40thキネシス:超能力でもハンプティダンプティは元に戻せない。

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 チームのアンダーテイカーには散々不安視された、鉄骨の超高層ビルからの脱出計画プラン

 だが、全員を乗せたグランファージの電車はキチンと軟着陸させて見せた、陰キャ超能力者マインドウォーカー影文理人かげふみりひとこと『リヒター』である。

 そして、最初に電車型グランファージに食われた末っ子チビ忍者は生きていた。

 とはいえ、リヒターとグランファージが派手にり合っていたので、中で振り回されてあちこち打ち身していたというが。


 もっとも、子供とはいえ同情する大人は皆無だった。

 無事(?)地面に降り安全を確保するや、怖いおじさんやガラの悪いお兄さんたちは銃口を突き付け、黒い卵エッグを没収。

 他の裏切り者姉妹も拘束した。

 忍者の長女は、大量の出血と肋骨の断面が見える程の重症で、流石にもう動けないらしい。末っ子もしたたかに身体を打ち付け痛々しいほど満身創痍。多少マシなのはツインテールの次女だけだ。

 男性陣も、無数のファージとの接近戦で大分傷を負っている。

 それに、終始タフなところを見せていたヴェレスの双子も、ウェーブヘアの方が長女忍者との交戦中にファージに背中を斬られていた。深手のようで、大分顔色がよくない。

 

