第14話 迷惑

ある男がいた。男は離婚しようとしている。

原因は嫁の浮気だ。嫁曰く、つい間がさして、その後関係がずるずる続いたらしい。男はそれに気がついた時は激昴した。激しい怒りに襲われた。普段大人しく真面目な男は正義の男であるが故に悪である対象には非常に厳しい男であった。もちろん先にあるものは離婚しかないと考えた。それまで、男は嫁のため、子供のためと社会の理不尽を受け入れ身を粉にして働くことに何の不満もなかった。さらには、家族を気にかけ育児を嫁に任せきりにすることもなく、できる限りのことは行い、自分が働いていることに甘んずることなく主婦業に勤しむ嫁を休ませることにも欠かさない男であった。つまり、なにが言いたいかというと、フィクションであったとしても、現実には完璧な人間などいないとこも重々承知したうえ、このお話の中でだけでいいので、この男は夫として完全体であると仮定してほしい。

よって、嫁の浮気も本当にほんの少しだけまがさしただけのもであり、夫や子供、彼女を取り巻く環境になんの不満もない状態であったと仮定してほしい。それでも間がさしてしまった。

嫁は誤り、夫が離婚するなら慰謝料も払い、子供の親権も譲り、与えられるものは全て夫に与え償い着れぬ罪を償うつもりでいる。


夫の怒りは納まらない。浮気は悪であり、何よりも男や子供に対する裏切りである。いかなる理由があろうとも、決して許すことはできない。という考えはこれまでも、これからも、変わることはなかった。


今後起こりうる問題は

子育てだった。男の子供はまだ小さい、物心もつかぬ程に幼い。それ程に小さい子供を父親である男ひとりで育てることができるのだろうか。

幸いなことに男には財産があった。これまで真面目に働いてきて、娯楽もほどほどに、子供の養育費としての充分な蓄えがあった。さらに、男には、自分の祖父からの遺産という大きな財産もあった。つまりは、自分が主夫として、子供と長い時間を共にしても困らないほどの蓄えがあった。

さらには、男には充分な教養がある上におよその家事といえるものはこなすこともできた。


男は離婚するに当たって、周りにも相談した、母、友人、恩師、弁護士等、思い当たる限り必要と思える全ての人間に相談した。そして、結論はすべてが離婚するべきだ。おまえならきちんと子供を育て上げることができると、皆、口を揃えて言った。




しかし、男は、離婚しなかった。嫁を許したわけは決してない。男と嫁の間にある亀裂は一生埋まることはない。

理由は子供のためである。そして、子供か幸せに生きることが男にとっても何よりも替えがたい幸せであるからだ。


男には父親が居なかった。物心着く前から居なかったので、最初からいないに等しい。男にとってはいない事が事実で、理由がどんなものであっても、いないものはいないのだった。母がひとりで男を育ててくれた。男は母しかいない自分の境遇を寂しく思ったことは1度もない。父親がいないことに疑問は抱いても不満は抱かなかった。母は主婦として男の傍に寄り添ってくれた。生きるための資金は母の元夫つまり男の父親に当たる人物から慰謝料として、それなりのお金を貰ったらしい。


そんな男が子供のためと離婚をしない。子供の母となる存在、そして父親となる存在。その必要を男は感じているのである。考えているのだが、それ以上に感じるのである。


男はおおよそ少年から青年になる際、様々なことを選択することを強いられた。別にそのこと自体は、誰にでも起こりうることである。しかし、その選択をする上で、男には世間というものがどのようなものがわからなかった。母は働かずに私を育てることに専念してくれた。子育てとして、大変なことは多くあっただろう。しかし、世の中でという視点ではどうだろうか。こと働くことに関しては世間から乖離した環境であったため全くわからない状態であった。母は働いたわけではないらしいが、話に聞くばかりで、男は体感てしてそれを感じることはなかった。


よって男は青年から成人しお金を稼ぐ立場になった時に大きく苦しんだ。働く能力に問題があるあったわけではない。しかし、働くというものさしが男の中にはなかった。何度か働きすぎて倒れそうになることもあった。働くことの辛さ、限度、程度として、それが当たり前なのかどうか全くわからなかった。どのくらい調節して良いかわからなかった。


だから男は常に苦しんでいた。

どんなに幸せな家庭を築けていたとしてもその苦しみから解放されることはなかった。


たとえ、母が父で男が働く立場ではなく主夫としての立場でも同じであっただろう。主夫としてのものさしがない。体感することができなかった。そして同じことになっていた。


そんな自分と同じ状況に自分の子供を陥らせることは決してできなかった。

だから、男は離婚することなど到底できなかった。


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