第三話 天下布部、今川邸へ

「へえーそんなことがあったのか……元康も毎度のことながら苦労するなあ」

「だいじょうぶですわ相良良晴。念仏を唱えながら狸を曰く付きの信楽焼に封印し直せば、元康さんも元に戻りますもの! 封印するだいたいの手順は見当がついてますのよ」

「そっか。件の信楽焼を持ってきてくれたのか義元ちゃん。話が早い」

「それが……邸宅内を流れる河に落としたまま逃げてきましたの、おーほほほ! でもだいじょうぶ! あの河は、邸宅の外には流れ出さない全自動循環河川ですのよ! 故に、信楽焼は邸宅内に!」

「じゃあ、狸が居座る今川邸に今すぐ入り込んで探し出さなきゃならないじゃねーか! 狸より先に発見しないと封印不可になっちまう! しかも憑依から時間が経ってるから、いつもの元康より強くなってるんだろ?」

「物理的にはそうですわねえ。でも、わらわには切り札のお経と祝詞がありますもの!」

 い、今時の話じゃないわね良晴、わたしは合理主義者なのよそもそももう高校生なんだし~と信奈は目を反らしながら出撃を渋っている。良晴とデートするために着込んで来たかわいい私服にみそをかけられたくないらしい。

 だが、『安泰じゃ! 桃太郎卿』にハマっているねねが大喜びで飛びついた。

「面白そうですな兄さま! ほんものの鬼退治、いやさ狸調伏にいざ出発ですぞー! さっそくアニメ準拠でキャラを集めて狸滅隊を結成いたしますぞ!」

「話を聞いた限りでは暴れ者ながら人を殺す妖怪ではなさそうだが、幼いねねを連れて行くのはまずい気がするな……ここは警察に通報して……いや、狸妖怪が出たとか言っても聞いてもらえないか」

「兄さま、今時の妹は兄さまのために可憐に戦うのですぞ! たとえ狸娘にされても、兄妹の絆は決して破れないのですぞ! ねねを捨てたら泣きますぞ!」

「わかったよわかったよ。義元ちゃんが信楽焼に狸を封じてくれれば終わりだし、それじゃ行くか、ねね。ただし絶対に俺のもとを離れるなよ?」

「おー、ですぞ!」

「わたしは行かないわよーっ! 妖怪とかその種の話、わたしは苦手だからあ!」

「いいえ、いいえ。あなたは神戸の治安を守る自警団・天下布部の部長ですわよね? 部長としての責務を果たしていただきますわよ信奈さん。おーほほほほ!」


 そういうことに、なった。


 かくして結成された狸滅隊メンバーは、『安泰じゃ! 桃太郎卿』のキャラになぞらえて、桃・犬・サル・キジの四名。義元は狸に襲われた「モブ1」。鬼役のオファーを蹴った信奈は「モブ2」に押し込まれて「脇役はやーだー!」とお冠。

「ねねが桃太郎卿役ですぞ! 兄さま、ねねを乗せた乳母車を死守するですぞ!」

「なんで桃太郎が乳母車に? これじゃ子連れ狼だよ!」

「幼女だからですぞ!」

「なんで桃太郎が幼女?」

「むーむー! 日頃はきびだんごを咥えて、心の内なる桃太郎卿を押さえ込んでいるのですぞ! 仲間がピンチに陥った時にはこのきびだんごを鬼に与えて改心させるのですぞ。それでも改心しなければ――やむを得ず玉刀で成敗するのですぞ」

「口に咥えてるきびだんごを人様に食わせるのかよっ? 誰が考えたんだよその設定?」

 良晴は当然サル役。「日ノ本無敵・狸退治仕り候」というのぼりを掲げながら乳母車を押す役は受けたが、毛むくじゃらのサルコスプレだけは勘弁してもらった。

「天下布部一の大ふへんもの、得物はけだものの朱槍――前田犬千代、見参」

 荒ぶる野生の犬役が、前田犬千代。頭には、『桃太郎卿』コスプレグッズの犬のかぶり物……は売り切れていたので、修学旅行のお土産としてゲットした虎のかぶり物を被っている。犬じゃなくて虎じゃんと突っ込む信奈。なお、朱槍と称している武器は野球の試合で愛用している赤バットである。