 現在は崩壊する高層ビルから離れた雑居ビルの屋上に陣取り、後続の応援部隊による回収を待っている。

 しかし全員ボロボロで、一刻も早い救助が必要だった。


「大丈夫よリーナ……わたし達は今までもこれからも一緒。そうでしょう?」


「そうね、ナタリア……。あなたが無事なら、わたしも、いつも一緒にいられるわね」


「違うわ……。そうじゃないわ、リーナ」


 座り込み、ウェーブヘアの片割れを抱きかかえるパッツンヘアの方。

 ヴェレスの双子、カロリーナの肌からは血の気が失せ、蒼白となっている。言うまでもなく声も弱々しい。

 今までの抑揚の無さとは180度異なり、ナタリアは子供をあやす様にやさしく語りかけていた。


「姉さん、赤玉の丸薬は? 飲んでおいた方が…………」


「この有様じゃ、あまり意味は無い、わね……。動けたところで、ね?」


「ぅふぇぇええ…………。ごめんなさいお姉ちゃーん…………」


 裏切り者の忍者姉妹も、容態はかんばしくない様子。

 特に長女は、今にも失神しそうだ。出血量的には、それでは済まないかもしれない。

 それでも、痛々しい姿のまま縛られていた。


 理人リヒター負傷ケガこそないが、終始テンションをトップギアに入れて超能力マンドスキルを発動させていたので、エネルギーがそろそろゼロだ。

 結局のところ超能力も体力勝負である。

 能力をコントロールする集中力、能力を発動させる精神力、そして能力のパワーを決める気力。

 アンダーワールドに入ってから終始チームのサポートをしていた理人の負担は、見た目に出ないが割と深刻だった。


 だとしても、見殺しにするワケにもいくまい。


『……とりあえず傷を塞ぐか』


 座り込んでいた空調ダクトから、重そうに腰を上げるハーフコート姿。


 治癒能力ヒーリングの事はあまりヒトに言うな。

 高校の英語科教師(補佐)にしてリヒターのお目付け役、沙和すなわミリアはそのように警告していた。

 アンダープラハでのドミナスとの戦闘後、うっかり別の治癒能力者ヒーラーからパクってしまった超能力マインドスキル

 超能力者自体の絶対数が少ない上に、治癒能力ヒーリングが使える者は更に少ない。

 そして当然ながら、需要は大きく権力者や巨大資本に目を付けられやすい能力でもあった。

 外傷限定で病気や感染症には使えないのだが、事故などに備えて超優秀な保険として抱え込んでおきたい者は多いだろう。


 そんな面倒を避ける為に秘匿しておくのが無難とされ理人も納得したが、そうは言ってもあのお姉さんたち今にも死にそうだし。


「リヒター……!?」

「……なにを、する気?」


『超能力治療ですよ。まだ練習中だけど、止血くらいできるでしょ。やりますか、やりませんか』


 幽鬼のようにたたずむ黒いフードの陰キャ超能力者に、やや警戒感を表に出すヴェレス姉妹。理人だって疲れているのだ。

 少し逡巡しゅんじゅんする双子だったが、ウェーブヘアの方の意識がいよいよマズい事になって来たので、ダメもとでその身を委ねる事とした。

 骨を削り内蔵が見えそうなほど深く、出血の止まらない切創が、指差しした先から自然に治っていく。


「暖かい……それに、痺れや痛みも無いのね」


「リーナ……」


「でもごめんなさい、眠いの。少し、休むから…………」


 コテン、とパッツン前髪のナタリアの胸元に頭を落とすカロリーナ。

 紛らわしい寝方に一瞬ギョッとする理人リヒターだが、本当に寝ているらしかった。

 理人に月100万ドル(1億3000万円ほど)のサブスクリプションで治癒ヒールを使わせている、と言う治癒能力者ヒーラーサム・ハンディにいわく、


『他はどうか知らないけど、あたしのヒーリングは相手が元々持っている治癒能力を後押しするもんだから。

 傷の程度によるし、負傷した時点でそれなりに消耗しているんだろうが、大きな治癒の後は口もきけないほど体力を消費するようだね』


 治癒能力ヒーリングも実際に使うと、そう『奇跡』的に便利なモノでもないらしい。

 陰キャの治癒ヒールもコピー元に準じるのか、ウェーブヘアの金髪美女の体力を奪い尽くしたようだった。

 これ本当に大丈夫だろうか? と不安でいっぱいな理人だが、これ以上できる事はないので、次の患者さんに向かう。

 その間際に振り替えると、パッツンヘアは姉妹を抱き締め、ぬいぐるみにするように相手のウェーブヘアへ顔をうずめていた。


「おい何やってるリヒター!?」


「そいつらを、治療するつもりか……?」


 ヴェレスの片割れへの治癒ヒールを見ていたアンダーテイカーのおじさんお兄さん達は、次にリヒターが忍者姉妹の前にしゃがみ込んだのを見て不可解そうな声を上げていた。

 かといって止めるような体力は誰も残してないので、文句だけだ。

 忍者姉妹は登攀とはん用のロープや工作用ワイヤーといった頑丈な紐で、胴体と腕を何重にも縛り付けられている。

