第8話

 エステラが目覚めてから数日、この日は朝から雨が降っていた。治りかけの左手はまだ過保護なレオンハルトが包帯を巻いてくれていたが、湿気のせいか妙にかゆい。蒸れて良くないのかな、とひっそりと包帯を外す。朝食後、用があるとレオンハルトがいないから何か言われる事もない。

 半刻程前から酷い音を立て始めた外を眺めながら、右手で包帯を巻き取っていれば階下でバタバタと音がし始める。きっとレオンハルトが戻って来たのだろう。


「……どうしよ」


 エステラは少し眉を寄せ、中途半端に右手に巻き付け外してしまった包帯を眺める。随分水ぶくれは減ったが酷い色をしているこの手を見ると、その後しばらくレオンハルトは会話がし辛くなるのだ。

 エステラがダブルバイトバイバーに噛まれてから、ほんの少し動くようになった表情をすっかり消して口数も減る。そしてエステラとしばらく目を合わせない。

 この目を合わせてくれないのが、エステラからすると非常に困った事だった。レオンハルトの魔眼をこっそりと封印するために、できるだけ目を合わせて少しずつ魔法の解読を進めているが、それができなくなる。エステラとしては焦る事ではないが、状況的に早めたいと思っていた。連日レオンハルトは残った騎士二人に、あの話にならない説得を受けているのだ。

 エステラは逃げる為、レオンハルトに一度王都で騎士団との話をさせるつもりでいる。だがあの状況が改善するように、先に魔眼を封印しなければならない。封印魔法の組み立ての為にも、できる事は早めに終わらせてしまいたかった。


 しかし、右手と左手に中途半端に巻きついている包帯を、素早くどうにかするのは難しい。悶々と悩んでいる間に、レオンハルトが部屋へと訪れてしまった。


「左手の具合が悪いのか?」


 さくさくと歩み寄ってきたレオンハルトは、そっと中途半端になってしまった包帯へと手を伸ばす。慣れた手つきでくるくると巻き取っていく姿を、エステラは返事を忘れて見ている事しかできなかった。


「どうした?」


 そっと顔を覗きこまれて、やっと再起動する。


「や、ちょっと、気の抜けた服初めて見たから……びっくりした」


 いつも騎士服やそれに近いきっちりとした服を着ていたレオンハルトだが、今はワイシャツ一枚でボタンも二つ程開けっ放しで腕まくりまでしている。ついでに豪雨にうたれてもきちんと拭かなかったのか、髪までしっとりと濡れている。いつもは薄紅を孕んだ金色が赤みを増して、鈍く妖精光を反射する様がいやに艶っぽい。


「すまない。見苦しかったな、着替えてくる」

「え、や、ごちそうさまです」

「エステラ?」


 突然の目の保養に、うっかりおかしな事を口走ってしまった。なんというか完成度の高い美術品に、一瞬で目を奪われるような気持ちを今理解してしまったとエステラは思う。

 ベッドに手をついてエステラを見ているレオンハルトに苦笑いを返して、ふと浮いたワイシャツの隙間に見えたものに目を見開いた。


「肩、縫った? 最近?」


 思わず零れた疑問に、レオンハルトはそっとワイシャツを抑える。だが見間違いではないだろう。盛り上がった傷跡ははっきりと目に焼き付いている。


「やはり着替えて」

「待って。それ私のせいじゃないの」


 立ち上がろうとしたレオンハルトの手を掴み、その場にとどめる。

 エステラには確信があった。ずっとエステラと追いかけっこをしていたレオンハルトは、エステラが目覚めてからも出来る限り傍にいようとした。真新しい傷がついて、その処置をエステラが知らないという事はつまり。


「私の事助けてくれた時でしょ、その傷」


 逃がさない、と視線に込めて見つめていればレオンハルトがそっと息をついた。


「俺の実力不足だ」

「そう言う事じゃない」

「いいや、それだけだ」


 毎度の事だが、頑固なレオンハルトに悔しさに似た感情が募る。みぞおちを焦がすようなそれを隠すことなく、エステラは思いっきりレオンハルトの腕を引く。それに合わせてレオンハルトの体が傾ぐ。

 あえて力を抜いてエステラの好きにさせようとするその様子に、さらに腹立たしさが募る。


「守ってできた傷を隠して、私の罪悪感にでも気を回したつもり? だとしたらお門違い。そんなのいらない」

「エステラ?」

「隠されたら礼も言えない。反省もできない」


 違う、これじゃ八つ当たりだ。そう思ってどうにか一度息をする。


「同じ怪我をさせるような事をしたくないんだよ」


 感情に任せて酷い言い方をしてしまった。もっとおとなしい伝え方が絶対あったはずなのに。どうにか途中で気付けたが、言ってしまった言葉は戻らない。それにどんどんと気持ちがしぼんで、エステラは俯いてしまう。