「ククク。キジも鳴かずば撃たれまいに。金髪繋がりでこの梵天丸がキジ役を志願してやったにょだー! 我も今『安泰じゃ! 桃太郎卿』に夢中だからな! ほんとは桃太郎卿に成敗される鬼役のほうを演じたいが、やむを得まいフハハハ! えろいむえっさいむ!」

 ねねと意気投合してノリノリの梵天丸。互いに余った桃太郎卿グッズを交換しあっている仲らしい。相変わらずゴスゴスした中二病ファッションだが、まさか原作準拠じゃないよな? と良晴は首を捻った。


 一行は、義元の先導でリムジンに乗り込み、神戸元町の相良幼稚園からスタート。そのまま東へと直行し芦屋最大の豪邸・今川邸へと到着した。

 庭園内で迷子になったら遭難してしまうといわれるその面積も巨大だが、深々と掘られた複数の堀とやたらと高い城壁、そして鋼鉄の門によって守られた今川邸は、お屋敷というよりは戦国時代の平城そのもの。高さこそ制限によって押さえられているが、天守閣風の「本館」の豪華さといったら。

 なんだこれ。こんな城塞を二十一世紀の日本人が私有していていいのか? 幼稚園に付属する慎ましい相良本宅で暮らす良晴は、「格差社会」という言葉を痛切に感じずにはいられない。

「おおー! まさに鬼ヶ城ですな、兄さま! 財宝いっぱいありそうですな!」

「むっ。良晴、姫さま。堀にはピラニアの群れが……堀を渡るのは不可能……」

「壁を上りきっても、有刺鉄線が待ち受けているなククク。触れたら電流が流れるに違いにゃいのだ」

「ええ、ええ。皆さんの仰る通り。わが今川本邸は如何なる暴徒や官憲や米軍兵の襲撃・爆撃にも耐えられるよう、戦時中に城塞化したのですわ。機動隊や自衛隊をもってしても攻略は困難ですのよ、おーほほほ! ところがその防衛力が狸の目に止まってしまい、今や難攻不落の風雲狸城と化しているのですわ」

「……およそ現代のお屋敷じゃないわね。五右衛門を連れてくるべきだったわ。まあいいわ、堂々と門から入りましょ。義元、さっさと正門を開きなさい」

「なにを仰いますの信奈さん? 内側から閉じられているので不可能ですわ」

「じゃあ入れないじゃん! どーすんのよっ?」

 この時、犬千代が「姫さま、お任せあれ」と物干し竿のように長い赤バットを担いでリムジンを降り、すたすたと正門前まで歩いていくと、

「『けだものの槍――秘打・大ふへんもの』! 憤破ッッッ!!」

 野球の試合中、乱闘が発生した際に繰り出す必殺技をやおら解き放って、ゴンゴンゴンとバットで門を突いて破壊し、強引に開いてしまった。虎のかぶり物をしている分、いつもより荒ぶっている、と良晴は呻った。

「……また、つまらぬものを突いてしまった……」

「ちょっと、なにをなさいますの? 文化財にも指定されている歴史ある正門が、正門が~? きっちり賠償していただきますわよっ? 一億円ほど!」

「はあ? 義元、あんたがわたしたちを呼んだんでしょ! 必要経費よーっ!」

「おおー! さすがは桃太郎卿の家来のうち最強の腕力を誇る犬ですぞ! きびだんごをあげますぞ! さあさあ、屋敷内に突入して信楽焼を探しますぞ、兄さま!」

 いいのかなーと冷や汗を流しながら、良晴はねねが乗り込む乳母車を押しながら今川邸へと突入。「一番槍は任せる」と赤バットを掲げて犬千代が先頭を走る。信奈たちも「それっ、犬千代とサルに続くのよ!」といっせいに後を追ってくる。

 義元が「ひとまず目指すは本館ですわ!」と進行方向を指さすが、意外!

