第2話

 揉め事も起こしてしまったし、とエステラはその日のうちに街を出て近場の森で野宿をしていた。騎士達に集団で囲まれるのは面倒だし、そもそも正義感からというより自分のエゴで突っかかっていっただけだ。ウェルツィアではアルミラージ狩りで稼がせて貰ったが、思い入れのある場所でも研究や鍛錬向きの場所でもない。そういう意味ではここから一、二週間で辿り着ける森の方が向いているらしいと情報を仕入れている。

 割り込んだ兄弟がまた捕まるヘマをしてないと良いなぁ、などとのんびり考えながら火に当たっていれば警戒用に撒いていた魔力探知に反応があった。やたら硬質なそれに、ひくりと口元が歪む。

 もう一戦はめんどくさいんだけどと思いつつ、ゆらりゆらりと燃える炎へと目を向ける。エステラは転成魔法が苦手だ。元となる何かがあればどうとでもできるが、魔力をそのまま炎へ変えるのは原始魔法以上に力を使う。幸いここには炎がある。さっきは全く使わなかった転成魔法なら多少は目くらましになるか、と考えつつ探知が知らせる方向と炎が一直線に並ぶように距離を取る。

 がさり、という音と共に現れたのはやはり先ほどやり合ったばかりの英雄様だった。


「ああ、良かった。見つけた」

「……何の用?」


 相変わらずの無表情が揺らめく炎でほんの少し笑ったように見える。揺らめきの間に消えたそれは勘違いだったのだろうか、そう思うも背筋が冷えた気がしてエステラは警戒を強める。さっきまでの間合いを思い出し、引っ掛からないように静かに魔力を炎へ伸ばした。


「そう警戒しないで貰えるとありがたいんだが」

「さっきやり合った相手が夜の森に追いかけてきてどこに安心すればいいのよ」

「俺は君に負けたから」

「はぁ?」


 素で出た声だった。いやまぁ確かにさっきは勝ち逃げしてきたようなものだったけれど。レオンハルトほどの強者がもう一度同じ魔法を楽々と食らってくれるとは思えない。もう一度やるならエステラはまた何かしらの切り札を切らなければならないだろう。確かにレオンハルトに通用しそうな手札はまだあるが、今やれるかどうかは別の話だ。それにレオンハルトが剣を抜いたらどの程度なのかも分からない。

 それともこの男は一度負けたら絶対服従するような生き方でもしているのだろうか。生きていれば勝つまで負けじゃない位の精神でいるエステラには全く理解できないが。


「いやわからん。英雄様剣抜いてなかったし」

「剣を抜いても、もう負けているから」

「ええ……?」


 全然全くこれっぽっちも意味が分からなかった。剣を持つと弱くなるとでも言うのだろうか。とりあえずさっきの事で再度捕縛しようと追ってきたわけではないのかと首を捻っていれば、何故かレオンハルトも首を捻っていた。


「……その、名前で呼んでくれ」


 相変わらずの無表情は英雄呼びが不快だったのか、ただ好ましくないだけなのか読めない。そこそこ悩んでから呟かれた声も平坦で、それだけ聞けば英雄呼びを続けても特に何もなさそうなほど。

 強いこと以外なんにもわかんないな。そう思いながらもとりあえず戦う事はなさそうだと、エステラは魔力をほどき力を抜く。


「まぁ、英雄呼びなんて気分良くない事もあるか。それで結局何の用です? レオンハルト様」

「ああ、側へ寄っても?」


 騎士然り、と言った風に礼節を取り聞いてくるレオンハルトにふわりと謎の風が吹く。了承を返す前にエステラの口がへの字に曲がる。妖精の美形演出が果てしなくうざい。


「構わないんですけど、いや良くないけどまぁ、その、良いんですけど」

「……良くは無さそうだが」

「良くないって言うか、いや良くないけど大丈夫です多分きっと」

「はっきり言ってくれて構わない」


 エステラの煮えきらない態度にほんの少しレオンハルトが首を傾げる。きらきらと妖精光が瞬いてレオンハルトを彩る。んぐ、とエステラの喉が鳴った。

 無表情なレオンハルトに雰囲気をつける演出は、妖精と人間の価値観の違いも相まって時折ツッコミを入れたくなる。ついでにエステラは妖精に嫌われるし嫌っている。やっぱり妖精光が瞬くほど主張したまま近づかれるのは心情的に無理そうだ。勝手気ままな妖精が何をしてくるかわからないし、エステラだって我慢できるかわからない。こんなに妖精をくっつけているのにも同情してしまう。