 何と言っても忍者だ。ここまでしても縄抜けなどされる恐れがあるので治療などしなくていい、というアンダーテイカーの懸念は正しいといえば正しかった。


「なぜ、助けてくれるですか? あなたを油断させる為……好意的なフリをしたのは…………」


 美人の長女忍者、隠穂いなほは脇腹の血が止まっておらず、横倒しにされた状態で床面に赤いシミが広がっている。

 前述通り、理人の治癒能力ヒーリングは相手の再生能力次第だ。

 これ綺麗に治るのかな、と疑問に思いながら、肉が裂け骨の破断面が見えている脇腹に治癒の念動を放射。

 姉忍者は大分意識が危ういのか、熱に浮かされたような声色だった。


『あんなもん……ハニートラップみたいなもんだとしたら、いちじるしくマト外れだったと言わざるを得ませんね。

 15年彼女無しの陰キャ童貞は最初から綺麗なお姉さんの好意なんて期待しないんですよ、普通。

 大抵のヒトならビックリして警戒すると思うわ』


「それは……失敗、しました」


 綺麗なお姉さん忍者は、一般高校生のシャイな感性に敗北を認めて、はかない微笑を見せた末に失神した。限界のようだ。

 止血は成功したようで、内側からじわじわと傷も小さくなっている。

 次に全身青アザだらけの末っ子を診て、特に痛そうなところを治癒してそのまま転がしておいた。


 実は少し誘惑されかかっていたのだが、裏切り姉さんにわざわざそれを言う事もあるまい。


「ありがとう、ございます、リヒター……さん。姉と妹を助けてくれて」


 と言うのは、特にこれといった外傷の無い次女のツインテ忍者、堕葉おちばだ。やはり雁字搦がんじがらめのグルグル巻き状態。

 身をよじり、頭だけ起こしリヒターの方を見て礼をする。

 フと、理人は三姉妹がこの後どうなるのか気になったが、それは自分が何か言うような事ではないと、ただ沈黙して頷くに留めた。


「おいリヒター、こっちも頼む!」


 陰キャ超能力者が使えると分かると、他のアンダーテイカーからも治癒ヒーリングを求められる。

 ファージの大群から猛攻を受け、出血や骨折、あるいは内側を損傷している者もいた。

 そういった負傷者を処置しながら、後続の救助チームを待つ。

 鉄骨の塔の崩落はとりあえず落ち着き、新たなファージの動きも見られない。

 未だにアンダーワールドの只中で安心はできないのだが、チームには一山越えたというどこか気の抜けた空気が漂っていた。



 そして、当たり前のように皆の中心にいた、くたびれたコートを纏う渋い英国紳士。

 黒い卵・・・を手にした『マスターマインド』、エリオット・ドレイヴンの姿に、気付いた者から悲鳴に近い驚きの声を上げていた。



「なんだ!?」

「誰だこいつ!? いつからいた!!?」

「ま、先生マスター!!!?」


 即戦闘態勢に入りアサルトライフルを向けるキャップのリーダー他アンダーテイカー。

 呆気に取られて、理人は念話テレパシーを使うのも忘れる。


 理人のダンディー師匠は、アンダープラハの仕事の後で音信不通になっていた。暫く忙しいとは聞いていたので、特に疑問には思わなかったが。

 だがそれがここに来て突如姿を現し、しかも今回の騒動の元である黒い卵エッグを持っているのはどういう事か。

 イヤな予感がした。


「すまないな、リヒター。これはいただいていく」

「は!?」


 5つの銃口を向けられても一顧いっこだにせず、それだけ言うとシブメン英国紳士の姿は場面転換でもしたかのようにパッと消えてしまった。

 瞬間移動テレポーテーションだ。

 一瞬の出来事に、誰もが二の句を告げず、数十秒。


「リヒターどういうことだ!?」

「今のはマスターマインドか!? あの野郎どういうつもりなんだ!!?」

「これがお前たちの・・・・・計画かリヒター!?」

「いや知らない知らない! 先生マスターが……なんで?」


 非難の矛先は、最も関りが深そうな弟子の陰キャの方へ向く。

 瞬間移動テレポーテーションに追い付くのは不可能に近く、憤懣ふんまんをぶつける相手も他にいなかった。


 だが、一番ことの真相を知りたいのは、誰であろう理人本人である。


                ◇


 理人が偶然発見し、アンダーテイカーオフィスが厳戒態勢で保管にのぞみ、そして最終的にマスターマインドに持ち去られる事になった、黒い卵。

 オーパーツ、『エッグ』。

 その回収は失敗という結果になったワケだが、状況を精査するにつれ、話はさらに複雑となっていた。


 オフィスの依頼を妨害した形のマスターマインドには、アンダーテイカーの追跡者が差し向けられる。

 当然ながら教え子であるリヒターの関与も疑われたが、そもそもエッグを見付けてきたのはリヒターである上に、回収任務においてもオフィスの方がリヒターを指名していた為、その可能性は低いと判断されていた。

