03. おかしなイギリス人
それからは少し、小びんのことを考えるのは、やめた。明後日には、ロンドンの家に戻らないといけないし、そうしたら、次に、おばあちゃんに会えるのは、クリスマス
今回の、ぼくのおばあちゃん孝行は、あとちょっとだけだ。
この日、ぼくは、おばあちゃんの揺り椅子を修理してあげることにした。背もたれが少し、ガタガタするんだって。だから、
ガッチャ——ン!
「え?」
まるで、ガラスが割れたみたいな音だった。
驚いて振り返ると、戸棚の上で、茶色の小びんが割れていた。びんが、独りでに割れることも不自然だけど、それだけじゃない。
ぼくは、目の前の光景が信じられずに、思わず、木槌を取り落とした。
「あぁ〜! やーっちまったぁ——、どーっしょー!」
割れたびんの中から、小さな小さな、人の形をした生き物が出てきたんだ。
背丈に見合った、小さな小さなモップを持って、頭を掻きながら落胆しているのは、小さな小さな女の子だった——それも、
「あ。見っかった……?」
小さな小さな女の子と、ばっちり目が合った。ぼくは、言葉が出ないほど驚いて、ただコクコクと頷いた。
絵本の世界でしか、見たことのない生き物——それは、小人だった。
もちろん、実際に目にしたのは、これが初めてだ。
「こんの、バカ娘ぇ——っ! なぁんて事、やらかしてんだい——っ!」
もうひとつ、戸棚の端から、小さな小さな人の形をした生き物が現れた。外出していたのか、やっぱり背丈に見合う、小さな小さな買い物かごを片手に提げて、中には、大きさに見合った、小さな小さな『かたやきパン』が入っていた。
小びんを割ってしまった、小さな小さな女の子は、慌てて反対側の棚の奥に隠れて、カップの陰から恐る恐る、顔だけ出して震え上がっている。
「お、おおお、お母……っ」
夜中に、かたやきパンのつまみ食いで、言い争いをしていたのは、これらの小さな小さな母娘であったことを、ぼくは、この瞬間に理解した。
「お、お、お、おばあちゃ——ん!」
ぼくは、大慌てで、リビングのソファで
そして今、おばあちゃんはコロコロ笑っている。目の前には、小人の
「おばあちゃん。いつから知ってたの?」
ぼくは未だに、目の前の光景が信じられない。
揺り椅子を修理してから、ずっと、おばあちゃんに付きっきりで、何で、どうして、いつから——そればっかり繰り返している。
直してあげた揺り椅子に、気持ちよさそうに座りながら、おばあちゃんは、コロコロと笑いっぱなしだ。それはそれは、楽しそうに。
「ノリーの直してくれた揺り椅子は、とても座り心地がいいねえ」
「ああ、うん、どういたしまして。それより教えて、おばあちゃん、いつから知ってたの?」
ぼくが急かすと、おばあちゃんは、ゆっくりと小人の母娘を振り仰いだ。
「そろそろ、ノリーには、話しておこうと思っていたんだよ。良い機会だから、ちょっと自己紹介してくれるかい?」
おばあちゃんの言葉に、ケンケンしていた小人の母娘は、ぽかんとした様子でおばあちゃんを見つめる。それから二人で互いを見比べて、娘の方が、先に口を開いた。
「あたいら、びんに住む小人族ってんだよ。……壊れちまったけど」
悪びれずに、そう言う娘に、母親が再びケンケンし始める。
「何って言い方すんだい! あんたが壊っちまったんじゃあないか! まぁーったく、本っ当、ガサツったらない。留守も掃除も、ろくすっぽ出来やぁしないなんっ……」
「ちょーっと、ヒジ振り上げったら、モップん
「何って子だろうね、こん子は! びんに住む小人族が、住むびんを無くっちまうって、話ならんじゃあないっか、え!」
すごく、威勢のいい母娘だ。
「まあまあ、ビン奥さん。びんなら、まだまだ、たんとあるからね。好きなのを選んだら良いじゃないか。ビン娘も、あまり奥さんを困らせるのは、感心しないねえ」
おばあちゃんが、コロコロ笑いながら、二人の言い争いを