 すでに狸に憑かれて狸耳と狸尻尾を生やしている松平元康が、その本館の玄関で一行を待ち受けていた!

 いつもの陰キャだが温厚な元康とは形相が違う。その人間への恨みの念に固まった表情はまさに妖怪。しかも、見た目にも身体能力が強化されている。

「たぬ、たぬ、たぬ。この知性溢れるだっふん公は、妖怪モノの悪役がよくやる戦力の逐次投入はやらないたぬ。こしゃくな討伐隊をいきなり全力で叩き潰すたぬ」

「……だだだ脱糞公? 元康、女の子がそんな名前を名乗っちゃあダメだ。学校での渾名が『脱糞ちゃん』になってしまうぞ?」

「だから違うたぬ! そんな恥ずかしい名前を名乗るかあ、たぬ! 聞いて驚け見て笑え! 我こそは戦国の世に恐れられた菟原のゴロゴロ岳一帯を支配する狸妖怪大将軍、泣く子も黙る伝説の『奪吻公』たぬ!」

「「「知らない-」」」

「たぬうううううっ!? あれだけの狼藉を働きながら余を知らぬとは? 人間呪うべーし! そこのサル面の男! お前は知ってるはずたぬ! お前からはなぜか戦国武士の匂いがするたぬ!」

「悪い、ぜんぜん知らない。菟原ってどこだっけ?」

「くっ……屈辱たぬううううう! この芦屋周辺の古名たぬうう!」

 狸に唇を奪われている元康が真っ青になって「すすすすみません皆さん! 私は、狸さんに唇を乗っ取られていまあす! 唇を乗っ取るから奪吻公なんだそーです! 脱糞じゃありません、ありませーん!」と悲鳴をあげた。どうやら時折元康自身が自分の唇を奪回できる瞬間があるらしい。羞恥心が頂点に達した時とか。

「まさかのいきなりラスボス登場っ!? 進行が速いっ!? なにやってんのよ竹千代? 幼なじみでご主人様のこの織田信奈に逆らうわけえ?」

「これはいわゆる打ち切りペースですぞ信奈姫! 狸滅隊全滅の恐れありですぞ! いきなり最終兵器のきびだんごを狸妖怪に食わせるですぞっ! これで祓えるはずですぞ!」

「現実はアニメではありませんわよねねちゃん、イカリスーパーの特売品は効きませんわよっ!?」

 ねねが投じたきびだんごを元康、いや、元康に憑いた狸・奪吻公は尻尾でキャッチ。「きびだんごは味が薄いたぬー!」と激昂するや否や、だんごにたっぷりの八丁みそを塗りたくった。今川家の倉で、使用人の松平家が樽に入れて熟成させていた大量のみそを発見確保したらしい。

「あーっ、桃太郎印のきびだんごがう●こ色に? 台無しですぞー!」

「一瞬にして岡山名物が名古屋飯に? じゅるり、美味しそうっ!」

「ククク。日本一の仙台みそには劣るが、八丁みそのワイルドな香りも捨てがたいにょだ」

「はむ。はむ。やはり、みそは美味いたぬ! 鋭気百倍たぬ、お前ら全員駆除対象たぬー! わが屋敷を犯すべからずー!」

 四方八方に、元康――いや狸がみそを飛ばした。

「球避けのヨシ」と呼ばれる良晴が、乳母車内に「あーれーですぞー」と頭を抱えて隠れたねねを庇いつつ全弾回避したのは言うに及ばず。梵天丸は「黙示録の獣の型! 天使之喇叭六六六連!」と妙な必殺技名を唱えながらチェーンを振り回してみそを弾き飛ばし無傷。そして信奈は「やーだーお気に入りのワンピースがああ~勝負デート専用なのにい~もったいなーい!」とドケチ根性を発揮し、必死に走り回ってみそ爆弾を避けた。