 当面風当たりは強いだろうが。


 マスターマインドの弟子の陰キャ超能力者より問題になったのは、オフィスから直接依頼されながらそれを裏切りエッグの強奪に及ぼうとした、忍者の三姉妹だ。

 三姉妹の故郷にして所属先、『草叢くさむら隠れ』は、依頼と契約厳守の絶対に裏切らないプロの仕事人集団である。

 そこでもし裏切りがあるとすれば、それは最初からそういう仕事だった、というだけの事。

 よって、今回のオフィスからの依頼に際しても、何者かからエッグ奪取の密命を与えられていたことは容易に推察できた。

 ついでに、その依頼元がエッグとオフィスの事情に通じた者であろうことも、難しくない予想だった。


 忍者三姉妹を使いエッグを手に入れようとしたのが、エッグを用い自分たちに都合の良いアンダーワールドを作ろとするオフィスの非主流派であるのは、間もなく判明した裏事情である。


「申し訳ございません」


 三姉妹の長女、隠穂いなほは長い艶髪を地べたに投げ出し、額を擦り付け土下座していた。まだ傷は癒えてないがそれどころではない。

 後ろでは同じようにして、次女の堕葉おちばと末っ子の狩菜かりなも土下座している。

 古めかしい土間のある、日本家屋の裏手口。

 三和土たたきから上がったところ、上がりかまちには脚を組んで座っている美丈夫の少年と、両脇には里の長老と三姉妹の父親がいた。

 長老と父は、いずれも厳しい渋面を作っている。

 娘たちが取り返しのつかないしくじりをしたのだから、当然だ。


 三姉妹の属する忍者集団、草叢くさむら隠れは、元々はある一門に属する諜報組織だ。

 その活動の一環でアンダーテイカー業にも手を出しており、他にもどんなしのぎ・・・をするかは、草叢くさむら隠れの里の自由とされている。

 だとしても、基本的に草叢くさむら隠れは一門の本家に仕え、その為に働く一族なのだ。

 今回、オフィスの非主流派に乗せられ陰謀に加担し捕らえられた三姉妹は、草叢くさむら隠れのが話を付けて引き取る事となった。

 三姉妹は、里の上の者の面子を潰したことになる。


「まこと、申し訳ございません、若様…………。このような事でお手をわずらわせるなど」


「オフィスの内輪揉めに足を突っ込んだ挙句に、義の無い方に付き、あまつさえチームの消耗を招き、あの・・マスターマインドに獲物を掠め取られるスキを見せるとは。

 あまりにも無様な……! どうなるか分かっておるな、隠穂!?」


 重々しい口調で、中央に座る少年に詫びる長老。孫と祖父ほどに歳が離れているが、そんな事は問題にならないほど両者の立場には違いがあった。

 父の叱責に、ひたすら平身低頭の姿勢を見せる美人姉妹。

 その言葉に一切異論はなく、どんな罰でも受ける覚悟だった。


「まぁ、いいんじゃないスかね」


 ところが、そんな苛烈な空気が、『若様』と呼ばれた少年の軽い一言で吹き飛ばされる。


「だいたい今回のドタバタって、オフィスがエッグを紛失したのが事の起こりでしょ。それでオフィス本体がエッグの捜索決める前に、少数派が先手とってウチの隠穂姉さん達に目ぇ付けたワケだ。オレが呼ばれて焦った連中が暴発したのかも知れんね。