「その、妖精が。嫌われてるし……苦手なんですよ。なんで近寄るなら追い払いたいっていうか」


 うええ、と引きつった表情は取り繕えなかったが、どうにか言葉を選んで告げるとレオンハルトは初めて表情らしい表情を見せた。ぱちりと瞬きをすると、意外そうに少し目を丸くする。とは言えほんの少し漏れ出した、という程度ではあったが。


「いやでも私には想像つかない理由でそんなにひっつけてるのかもしれないし、嫌ならまぁ我慢できなくはないんですけど、そんな好かれてるならすぐ戻ってくるだろうしそこは戦力低下とか心配するなら大丈夫なんだけど、ただちょっと生理的に嫌なもんは嫌で」

「追い払ってくれ」

「……え、良いんです?」


 レオンハルトが瞬くと妖精が威嚇のように強く瞬き始め、それに腹を立てつつしかしレオンハルトが悪いわけでもなしと変に饒舌になったエステラがぐだぐだと語れば、あっさりと許可が降りた。驚きである。いやそういえば戦った時も光が鬱陶しいような事を言っていたな。そう思えば、エステラの内心を読んだようにレオンハルトの言葉が続いた。


「視界の内で光るのは邪魔だ。君のいいようにして構わない」

「あ、じゃあそうします。こっちどうぞ」


 エステラの言葉に従って近づいてくるレオンハルトの周りを、力を込めて散れ散れとはたくようにして妖精を追い払う。昼の戦いは疲れたしまた力を使うのは怠いが、野宿の準備もすでに済んでいるので大丈夫だろう。そうしてせっせと静かな攻防を繰り広げて視線を上げれば、すぐ近くまできたレオンハルトは消えていく妖精光の後を視線で追っていた。

 妖精が散りなんの憚りもなく見たその横顔は、素直に綺麗だった。落ち着いて良く見れば改めて驚く。


「良く見なくても美人だけど良く見ても美人だ、すっご」

「……君は俺の顔には興味がないか、嫌いなのかと」

「ああ、ごめんなさい。別に興味はないや、驚くほど美人だなとは思うけど。嫌いなのは妖精。顔回りにいた奴を不躾に睨んでたかも。それもごめん」


 エステラだって綺麗なものは嫌いじゃない。ましてや目の前にいるのは国の至宝と言われる美貌だ。ただまぁ、美人の多いエルフやドライアドに育てられたからか、他の人より興味はないだろう。第一興味という意味では、大口あけて笑ったり、嫌いな物に眉を寄せたり、気の抜けたようにぼーっとしたり、そういう美人がくるくると表情を変える方が気になる。レオンハルトは基本無表情で、一度綺麗だなとじっくり眺めれば十分だった。

 そして妖精は基本エステラの敵だ。犬猿の仲だ。問答無用で握りつぶさないだけ褒められたいくらいだ。ちょっときつく睨んでしまうのは流して欲しい。


「というか。顔よりもあの兄弟追いまわすのかとか、規則絶対主義な方が気になりますね」

「……あの子供らを追うような事はしない。それからこれを」

「んん?」


 流れるように渡されたのはレオンハルトの剣。あまりにも自然だったそれに、エステラは思わず受け取ってしまう。手の中で主張する重みに目を白黒させている間に、音もなくレオンハルトがひざまづく。

