第4話

「違う。エステラ、違う。俺は気分が悪くなんてなっていない。ただ君がくれた強い視線に衝撃を受けたんだ。それからどうしようもなく嬉しかった。あんなにも嬉しかったのは何時振りかわからない。俺は君に誤解されたくない。誰にも邪魔されずに君の世界にいたい。それが君であってもだ。分かってくれエステラ。ああ、すまない。少し自信がなかったんだが、そう、あの時俺は快感すら覚えたかもしれない。それから君の事ばかり考えている。これが恋でなくてなんだろう。頼む、そんな魔法のせいにして誤魔化さないでくれ」

「快感」

「ああ。……信じてくれるか?」


 あの時はものすごく睨んでいたような気がするが、快感で良いのだろうか。というかこっぱずかしくないのかな。ないんだろうな。息継ぎの間も感じさせない言葉に、思わず遠い目をしながらエステラはそんな事を考える。一目惚れなんて錯覚だと思う気持ちは拭いきれないが、ここまで言うならそういう事にしておこう。それが一番良い気がする。

 しかし、しっかり考えなければならない。スイッチが入ると縋りつくように、それでいて有無を言わさない雰囲気で怒涛の如く話すレオンハルト。その言葉に流されたり、やり込められたりしてはいけない。既に一度エステラは失敗しているのだ。恐らくこの状況はレオンハルトを許すと言った事で、なにか行き違いが―――そう何か勘違いでここに連れて来られたのだ。ならば適当に答えてはいけない。脊髄反射で話してはならない。いつまで続けられるか分からないが、エステラはそうしなければならない。だからゆっくりと言葉を探した。


「ええと、私に惚れてくれているところは分かりました」

「うん、良かった」


 こっくりと頷くレオンハルトに、まずは間違えなかったと安堵する。この調子で頑張らなければ。


「でも聞きたいことはまだ沢山あって」

「いくらでも話そう」

「じゃあまずは……どうして私はここに?」

「ああ、本当は寝ている間になんて失礼な事はしたくなかったんだ。日が出るのを待って迎えに行くつもりだった」


 予想通りここに連れてきたのはレオンハルトらしい。だが聞きたいのはそこではない。手段と理由である。エステラが説明してほしいと視線を向ければ、ほんのわずかにレオンハルトの口端が上がる。もしかして笑ったのだろうか、と思う間もなく消えてしまったが。


「エステラは大丈夫だと言っていたが、やはり心配で。森から街の端まで戻ったところで野犬か狼の大きな声もしたから」


 そういえば獲物の処理が甘い冒険者の相手をしたな、と思い出す。間抜けにも散乱していた血肉はケツをひっぱたいて処理したつもりだったが、エステラが対応した場所以外でもやらかしていたのだろうか。


「保護しようと君のところに戻ってからは妖精が何かしていたようだ。抱えても手当てをしても起きる事はなかったから」


 拉致では、と思ったがどうにか飲み込む。レオンハルトは規則に強く縛られている。拉致が罪だという事は重々承知しているはずだ。という事はやはり言葉通り彼の中では保護なのだろう。そう、これはきっと保護のつもりなのだ。保護、保護……とエステラは脳内で唱える。


「保護……という事はここは?」

「騎士団が王子殿下の復興視察に先だって準備に使っている屋敷だ」

「え、そんなところに部外者入れちゃ駄目なのでは」

「いや。昼に俺に因縁を付けた者を追って森に入った時に見つけて保護した、そいつに傷つけられた者という事になっている。取り逃がした詫びと、事情聴取が必要だという話でな」

「それ、私が加害者で私が被害者だ?」

「そうだな」


 随分と不思議な話になったものだ。妙に疲れてエステラが頭を振れば、レオンハルトがサイドボードにあった水差しから水を差し出してくれる。少しぬるくなった水が喉に優しかった。

 完全に作り話だが、囚人として捕らえられるよりマシかとエステラは納得する。とはいえ保護と言い張るレオンハルトがエステラを囚人とする事はどうあってもなさそうではあるが。


「本当に保護って形になってるんだ」

「ああ。それに安心してくれ。部屋に入るまで布で覆って足先以外誰にも見られていない。その後も少し特殊な亜人の一族で人に見られるのを嫌がるからと、俺の部屋で鍵を掛けて俺が鍵を持っていた」


 聞き捨てならない言葉があった。ここはレオンハルトの部屋で、レオンハルトが鍵を持っていたと。同僚すら信用していないのか。いや待て、とエステラは一口水を飲む。騎士団の面々が野党と同じレベルの倫理観のなさなのかも知れない。


