第12話 他力本願


ある男がいた。

その男には何もできることがなかった。だから、何もしない日々を過ごしていた。なにもしないまま、その日の陽も沈み、いつものように晩酌にビールを呑む。いつもの麦芽の香りと苦味は炭酸とともに喉を通り越していく。今日も特段変化のない1日であった。


男にとって何もできない、ということは、何にも自信を持てるものがないという意味で、物理的になにかにしばられていて何もできないというわけではない。朝起きて、顔を洗い、朝食をとり、今日は何をしようかと考え、その時にしたいことをする。したいことがなければ寝る。昼飯を作り、食べる。午後もとくだん用事もないかぎり午前と同じような過ごし方をする。そして晩飯を作り、食べ、いつもと同じビールを呑みとこにつく。男にとっては、普通のことであり、ごくあたりまえの日常がすぎていくだけだった。


そんなある日、男の下に友人が訪れた。友人が多いわけでもなく来客が常なわけではないが、特別なことでもなく普通である。その友人も何か用事があって男の元を訪ねたのではなく、別に用事があってたまたま近くにあたから寄ってみた程度であった。ちょうど昼時だったので、男は昼飯を作っていた。男は何気なく友人に聞いた。

「昼飯、食べていくかい?」

「いいのかい?」

「一人分も二人分もたいして変わらないよ」

「じゃあ、お言葉に甘えて」

と友人にも昼飯を食べさせた。

友人は帰り際に言った。

「なかなか、おいしかったよ、ごちそうさん」

「へいへい、じゃあまたな」

そういったやりとりをして友人を見送った。


その日の夜男はいつもどおり晩飯の作り、それを食べながらビールを呑んだ。

「むむっ」

男は不思議に思った。

「いつもより味が・・・濃い・・?」

男の感覚では麦芽も苦味も炭酸も普段のそれとはその日は強いものに感じた。

はて、と思いつつ、気のせいかなとも思い。ビールを呑みおわりいつものように床についた。


次の日、母が姉を連れて突然やってきた。理由は生存確認らしい。とくだん、何か悪い噂を聞いたとかそういうわけでなく、あまりにも実家に顔を出さないから、と様子を見に来たのだった。ちょうど晩飯の支度に取りかかろうとしていたところだったので、母と姉に聞いた。

「晩飯、食べていくか?」

「あら、じゃあこれ使いなさい」

と母はこれといってちょっとして野菜を差し出してきた。男はそれをちょっとした料理にして晩飯にでしてやった。

「おいしいわね」

「そうね」

母と姉はそういいながら晩飯を食べ返っていった。男は残りものをあてにしながらいつものビールを呑んだ。今度は明らかに味が違う。豊潤というか、旨味がつよいというか、とにかく、昨日よりも格段にそのビールをうまいと感じるようになっていた。


どうしてだろう、とその日男は考えた。特段大仕事をしたわけではない。いつもと違う点を来客が続いたくらいであった。しばらくして、特段意識していたわけではなかったので気がつかなかったが、男の中には少しく充実感があることに気がついた。自分がいつもの料理を友人や家族がそれをうまいと認めてくれた時、充実感を男は感じていた。そして、その充実感がビールをうまくしていたのであることにも気がついた。


次の日、男は試してみることにした。一昨日とは別の友人に声をかけ、家に呼び昼飯を食わせた。

友人は「うまい。料理できるなんてすごいね」と言ってくれた。

その日のビールも最高にうまかった。

男はその充実感にしだいに虜になっていった。日に日に他人に飯を振る舞う機会が増え、最終的には定食やまで開くようになった。この頃には、ビールのうまさもピークに達しようとしていた。


そんな他人から自分の料理を褒めめられて得る充実感に満ち溢れたある日のことである。

一人の客が、ぼそり、と言ったことを男はきいてしまった。

「なんだ、普通の飯じゃねえか」



その日の夜から

男はビールをうまいと感じることはなくなった。

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