「よく、話がわからない」


 ぽつんとレオンハルトの声が落ちる。


「だがエステラと話すのは心地いい」

「それは」


 そうだろう、とエステラは思う。きちんと会話の根底に意識の共有をする意志がある。レオンハルトの意志を無視するにしても、受け入れないと決めるにしても、その意図を理解したいと考えている。レオンハルトのやりたい事は大体受け入れないが、それはそれとして。

 あの騎士達とは違うが、それを言葉にする事はできない。このタイミングで盗み聞きをバラすつもりはないので。


「崇拝されないのは良い」

「あー……ねぇ、自分で崇拝って分かって言っちゃうのも凄いけど」

「そうだろうか」


 そうだよ、とは言わずに苦笑で誤魔化す。

 人の感情に疎くて、自分の感覚すらなんとなく把握しているようなレオンハルトに毒気が抜ける。時たま子供のようだと思ってしまったのは、きっとこれが原因なのだろう。

 さっきからもやもやとしていたのはただ単に、自分をのけ者にして考えるレオンハルトが気にくわなかっただけだ。惚れただの、守りたいだの言うくせに、全部自分だけで完結するそれがエステラは腹立たしいのだ。

 お子様なら、仕方ないかとエステラは一つ息をつく。


「八つ当たりしてごめん」

「八つ当たりだったのか。いや、エステラの気にする事じゃない」


 ほらやっぱり。全然わかってない。

 随分とでかい子供だなぁ、と思いながらエステラは首を振る。これを癒して育てなおすつもりがないなら、さっきのような物言いはしないように気を付けなければ。

 あくまで魔眼を封印して、それをできる誰か―――家族や友人がもう惑わされないようにするだけと決めたのだから。


「そっか。なら、ありがとうだね」





 それからというもの、エステラはなかなか円滑にレオンハルトとの関係を継続できていた。

 一つの重大な問題を除いて。


「どう頑張っても、こっそり魔眼を封印できなくない?」


 レオンハルトの目は解析できた。それを封印する術式も考えた。だがどこをどうひっくりかえして見ても、レオンハルトに黙って封印できる未来が見えてこない。

 かの英雄様は魔力の見える素養がないのに、謎の勘で魔法を感知している。最近気付いたが、竜の力も気付いている。妖精を追い払う為にエステラが力を引っ張り出すと、やりやすい位置に近づいてくるのだ。力だけを動かしているというのに。

 なんというか、戦いについての才能が突出しすぎている。綺麗な顔は完全におまけな気がしてきていた。エステラが毒に倒れてから多少なり表情が変わる気がしてきたが、穏やかに話している分には大体レオンハルトは無表情なので。

 どうしたものかとエステラは部屋の中を歩き回る。と言っても、足首に繋がれた鎖は酷く短くて部屋の窓にも扉にも近づけないが。風呂と手洗いの時には外されるが、ばっちりレオンハルトが一緒にいるので笑ってしまう。何が面白いって、なかなかきわどい所までレオンハルトはついてくるのだが、一切そういう欲望を感じる事がないのだ。いっそ無機質ですらあった。惚れてるとはどういうことなのか本気で首を傾げるが、まぁ今はそれどころではないので置いておこう。


 結論として、エステラは全部隠して魔眼を封印することを諦めた。一時的にでも王都の騎士団に戻る事と合わせて、適当に煙に巻く事にしたのだ。


「王都に戻る必要はない。騎士団も辞める」

「って言っても、現状まだ他の騎士はいるよね」


 頑なにエステラの提案を受け入れないレオンハルトだが、もう一週間以上状況は膠着しているのも確かだ。それをきちんと理解しているのだろう。エステラの言葉に、視線を下げてどこか不満げな様子に見える。


「武力行使出来たら楽なんだが」

「待て待て待って。犯罪者になっちゃうじゃん」

「分かってはいる」


 そうかもしれないけど、とエステラはため息をつく。ここしばらく色々と話して、レオンハルトが規則に縛られていた理由はなんとなく理解している。

 自分を含めてまともな人間だと思えないからこそ、規則やら誓いやらを拠り所にしてどうにか社会生活から逸脱しないようにしていたのだ。それがエステラというそこからはみ出た存在が現れた事で、その縛りが曖昧になってきている。