「いやそんな事ある?」


 思わず自分の内心への突っ込みが口を突いて出る。


「事実だ」

「あ、多分そうではなくてね」

「亜人だと言ったのは良くなかったか? それともここは居心地が悪かったか。すまない、一応ここでは一番いい部屋なんだが」


 エステラの内心など、レオンハルトは読めるはずがない。だからこの頓珍漢な問答も当然なのだが。エステラは鈍く頭が痛んだ気がした。なんだかこの話題の前提というか、常識というか、そういう話をする下地が全く噛み合っていない。


「そもそも亜人混じりだからそこは平気。この部屋も、いやベッドしか知らないけど寝心地は最高だから。じゃなくて、なんていうか」

「君のことは何でも知りたい。教えてくれ」


 レオンハルトが目を細める。それが気遣いからくるのか、言葉を迷うエステラを憂いているのか、責めているのか読めない。何とも言えない気分を飲み込むように、エステラは水を一口飲み込む。そうして一つ息をついて、口を開いた。


「レオンハルトが心配してくれるのは嬉しいよ」

「そうか」

「うん。だけど、その、過保護すぎるって言うか。別に野宿から保護しなくても大丈夫だし、騎士もレオンハルト位強くなきゃ多分大丈夫だし」

「エステラ」

「私の事考えてくれたのはありがとう。でも私は私のやりたい事があって森に入ったり旅したりしてるからこんな事しなくて」


 その先の言葉は紡げなかった。レオンハルトが立ち上がり力任せに天蓋のカーテンを閉めたからだ。余りの勢いにいくつか吊るし金具が飛んでいく。激情の現れに思わずエステラは口を閉ざす。

 驚いて視線を向ければ、完全に無表情のレオンハルトがいた。デフォルトが無表情だがそれとは違って見える。戦った時ですらどこか優雅だった所作が恐ろしいまでに荒れている。それなのに全てがすとんと抜け落ちた顔がちぐはぐで恐ろしい。


「認められない」

「認める認めないじゃ」

「許容もできない」

「それは努力の問題で」

「嫌だ」

「自由意思は尊重したいけども」


 立ち尽くしていたレオンハルトがひざまづく。エステラへ手を伸ばそうとして、思い直したのか手をさまよわせる。エステラに握り返すことなんて出来なかった。結局レオンハルトは縋る様に上掛けを握りしめる。


「エステラ、俺は君を守りたいだけなんだ。あらゆる不浄から。あらゆる醜悪さから。……この世の全てから」

「そ、んなこと」

「汚い肉の視線に君が晒されるなんて耐えられない」

「ん?」

「下劣な肉塊の声なんて耳にして欲しくない。俺だって下賎で賎陋で、救いようがないだろうけど。それでも君に相応しくあれるようになんだってするつもりだ」

「ちょ、ちょっとレオンハルト?」

「嫌なんだ。それを卑劣な肉袋に邪魔されるなんて。俺を見て。俺以外を見ないで。俺の声を聞いて。俺以外の声を聞かないで。汚さないように俺も直接触れないから、誰にも汚されないように俺に守られて。どうか俺の傍で、俺の想いを受け入れてくれ」


 無理だと言うのは簡単だった。だがエステラの喉は動きを忘れたように、何の音も発することができない。レオンハルトの話はどう考えたって納得できるものではないというのに。体の底から絞り出すような懇願が、突拍子もない内容の不気味さを増す。それがエステラの口を閉ざした。

 どう返すべきか考えている間にレオンハルトは更に口を開いた。


「ここは仮宿だ。君の望む場所に家を買おう。執事やメイドは置きたくないから小さい家で良いだろうか。代わりに君が好きなだけ魔法を使えるよう庭を作る。外から見えないようにきちんと木を植えよう。エステラは誰にも会わなくていい。俺が全てやるから」

「いや、やっぱ無理でしょ!?」


 勢い込んだエステラを呆然とレオンハルトが見ている。言葉の根底にエステラへの好意があると思うと、少々罪悪感が沸く気がするがそれどころではない。

 願望だけならまだよかった。ただ聞くだけの余裕がある。だが確定したように語られる未来の予定は駄目だ。しかも既にエステラを森からここへ勝手に連れてきている。前科一犯だ。実力行使で勝手をするなら、エステラだって実力行使で勝手にするのだ。