 まぁそれも含めて、概ねオフィスの対応が後手に回ったせい、と言えるんじゃないです? こっちは巻き込まれて事故ったみたいなもんですか」


「は…………」


「それに、隠穂姉さん達がやり手なのは知っているけど、マスターマインドのクソ親父が裏で暗躍してたとなるとなぁ……。あのオッサン、オレでも捕まえるのは骨だから。

 隠穂姉さんらでも、ちと荷が勝ち過ぎると思われる。

 とりあえずオフィスには、テメェのところの命令系統が二重になってたせいでこっちはえらい迷惑被った、という事で落としどころにさせるよ」


「ですが若、この度の娘……隠穂たちの働きは、あまりに見極めも手際もなっておりませぬ。里は無論、一門にも我らの示しが…………」


「んあー……そうねぇ。

 そんな気にすることないと思うけど、大人じゃそうもいかないかー。

 ま、何か考える。じいちゃんにもそう言っとくよ」


 軽い口調、鷹揚な語り口ながら、聞く者が承服せずにはいられないカリスマ性。

 高校生の若造だと、長老も三姉妹の父も軽んじる気は一切起こらない。

 少年は王であった。

 力と資質を備え、先人によくならい、武術と武人の歴史を継承する年上キラーである。


「マスターマインドとエッグの方はオレがあたるよ。

 あのオヤジがアンダーワールドを作りたがるとは思わんけど、単なるコレクションにしたがるとも思わんしな……。気になる。

 それより隠穂姉さん」


「はい」


 少年に声をかけられて忍者の長女も顔を上げた。

 長老も父も何も言わない。

 里の重鎮ふたりが敬意を払う少年である。

 隠穂などとは、身分が違い過ぎた。

 この若様は、そういった常識が一門に根付いていると分かっていてなお、まるっと無視して『姉さん』などと親しげに接するのだが。

 それを許されるのもまた、王たる所以である。


「マスターマインドの弟子、『リヒター』だっけ。どうだった?」


 詰問の場にあって、真摯な顔付きをしていた長女忍者の表情が、この質問にはピクリと僅かに震えた。

 リヒター。

 フードに隠れて顔が見えない、正体不明の超能力者マインドウォーカー

 思い返せば、目の前の少年と同じような歳の男の子を仕事で相手にしたことは、一度もなかった。

 あのフードの下にある紳士で純朴な少年像を思うと、奇妙に胸がざわめく。


 しかし、そんな心は胸の奥深くに押し込み、隠穂は宗家の若様の求めに応じて、今回の仕事の中で知り得たリヒターの全てを報告。


「フッ……ンッフッフッ……アッハッハッ! そりゃそうだ隠穂姉さん、あんたみたいな大人の美人に迫られたら普通の男子なんて委縮しちゃうよ!