 両ひざを地につけ左手を胸に、右手を腰裏に添える。スタルトス王国における最上級の礼。こんなものそうそうお目にかかるものではない。と言うか神に対してやるもので、間違ってもその先にエステラがいて良いものではない。人に対してなら片膝だけをつくのだ。いやそれもエステラに対して取るようなものではないが。


「んんんんんん?」

「すまない、騎士団から逃げるためにこのような不自由を強いた。なにより俺自身が罪だ。重ねて謝罪を」

「重い!」

「受け入れられないのであればその剣で断罪を」

「待って待って古典のやつ重い!」


 レオンハルトの両手が背面に回され首を差し出してくる。古い有名な伝承と同じ流れだ。大罪を犯した男が神の前で罪を告白する話。捕らえられた男は神の前へ引きずり出されたが、それでも気高く自ら礼を取り罪を告白し、その首を差し出して断罪を待ったと言う。

 話のオチは許されたとも、首は落とされたがその気高さに免じて神が天へ連れていったとも、罪は罪と殺されたとも言われている。要するにオチが重要なのではなく、潔さと気高さを語るだけの伝承だ。その時大罪を犯した男の動作が、今のレオンハルトの所作である。

 重すぎる。八つ当たりをしてこんな礼をとられるなど、割と図太い自覚のあるエステラでも重みで地の底に沈む。


「許すも何も八つ当たりしたの私! えっ待ってこれは私が首差し出すべきなやつ?」

「いいや、俺の罪だ」

「職務に忠実だと罪になるの!? もう騎士わかんない!」

「騎士は関係ない。俺の意思だ」

「余計わかんないし、微妙に韻踏まないで!」


 どうにか頭を上げて貰いたいのに、触れるのも憚られ、ついでに高そうな剣もどうすることも出来ずあわあわとうろたえるエステラ。そんな事は知らないとばかりに、レオンハルトの首がさも切ってくれとばかりに差し出される。

 襟足の毛が流れる滑らかな首筋が美しい。どうやら背に回した手で上着の裾を抑えて首筋がよく見えるようにしているらしい。気づきたくなかった事実に、エステラは思わず真顔になる。そんな気遣いはいらない。

 所在なくうろうろとしていた足を止め、一歩引いたところでしゃがみ込む。


「さっきレオンハルト様と戦う事になったのは私の八つ当たりで、こうして街を出たのは八つ当たりなんかであんなに大暴れした所に居るのは、いたたまれなかったからなんですけど」

「それも俺が」

「仮にそうだったとして。たかが野宿位で命かけて謝らないで」

「たかが野宿?」


 不意に顔を上げたレオンハルトと目が合う。うっすらとした不快感の浮かぶ瞳に、きょとんと首を傾げてはたと気づいた。女の一人旅など普通じゃない。特に戦地に近く、お世辞にも治安がいいとは言えない地域で。犯罪でも犯して追放刑に処されたと思われても仕方がない。


「あのですね、ええと、別に犯罪者とかじゃなくて」

「君が強いのは知っているが、どうして」


 ここで犯罪者と間違われて、また戦うのは御免被りたい。仕方ない、と一つため息をつくとエステラは口を開いた。


「里の掟なんですよ。十五歳になったら里を出て旅をする。ここより随分遠くにあって、ここ百年は戦争なんてない地域。私は魔法の研究したくて、強い魔物のいる地域を目指して少しずつ移動してるんです。もう数年そういう感じなんで」


