鹿しかったから。
そんなふうにして、半年が過ぎてついに、わたしはファミレスで彼と目があったのだ。
驚きすぎて目が飛び出るかと思ったが、追いかけていって、「あなたは存在しない」と告げれば、案外簡単に消えてしまった。
ヒーローとは思えないほどびくびくしていたが、きっと「参場泥は弱虫だ」とだんだん子どもたちの方で話が変わっていったのだろう。キャラクターは、作者に勝てないのである。
ちょうど放課後になる時間だったので、わたしは電車に乗り、桃色皇女の通う小学校の門の前で立った。
すると皇女さまは出てきた。
その紙を渡すと、皇女さまは驚いていた。
「この紙が、あれになったの!」
あれって……。
すると小林少年も出てきた。彼は話を聞くと悲しんでいた。
「でもね、小林くん、彼は本当に勇敢な人だったわ」
「ほんとに? 弱虫じゃなかった?」
「とんでもない。全ての困った人を救うんだって言ってたわ。それでね、最後に彼と話したんだけれど、こう言ってたの。『僕の命は残り少ない。けれど、この世界には少年少女たちが残る。小林少年もその一人だ。彼らがいる限り、この世界は大丈夫だ』」
小林少年は喜んだみたいでよかった。その紙が欲しいらしいので、わたしはそれをあげた。小林少年は、嬉しそうにそれを受け取って、走って帰ったのだった。
「ほんとに言ったの?」
桃色皇女は聞いた。
「うん。ほんとうよ」
「……そう。よかったわ」
わたしたちは小林少年が角を曲がるまで見ていた。
鉄文子の彷徨記 戸 琴子 @kinoko4kirai
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