 リヒターだってビビるわ、かわいそー」


 そして、美女忍者が陰キャ超能力者を垂らし込み損ねたというくだりで、若様は爆笑していた。

 父は、そんな事までドジっていたのかこの娘、と目を吊り上げている。

 隠穂は先ほどまでとは違うニュアンスでへこんだ。


「でも、隠穂姉さんらにヴェレス姉妹も助けた、ねぇ……。上級ファージもほぼ一蹴ってか。力量はあるしナイスガイじゃん、リヒター。

 それに、どうもマスターマインドと連携している感じじゃないんだよなぁ……。

 あー、あのオヤジが絡むと裏の裏の裏まで読まないといけないから、めんどくせー」


 少年は爆笑を引っ込めると、今度は微笑を浮かべながら天井を仰ぎ思案顔となる。

 口では面倒だと言いながら、楽しさをこらえ切れないようだ。

 それは、マスターマインドという男が手強い指し手である故か、それとも弟子の方が理由か。


「そうだな……隠穂姉さん達には、いずれもう一度リヒターに接触してもらうか。どうかな、もみさん?」


「若様がそう仰るのであれば…………」


「おっけー。それじゃ、そういう事で、よ・ろ・し・く♡」


 こうして、若の一声で三姉妹の沙汰さたも決まった。次の仕事で挽回しろという事だ。

 少年は話が終わると、さっさと土間から外に出て本宅への帰り路につく。これで忙しい身分なので。


「フンフン、『リヒター』、か……。マスターマインドと別物なら、それはそれで面白いな」


 自然を色濃く残す広大な敷地の中、少年の呟きは誰も拾わない。

 しかし、世界中のあらゆる権力者が、一挙手一投足に注視せずにはいられない少年でもある。

 その次の興味の対象は、珍しく同年代の相手だった。


                ◇


 姉坂透愛あねさかとあは、影文理人の自宅であるマンション6階の部屋に入り浸り状態である。

 高校生男子のひとり暮らしで、床面積は広く部屋も余っている。一室は既に透愛の自室状態だ。

 冷蔵庫の中も、不在の折には勝手に食べて構わない、と理人から言われている。


 その理人がハードな仕事明けで爆睡していた、午前8時10分。

 Vtuberでもある姉坂透愛は徹夜での耐久ゲーム配信を終え、朝食をいただこうとリビングダイニングにやって来た。

 まだ静かな午前中。隙間から光が漏れているカーテンを開け放ち、モダンなフローリングの広間に朝の明かりをいっぱいに入れる。

 AIスピーカーに「テレビをつけて」と言うと、壁掛け大画面テレビがニュース番組を映し出す。

 一日がはじまった気がして、透愛は気分が良くなった。この後寝るのだが。


 ニュース番組ではあるが、その中では政治経済や世界情勢だけではなく、芸能や文化、ちょっとした生活のトピックスなども放送している。

 ちょうどその時間帯は、グルメ情報を流していた。本日は卵かけごはんへかける調味料やタレの紹介です。

 白いご飯に黄色いときタマゴ。味を引き立てるのは、味噌メーカーのたまり醤油やお取り寄せのトリュフ塩、有名デパ地下が扱う濃厚熟成バターなどという物もあった。

 フと透愛の頭に浮かんだのは、最後に卵かけごはんを食べたのはいつだったろう? という疑問だ。

 そもそもこの少女は、生卵をご飯にかけて食べるという行為があまり好きではない。

 食べられなくはないし美味しいとも思うのだが、不意に感じる生臭さが嫌なのだ。

 なので、相当食べたいという気持ちが高まっていなくては手を出さないのだが、テレビに共感してしまったので、今がまさにその時だった。


 とりあえず冷蔵庫を偵察しようと思い扉を開くと、今日も中身はぎっしりだ。

 家主である少年はひとり暮らしをはじめたばかりで金銭感覚も混乱気味なので、興味のあるものは何でも買って来てしまうのだ。

 なので、冷蔵庫の中身は何でも食べていい、むしろ腐らせる前に食べてくれ、といった感じである。


 だから探せばたいてい何か面白い物があると分かっていた。


「おお、温泉卵? 相変わらず好きだなぁ理人くん」


 見つけたのは、扉の裏にあるタマゴ入れの端にあった、ひとつだけ黒い殻の卵だ。

 生卵は生臭さが怖いが、火を通してあるならそうでもないと透愛は知っているのでうれしくなった。

 白米は前日の残りがある。塩も、フランス産の赤みがかった岩塩があった。鹿児島産の濃厚な甘みを持つ醤油もあって悩む。白出汁や色々使える醤油ダレ、ちょい足しラー油で食べても美味しいはずだ


 卵かけごはんは生臭さが怖いな、とか30秒前は考えていたのに、今は2杯を別の味付けで食べようかなとか思っているのがげんきんであった。



 理人が目を覚ました時には、全てが終わっていた。



「あ、おはよー理人くん。一個だけ温玉があったから朝ごはんに貰っちゃったけど」


「おはよー、トアさん…………。お、『温玉』? そんなモノ買ってたっけ??」


 寝ぼけまなこで学校のアイドルが言うセリフを反芻はんすうする寝覚めの陰キャ。

 少し目線を動かすと、リビングのテーブルの上に空の茶碗が置かれており、すぐ近くでは黒い卵の殻が真っ二つになって転がっている。


「んん?」


 かすむ目を細めて、光を返さない黒いタマゴ、の殻を凝視する陰キャ。

 つい先日、東京都心のアンダーワールドまで追いかけて行ったオーパーツの質感に極めて似ているのは気のせいか。


 認め難い現実を前に、影文理人は眉間にシワを寄せてひたすらタマゴの殻を観察している。

 全校的アイドル美少女は、「美味しかったよ?」とか能天気な感想を述べていた。


                ◇


 姉坂透愛が、半分固まった黄身と白身の美味しそうなタマゴを、湯気を上げる白米へ落としていた、その時。


「どういうことだ……?」


 教え子を裏切ってまで手に入れたアンダーワールドの『エッグ』が忽然と消え、シブメン英国紳士のエリオット・ドレイヴンは静かに困惑していた。




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