「どうも、すみません。いつもいつも」
ビン奥さんと呼ばれた小さな小さな母親は、おばあちゃんに向き直ると、ゆったりとした丁寧な口調で頭を下げた。
どうやら、おばあちゃんは、この母娘をまとめて、ビンさんと呼んでいるらしい。それで母親の方をビン奥さん、娘の方をビン娘と呼び分けているようだ。
「はぁーい。おばあちゃんに言わっちゃあ仕方ない。また、ハーブん手入れ、手伝っからね」
ビン娘がそう言って、ようやく笑顔を見せた。
「あのハーブを……? その小さな体で?」
どう考えても、母娘のサイズでは無理がある気がする。思わず尋ねた
「何っよ。文句あんの? 今んで、ちゃんっと世話してっかんね!」
目を白黒させながら、うろたえるぼくに、おばあちゃんも重ねて言った。「びんに住む小人族は、とても働き者なんだよ」って。笑顔で教えてくれるおばあちゃんは、とても楽しそうだ。
ぼくたちの知らないところで、いつの間にか、びんに住む小人族と仲良しで、ぼくらが居ない間は、ビン奥さんとビン娘が、おばあちゃんのお手伝いをして、一緒に居てくれる。
だからいつも、びんに向かって話しかけて、間違って捨てられてしまったときは、ダストボックスをひっくり返して、必死で探していたんだ。
今は、割れちゃった茶色の小びんを、とても大事にしていた理由は、そういうことだったんだ。ぼくも、やっと理解できた。
ぼくのおばあちゃんは、確かに天然さんだけど、モーロクしているわけじゃない。
ぼくは、そんなおばあちゃんが大好きだ。
「さあ、ノリーもちゃんと自己紹介しないとね?」
おばあちゃんに促されて、ぼくは大きく頷いた。
「こんにちは。ぼくは、ノリー。本名は、オリバー・ポール・アンダーソン。ロンドンに住んでるよ。よろしくね」
「ロンドン? ロンドンっつったかい、今……!」
ビン娘が、キラキラした目をして、ぼくを見上げる。小人にとって、何か面白いことでもあるのだろうか、ロンドンに。
ぼくは小首を傾げながら、頷いて見せたけど、ビン娘は、次に何かを言う前に、ビン奥さんにペシっと頭を叩かれて、そのまま黙りこくってしまった。
「すみませんねえ、坊ちゃん。本っ当、こん子は、騒がしいったら……」
ぼくたちが帰る日、エンズレーのカップとソーサーの隣には、前より少し大きなびんが、同じ場所に、新しく置かれていた。
おばあちゃん曰く、ビンさんたちは、新居の掃除にてんてこ舞いなのだそうだ。今日も朝から、大騒ぎだったらしい。
「じゃあ次は、クリスマスだね」
「ああ、楽しみに待ってるよ」
おばあちゃんとも、コッツウォルズとも少しの間、お別れだ。今年のクリスマスプレゼントをふたつ、増やさなきゃ。何が良いだろう?
ああ、そうだ。ぼくの話のあとに、意見を聞くって言っていたね。何か、良いアイディアがあったら教えてほしいな。
ぼくのおばあちゃんは、小川のほとりに建つ、小さな古屋に一人で住んでいる。ずっとそう思っていたけれど、本当は一人じゃなかったみたい。
イングランドの真ん中あたり、コッツウォルズ地方アーリントン・ロウ地区——十四世紀頃の町並みが、ほぼ完璧な状態で保存されている、イギリス屈指の観光名所。
コルン川沿いに建ち並ぶ、ライムストーン色のお家には、御伽噺が、良く似合う。
イギリス人は空想好きで、お化けや妖精の存在を信じている、ちょっと変わった人が多いって偏見を持たれがちだけど、それは、あながち間違っていないのかもしれない。
ぼくのおばあちゃんは、典型的なおかしなイギリス人だ。でも、残念ながら、ぼくもどうやら典型的な、おかしなイギリス人だったみたい。
そんな、おかしなイギリス人たちの、風変わりで、ちょっとおかしなお話の続きは、いずれ、また。
とっぴんぱらりのぷう
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