第10話 粒

ある男がいた。

男は寝ていたが、雨の音で目が覚めた。目が覚めたと言っても、はっきり目が覚めたわけではなく、それは虚なものであった。ざああああああと途切れることのないその音から察するに、そこそこの量が降っているのだろうと予想できた。まどろみのなか、視界も普段の半分くらいしかなく、ただその音に聞き入っていた。「なんと心地よい音だろうか。」そう男は思っていた。そして、何にも気が付くこともなく、現実と夢の境界はあやふやなまま、また眠りについた。


朝、男は起きた。窓の外を見ると快晴であった。なんと清々しい朝なのだろうと男は思った。なんとなく、朝の清らかさを感じていた。しかし、男はあることに気がついた。どこも、湿っていない。昨晩、雨が降っていたハズなのだが、その形跡がどこにもない。いくらまどろんでいたとはいえ、あれほどの雨音が聞こえていたのだから、朝の時間までに蒸発してしまうなんてことはあり得ないだろう。しかし、雨が降った名残は、水滴の一つも見当たらなかった。「ああ、雨音のあの心地よさと言ったらこの上ないものであった。あれはきっと夢だったのだろう。」男はそう思い、すこし残念な気持ちになった。しかし、心地よい朝には変わりなかったので、その体験をそっと心に仕舞い込み、朝食を摂るために、台所へと移動した。

「おはよう、今日の朝食はなんだい?」

「おはようございます、今日はぜんざいですよ」

「ほう、ぜんざいか、めずらしいな」

しかし、朝の某とする頭にはちょうどよいなとも思い、食べた。

朝食を終えると男は日課の散歩に出掛けた。やはり、どこにも雨の痕跡は残っていなかった。その辺を気の向くままに散策し戻ってくると、書き途中の原稿の続きにとりかかった。

集中すると時間はあっという間に過ぎ昼食の時間になった。腹も空いてきたので台所へ向かった。

「今日の昼食はなにかね?」

「今日の昼食は赤飯ですよ」

「ほう、赤飯。なにか祝い事でも?」

「いいえ、祝い事などありませんよ」

はて、と思いつつも男は赤飯にゴマと塩をかけて食らった。

午後、軒の腰掛、タバコを吹かし、珈琲をのんだ。頭の中は物語を考えたり考えなかったり、庭の植物をみて季節を感じたり感じなかったり、ただ徒然なるままに某としていた。タバコと珈琲を飲み終わると、男はまた机に向かった。そして、集中する。時間はあっという間に過ぎた。そして、腹も空いてきた頃、時計を見ると、晩ご飯の時間になっていた。男は台所へ向かった。

「今日の晩ご飯はなんだい?」

「今日はカレーですよ。」

「ほう、カレーか、うれしいね、カレー」

「あ、食後におはぎもありますありすからね」

おお、なんと気前の良いことだろう、しょっぱいものの後にあまいものまで控えているとは、楽しみなことこの上ない。と男は意気揚々とした。

ふと、男はあることに気がついた。

「朝ごはんは何だったかな?」

「朝ごはんはぜんざいでしたよ」

「うむ、昼ごはんは何だったかな?」

「えと、昼ごはんは赤飯でしたよ」

「ふむ、食後には何が控えているんだったかな?」

「もう、おはぎと先ほど申し上げましたよ」

「そうだったそうだった」


しばらく男は考え言った

「もしかして、明日の朝食は餡を使った饅頭かなにかかな?」

「まあ、ちょうどいい。そうしましょう。小豆がたくさんあるですもの」


「もう一つ聞いていいかね?」

「ええ、一つと言わず三つでも四つでも、なにせいっぱいありますので」


「昨晩、雨はふっていたかね?」

「いいえ、雨なんてふっていませんでしたよ」

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