「レオンハルトの気持ちも願望も聞いた。意味は理解した。でもだからどうするのかって言うのは、この場合お互いで考えるものでしょ!?」

「だからどこに住みたいのか希望を聞きたい」

「ちっがーう!!」


 勢い込めて今度はエステラが立ち上がる。そのまま力を込めて天蓋のカーテンを開く。またカーテンの吊るし金具がいくつか飛んでいった。強い声でレオンハルトがエステラを呼ぶが、完全に無視をする。

 エステラは絶対にレオンハルトに閉じ込められるのを良しとするつもりはない。このままここに囲われるつもりもさらさらない。一応話をするつもりはあるが、レオンハルトのぶっ飛びっぷりから考えるに落としどころが見つかる可能性は低い気がしている。だからここから脱出する為、肉体言語での会話を同時進行させるつもりだ。


「レオンハルト、私行くね」

「駄目だ。嫌だ」

「うるせぇ、私が嫌だし駄目だわ! 友人として時折会いに行く位なら譲歩してもいいけどレオンハルトは?」

「俺と二人だけで生きよう」

「一歩も引かねぇ!」


 向かい合うように立ち上がったレオンハルトを無視して視線を巡らせる。正面にある扉脇に自分の荷物が置かれているのを見つけた。ついでに右手側に窓がある。立ち上がった時に背後に窓があるのも見ている。つまり角部屋だ。ただその窓もカーテンが引かれていて外がどうなっているか分からない。

 窓の大きさからするとバルコニーはない。ただあまり大きな屋敷に馴染みがないエステラには、ここが何階かもわからない。とは言え旅の途中でいくつか大きな屋敷を見かけた経験から考えると、二階か三階建て位だろう。その程度なら飛び降りてもどうにかできるはずだ。

 それには目の前で進行を妨げようとしているレオンハルトを最優先でどうにかしなければならない。妖精が帰ってくるのも時間の問題だろう。あまり力を込めて追い払っていなかった、そこは反省のしどころだ。やっぱりまた昏倒させるしかないか。魔力を揺らす以外で。そう結論付けてゆっくりとエステラは魔力を練る。


「エステラ、戻ってくれ」


 一歩、レオンハルトが近づく。


「そう言えばレオンハルト」

「戻って話そう」

「私がこうやって反抗したら、直接触れないでどう止めるつもりなの?」

「戻ったら話す」

「わかった」


 エステラの端的な返答に、レオンハルトが思わずといった風に目を合わせてくる。そこにうっすらとした期待を見た気がしたが、当然エステラはそれに答えるつもりはない。だからあえてしっかりと見返してやる。そこで笑みを浮かべてしまったのは、この後のレオンハルトがどんな反応をするのか楽しみだったのか。それともまた戦えるのが楽しみなのか。はたまた自棄っぱちな怒りからか、エステラにもよくわからなかった。


「言いたくないなら平気。今から確かめるから」

「エステラ!」


 エステラの動きを察知したレオンハルトが名前を叫ぶ中、右手を振り払い凪ぎ払うように魔力を動かす。当然のように上へと飛びあがり避けられるのは想定済み。狭い室内である事を利用して床一面に魔法を敷く。大した魔法ではない。ちょっと足が滑る程度だ。

 だがレオンハルトは曲芸じみた動きで回避する。その長い脚を振ったかと思うとベッドの支柱へと引っかけ、そのままその上へと着地した。恐ろしいまでの戦闘勘と身体能力に思わずエステラは乾いた笑いを零す。


「……さすがぁ」

「エステラ、大丈夫。俺は君を傷つけない」

「レオンハルト、大丈夫。私はそんなに弱くない」


 エステラの答えを皮きりにレオンハルトが動く。天蓋のカーテンを勢いよく引きちぎると、まるで捕獲縄のようにエステラへと振るう。生きているかのようにエステラへと迫るそれを、左手に弾性のある魔力を纏って弾く。瞬時に引き戻されるカーテンだったが、弾いた時に付着させた魔力と床の魔力の性質を変えて床へと縫いとめる。

 一手凌いだとエステラが思う間もなく、力任せにちぎれたカーテンの残りを再度引き剥がしていた。ふわりと浮き上がったそれの向こうへレオンハルトの姿が消える。かと思えば弾かれたようにカーテンがエステラへ向かってくる。左手に纏わせたままの魔力で横なぎに払えば、反対のカーテンをもぎ取り振りかぶるレオンハルトが居た。立て続けに襲い掛かる布に、エステラも思わず舌打ちをする。仕方ないのでバックステップで射程範囲から逃れる。


「何使っても強いね、すっごい才能」

「ありがとう。気は済んだか?」


 さっきまでの攻防とは一転、レオンハルトの声は穏やかだ。まるでエステラがちょっと反抗してガス抜きすれば満足すると確信しているような。そんな事には絶対にならない、とエステラは気を引き締める。そうしてあえてにっこりと笑いかけてやった。