 とはいえギリギリでも踏みとどまっているあたり、本当にエステラには信じられない精神力だ。魔眼を封印することで変な縛りがなくなると良いなぁ、と思わず苦笑が溢れる。


「よし、じゃあレオンハルトが安心して王都に行けるようにおまじないをしよう」


 どういうことだ、と言いたげな視線を受けながら、エステラはぱっと明るい笑みに変える。


「まぁおまじないって言うか、魔法なんだけど」

「魔法?」

「そ、私の居場所が分かる魔法」


 これがエステラの作戦だった。魔法使いではないレオンハルトに理解してもらう為に、ベッドから枕を持ってくる。


「ちょっとどういうことか試してみるから、これ持ってて」


 素直に枕を受け取るレオンハルトに、魔法をかけていいか目線で問う。頷いたのを確認して、探知魔法をすこしばかり弄っておいたものをかける。

 そして枕を適当に部屋の端へと放る。体ごと枕を追いかけたレオンハルトが、エステラへと視線を戻し不思議なものでも見たような声をあげた。


「見えていないのに分かるのか」


 その反応は素直にエステラを喜ばせる。なんといっても、魔法の研究はエステラがずっと続けてきた事なのだ。ふへへ、と声を出して笑ってしまう。


「そ、探知魔法の改変。普通の探知魔法は、魔石使って何かが来たらそれを送ってくるんだけど。これは反応する対象を一つに確定する事で超高範囲かつ常に居場所を教えてくれるっていう。……ただ、対象に私並みに魔力がないと駄目なんだけど」


 とはいえ今回はエステラにかけるので問題はない。もう少しどうにか出来ないかな、と思わず魔法の構成を考えてしまうが。


「どうしても、王都に行って欲しいか?」


 うっかり真面目に魔法構成に意識を飛ばしていて、レオンハルトの言葉に反応するのが遅れてしまう。しかもこの話でエステラの希望を聞くなんて、初めての事だ。


「そりゃ、まぁ。けじめは付けといた方が良いと思うし」


 こくこくと首を縦に振りながら、真っすぐ見つめていればレオンハルトも一つ頷く。


「わかった。ならそうする」


 いくら何でもここまで素直に受け入れるなんて思っていなかったエステラは、驚きの余りそのまま首振り人形と化した。余計な事を言ってレオンハルトの気が変わっても嫌だったが、それなら明日には出ると言ってさっくりと部屋を後にされてしまう。呆然とその後姿を見送り、翌朝完全に出立の準備を整えたレオンハルトに会ってもまだ信じられない思いだった。


「物凄く、素早い、ね」

「エステラと離れたくはないが、早く済ませればそれだけ早く戻れる」


 淡々と足首に繋いだ鎖を長いものに変えながらの言葉に、全力で行って帰って来るんだろうなとエステラは遠い目になった。地味に鎖が三倍ほど太くなっているのが何とも言えない。


「階下に一人だけ騎士を置いていく。絶対に君に会わないよう、食事の準備だけをして廊下のソファに置いていく」

「あ、そう……」

「着替えなどは十分な数を補充しておいた」

「見てたから大丈夫」


 業務連絡のようだが、騎士を置いていく下りは何とも言えなかった。なにやら昨日の夜、階下がちょっと盛り上がった後妙な沈黙に包まれていたので。盛り上がったのはレオンハルトが王都に向かう事を伝えたのだろうと推測できるが、その後の沈黙の時間に何があったのかあまり考えたくはない。


「なら魔法を頼む」

「わかった。じゃあちょっと触るね」


 向かい合うように座ったレオンハルトに促されて、エステラはその肩に手を置く。真正面から瞳を覗き込んで、先に魔眼の封印を始めた。

 最近では本当に少しだけ揺れている事もあるが、相変わらず鋼のようなレオンハルトの魔力。その上を流れるように妖精の魔法が瞳を通して漏れ出ている。一つ一つの程度は軽いが、へたくそな織物のように絡んだそれは何度見てもエステラをイラつかせる。

 単純に魔法を引きちぎって解除してしまっては、妖精がまた掛けなおしてしまうかもれしれない。だからエステラはまず丁寧に流れを整えて、鋼のような魔力に少しずつ溶け込むように調整する。その上で一切の漏れもないように瞳に封印を施した。これで魔眼は大丈夫だろう。

 それから本来の約束だった魔法を掛けた。


「似合うな、エステラ」


 神経を使った作業を終わらせて、一息つく間もない早業。持ち前の勘で魔法を掛け終わった事を察知したレオンハルトが、エステラにぴったりとした金属製の首輪を嵌めていた。

 金属の嵌る硬質な音と同時に、エステラの魔力が抑え込まれる。


「魔力、封じの首輪……」

「探知系の魔法は単純に魔力封じをしても意味がないと聞いていたが、その通りでよかった」


 満足そうに首輪を撫でるレオンハルトに、なんだかもう逆に感心してしまう。そうしてエステラの乾いた笑いを残して、レオンハルトは王都へと旅立っていった。

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