 だが。

「おーほほほほ。わらわはすでに十二単にみそを浴びまくってますわ、ただのみそですわよ皆さん。無問題、無問題……ふぎゃっ!?」

「……じゅるり……はっ。避ける前に一瞬みその香りに心を奪われた……不覚」

 高笑いして避けようとしなかった義元と、食欲に負けた犬千代は顔面にみそを被弾。

 たちまち、二人は「たぬううううう! 白鳥八丁みそ円舞たぬううう!」「みそー、みそー! おかなすいたー、たぬうう!」と叫びながら信奈一行に襲いかかる「狸の使い魔」と化した! お二人とも狸妖怪の親玉にに意識を操られていますぞ! とねね。

「どういうこと良晴? 義元はみそを浴びても平気だったはずでしょ?」

「憑かれるのは元康一人じゃなかったんだ! 俺たちはたいへんな思い違いをしていたらしい! たぶん十二単のような衣服にかかってもセーフだけれど、素肌に浴びたら侵食されてアウトなんだ!」

「あーもう。義元ってば敵に回したら鬱陶しいのに味方になったら頼りないんだからーっ! 頼みの祝詞は? お経は? 犬千代まで狸みそに感染しちゃったし、どーしようっ?」

「このままじゃパーティ全滅だ! 俺はねねを連れてこの場から逃げる! 信奈、梵天丸! いったん二手に分散して狸の攻撃を避けつつ、活動開始だ! 狸妖怪が封じられていた信楽焼を探す! 各自、肌を隠してみそ対策! 発見時にはスマホで連絡! 封印方法は行動しながら考えよう!」

「やだ、良晴ってば歴戦のもののふみたい……って、ぶぶぶ分散するのお? ううん。怖くないっ、怖くないけれどお!」

「ククク。ラスボスがいきなりガチで攻撃してきたということは、裏を返せばラスボスには致命的な弱点アリにゃのだ。すなわち狸は河に落ちた信楽焼を未発見! 案ずるな織田信奈。魔物調伏はこの梵天丸にマカセタマエ! えろいむえっさいむ!」

「梵天丸? あんたの特技って敏感な味覚を活かしたお料理作りじゃなかったっけ?」

「それはそれ、これはこれ! 我は西洋の悪魔いじりのほうが本業だが、和物妖怪にも応用できるはずにゃのだ! エリ・エリ・ラマ・サバクタニ~!」

「まさかの義元どのと犬どのが闇落ちとは盛り上がってきましたな、兄さま! 今こそねねが『安泰じゃ! 日ノ本無敵桃太郎卿』を歌って士気を高揚させる時ですぞ……むぐ、むぐ」

「ねね。歌うな、追いかけられる! きびだんごを咥えていろ!」

「むーむー!」

 元康。義元ちゃん。犬千代。必ず狸を祓って元に戻すからな、と呟きながら良晴は乳母車を押して全力で森林地帯へと逃走していた。逃げ足の速さは、戦国世界の戦場で鍛えたもの。あっという間の逃走劇。一行が突如二手に分散したこともあり、せっかく数を増やした狸軍団は不覚にも良晴たちを取り逃がした。

「たぬううう! 河に落ちた信楽焼を未発見だと悟られたたぬ! かくなる上はわが知力を駆使して奴らを罠にかけ、信楽焼発見を阻止するたぬ、たぬ、たぬ」

「邸宅内のMAPはわらわの脳内に完璧に記憶されていますから、ご安心あれ奪吻公。神聖な芦屋の森に、このような無粋で悪趣味な城塞を……人間許すまじですわ。たぬ、たぬ」

「……おなかすいた……みそ……もっと、みそを……たぬ、たぬ」

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