 そうしてつぃ、とつま先を滑らせて床に敷いていた魔法を解除する。


「どうだろ。迎えに来てくれたら気が済むかも」


 レオンハルトに向かって両腕を開く。まるで無防備なエステラにレオンハルトが目を見開いた。それから何かを探る様に目を細めていく。そう簡単にひっかからないか、とエステラはもう一押しを口にする。


「それとも何でもするってのは、数歩こっちに来る事は含まない?」


 多少なり卑怯な物言いである事はエステラだって分かっている。だからってレオンハルトが手段を選んでいられる相手ではないのも事実だ。

 結局レオンハルトは引っ掛かった。窺うようにエステラの目を見つめるとゆっくりとベッドから降りる。確かめるように床を踏みしめる間もエステラから目を離さない。本当にどこにもいかないつもりなのか確かめるように。一歩踏み出してからは躊躇いもなく歩み寄る。しかしレオンハルトは半分ほど歩を進めたところで足を止めた。


「……幻術か」


 呟きにエステラの心臓が跳ねる。魔法の素養など全くないはずなのに、恐ろしい程の勘だ。確かにエステラは瞳から瞳へと幻術を掛けた。本命の繊細な魔法制御をできるだけ気取られないように。だが今気づいてももう遅い。糸よりも細く、限りなく気配を消した魔力はレオンハルトの背後を回ってうなじへ狙いを定めている。それを頼りに最高速で麻痺の魔法を打ち込む。同時に幻術を緩め、エステラは自分の気配を晒す。

 動揺したようにぶれる幻術、視界に捕らえたエステラという二つのフェイント。それも片方はレオンハルトの本命だ。さすがに避けられなかったレオンハルトが倒れこむのを、エステラは受け止め横たえた。


「あっぶなぁ。フェイント二つ掛けてそれでも反応しそうだったでしょ」


 レオンハルトは動けないだけで五感は生きている。だからエステラも聞こえている事を前提に話す。戻ってこない反応にちゃんと魔法がかかったと安心したいところもある。思惑通りレオンハルトからは何の反応もない。

 しっかりと数拍レオンハルトを観察すると、靴を履き自分の荷物を背負う。そうして一度室内に視線を巡らせる。やはり扉から出るのは他の騎士に見つかる可能性が高いだろう。下手に足止めされても困る。

 ならばと窓へ近づきそっとカーテンの隙間から下を覗く。そう遠くない地面には誰もいなかった。視線を上げれば街の中心より外れに近いのだろう、ごく近くに森も見える。一階に誰かいるかもしれず、間取りも分からない屋敷の中を駆けまわるより余程逃げるのは楽そうだ。よし窓から逃げ出そう、とエステラが心に決めたところで風切り音が耳に届いた。


「嘘でしょ」


 信じられない事にレオンハルトが膝立ちになっていた。投げ捨てられていたはずのカーテンを右手に持って捕縛縄のようにしたのか、その先はエステラの右足首にぎっちりと巻きついていた。

 エステラはレオンハルトは体の右側だけが辛うじて動くだけのようだと分析する。その証拠に左手は力なくぶら下がり、左足は体重を支えるような曲がり方をしていない。口元は動かないのか、静かにエステラを見据えている。

 さっきの魔法は避けられなかったように見えたが、僅かにズラしていたのかと驚愕が襲う。

 エステラのかけた魔法はうなじを支点に行動をロックするもの。きちんと狙うべき場所があり、ズレれば当たらなかった部分と繋がった部位は麻痺しない。繊細だがその分麻痺させる時間の制御や当たった時の効果は折り紙付き。そんな魔法にレオンハルトは知ってか知らずか、きちんとした対処を実行したのだ。

 本当に天才だとどこか感心しながら分析していれば、ゆっくりとカーテンが引かれていく。拳に巻きつけるようにレオンハルトが手繰り寄せていた。執念が恐ろしい。

 だが右足だけではいくらレオンハルトでも走れまい。エステラは冷静に背負っていた荷物からナイフを取り出すとカーテンを切り裂いた。即座に窓へと向かって身を投げ出す。悠長に窓を開けたりすれば、片手片足だろうとレオンハルトは何か手を打つだろう事はすぐわかる。自分と共に舞い散るガラス片を弾きながら、とにかく逃げる事だけを考えておく。

 そうして危なげなく着地するとエステラは間髪入れず全力で逃走した。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る