 探るような視線が痛い。嘘なんて言っていないが、強い魔物を求めて移動しているのは半分趣味だ。それにあんまり言いたくない事もある。

 これでとりあえず納得してくれないかな、と伺えば少ししてふっと空気が緩んだ。


「なるほど。ずっと移動を続けて、基本魔物相手。きっと強い魔物を倒してもそれを吹聴しなかったのだろう?」

「や、そもそも研究したいからあんまり殺してないって言うか」

「納得だ。あれほど強くて噂にもなっていない訳だ」


 さもありなん、とでも言いたげにレオンハルトは頷いている。納得してもらえてよかったとエステラが内心ほっと息をついていると、すっと頭がおろされる。


「話を脱線させてすまない。断罪を」

「続けんのこれ! 嘘でしょ!」

「一撃で落とせなくても気にしないで欲しい。それも罰だ」

「許されないの前提!? さっきまでの話は!?」


 淡々としているレオンハルトに対して、エステラの反応はどんどん大きくなる。何故この男は首を落とされる方向で話をするのか。そもそも騎士団の仕事を妨害したエステラの方に否があるはずなのだが。それともエステラの言い分に何か思うところでもあったのだろうか。さっきは見事にバッサリと切り捨てたと言うのに。

 とりあえず一通り大騒ぎして埒があかない事は理解したので、エステラも落ち着く事にする。深い深いため息とともに。


「わかった、わかりました。許すからこの話終わりにしましょう」


 言いながら、もう必要のない―――いや最初から必要のなかった剣を返そうと差し出す。にも関わらず、レオンハルトは顔を上げない。

 おや、と思いつつ視界に入るよう剣を振って見せれば、やっとのろのろと顔を上げた。その視線はどうして頭がまだくっついているのか理解できない、とでも言いたげで。エステラも身構える。謎の罪で断罪してくれとはた迷惑な自殺に巻き込まれたくはない。これ以上ごり押しするなら一発殴ろうと拳に力を込めたところで、レオンハルトが体を起こす。


「許す……?」


 どうしてそんな事を言われたのか全く分からないと言った様子のレオンハルトだが、エステラの方がどうしてそんな風に思っていたのか全く分からない。ぼんやりするレオンハルトの手に剣を握らせながらドン引きする心を隠せない。筋金入りな規則絶対主義の辺りで大分よくわからないと思っていたが、もう本当に意味が分からない。

 というか段々面倒になってきた。


「そうそう、許す許す。て訳でおしまい。この話は終わり」

「本当に良いのか?」

「うんうん、許す許す。ハイおしまい」


 面倒さを隠そうともせず、とにかく話を終わらせたい事を全面に押し出すエステラ。それに気づいているのか気づいていないのか、レオンハルトはゆっくりと飲み込むように顎に手を当て思案している。

 ぼんやりと停止したのを横目に、一息入れようと水を用意してエステラも一度手を止める。流石に一人で飲むのもどうか。金属のカップと水袋を両手に視線を巡らせ、レオンハルトを振り返る。まぁ水くらいは良いか。


「もういいです? はい水」


 ゆったりとコップを受け取るのを見ながら、自分は水袋から直接水を飲む。火のそばで一人大騒ぎしたからか、やたらと美味しい。


「……その、聞いてもいいだろうか」

「なんですか?」


 おずおずと静かに呟かれた声にちらりと視線をやれば、レオンハルトは両手でコップを持ってエステラを見ていた。そこになんとなく縋るような空気を感じた気がして、体ごと少しレオンハルトの方へ向ける。ふと里にいた幼い子供たちを思い出したのは、どうしてなんだろうか。


「名前は」


 ぽつんと落とされた疑問に、思わず呆ける。一方的に知っていて名前を呼んでいたからか、勝手に知られているような気分になっていた。

 顔見知り以上に遠い関係とも言えるのに、微妙に会話が成り立たない所もあるのに、妙に気安く考えてしまっていたのは話のテンポが噛み合ったからだろうか。どうにも今更過ぎる質問に思えて、エステラは声をあげて笑ってしまう。


「エステラ! そういうあなたの名前は?」


 せっかくならこの男から直接名前を聞こう。上がった気分のまま、にこにこと笑いながら問えば無表情と名高い英雄がきょとんとする。今も含めてレオンハルトが零す表情はどれもがうっすらと漏れ出た程度の微かなものだが、言うほど無表情ではない事に更に面白くなる。もっと思いっきり出せばいつまでも見ていられるのに。


「……レオンハルト」

「そっか。レオンハルト、今日はなんだかんだ楽しかった。ありがと」

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