騒がしい谷間

 翌朝は普段より遅い出発となった。

 沢が数を増し、地面や木の幹に苔やシダが多く絡みつく湿った一帯に差し掛かった。ただでさえゆっくりだった歩みがさらに遅くなっていく。


「師匠、待ってくださいっ。皆さんが……」


 チャヤが先頭のシオリに聞こえるよう声を張った。後ろの三人が遅れており、隊列が間延びしていたためだ。荷物が誰よりも重いテランスは額に汗が光り、疲労の色が濃いマリーズをエタンが気遣って励ましている。


「あんたたち、頑張って! もう少ししたら休憩よ!」


 シオリが後方に送った声援に、沢を渡り終えたテランスだけが「おー」と返事をした。マリーズは返事をする余裕が無いし、エタンはマリーズに気を遣ってあえて返事をしなかった。


「師匠……そろそろ休んでもいいのでは? 先を急ぎたい気持は分かりますけど……」


 チャヤが提案をした。珍しく非難の色を含んでいる。シオリはさっきも同じことを言って発破を掛けていたからだ。


「もう少し進んでから……うぅ、分かったわよ。そんな目で見ないでよ」


 黒っぽい大岩に背嚢はいのうを下ろすシオリ。見て、チャヤは少し安堵した。三十を過ぎても頑健なシオリは心強いが、他の三人と歩調が合わずに不和を生まないか懸念していたからだ。


「皆さ~んっ、休憩にするそうですよ~っ」


 今度はチャヤが後ろに声を張る。三人が喜色を見せて返事をしてくれた。



 ◇


 エタンに『浄化』の加護を掛けてもらった湧き水を飲み、一息つく。シオリに稽古で負けっぱなしのテランスが、岩の上に座る彼女を見上げた。


「シオリさんはすごいよな、全然疲れてないし。何か弱点とかないのかよ?」

「ないない。あっても言わないわよ」


 弱点。ふと思い浮かんだチャヤは悪戯心で口を挟む。


「師匠、お酒は弱いですよね。サヤカちゃんと二人で、毎日のように酒場から連れ戻して大変でした」

「ちゃ、チャヤ、黙ってなさいっ!? 私の威厳が無くなるでしょ!?」


 効果はてき面で、シオリは慌てふためく。頼れる大人の意外な姿にテランスたちは目を丸くしている。


「へえ、ダナデアに着いたら飲ませてみようぜ。酔うと可愛くなるのかな?」

「……なんで貴方あなたが言うと、変態的な響きになるのかしら……」


 マリーズが嫌そうな表情でテランスを見た。



 ◇


 昼近く、太陽の位置が渓谷と真っ直ぐ平行になった。木陰を移動していたチャヤは、見上げた幹が不思議な光に揺らめいていることに気付いた。気を付けて見ると、それは渓谷の水面の反射光だった。

 断崖一面に光が揺れる美しい光景に吸い寄せられ、一行は眼下を覗きに向かう。渓谷の断崖は両岸ともほとんど影がなくなり、水が最も碧く輝きを見せていた。


「エタンさん、エタンさん。すごい、綺麗ですよ」


 宝石となったような一帯にチャヤが興奮してエタンを呼ぶ。彼も光景に目を奪われていた。彼の汗が光る顔にも水の揺らめきが映っていた。


 全員が崖の縁近くに立って一分ほど経っただろうか。足元のほうからギャーギャーと甲高い鳴き声が聞こえてきた。

 真下に目をやると断崖の岩場に巣があり、無数の鳥たちが翼を広げ、こちらを見上げている。黒っぽい羽根をなびかせる鳥たちとは相当の距離があるというのに、威嚇しながら広げている翼はやけに大きく感じる。そのうち何羽かが一際大きく鳴くと、断崖に吹く風を掴んで舞い上がり始めた。


「離れるわよ! 森へ!」


 シオリが叫ぶと、皆が崖から離れ、森のほうに走る。

 鳥としては野太い鳴き声とともに鳥たちが追ってくる。怪鳥と呼べるほどの大きさだった。

 広げた翼の端から端までなんと三メートル近くにもなる。猛禽のような眼光と短く鋭いくちばしの持ち主。ちらりと見えた脚は太く、弧を描く爪が光った。


 五人が森に飛び込むと、怪鳥たちの何羽かは諦めて渓谷に消えていく。しかし、一部は梢の上を旋回し、威嚇の声を上げ続けている。


渓谷大鷲バレー・イグルみたいね。昔見たことがあるわ。……山奥に棲んでいると思っていたのに、まさか低地のほうにもいるだなんて」


 頭上を警戒しながらシオリが呟いた。迂回路を教えてくれた猟師からも特に忠告はなかった。最近になって住み着いたか、繁殖期だけ住み家を変えるのか、誰も判断がつかなかった。

 数分隠れていたが、縄張り意識の強い鷲たちはなかなか去ろうとしない。


「崖のほうには近寄らないで。このまま移動するわよ」


 シオリの号令の下、念のため盾を構えたテランスを殿しんがりに移動を始める。枝葉が厚い所を選んで進むが、鷲たちはそれでも去らない。


「なんてしつこいのかしら!」


 マリーズが悪態をつき、空を睨む。今にも魔術を放ちたいと言わんばかりだ。


「シオリさん、近寄ってくるようなら魔術を使いたいのだけれど!」

「それは最後の手段よ。今は堪えなさい」


 離れた相手に唯一攻撃できるマリーズはこの状況の切り札だが、魔術は空を飛ぶ相手に早々当たるものではない。できるのは、あくまでも牽制だ。

 しかし、仕掛けたい気持なのは大鷲たちも同じようだった。徐々に高度を下げてくる。そして、ついに梢を潜って迫る。


「のわっ!」


 テランスが盾で大鷲の爪を防ぐ。反撃の剣を振るうと、翼を浅く切り、羽根が二本散った。


「敬愛する明けの光神よ。僕の手に盾を」


 エタンも『光の盾』の加護でマリーズを守る。もっとも小柄なマリーズが集中的に狙われているようだ。


「不死鳥の火の粉よ。形を成し、わたくしの杖に灯れ。その形は『つぶて』。千個の内の三十個。礫が向かうは眼前の敵」


 二人に守られたマリーズが呪文を唱え終えると、魔術が発現する。一発一発の威力は極小だが、近距離の敵に放たれるだ。

 三十発の火の礫の内、数発が大鷲の羽根を焼く。堪らず大鷲が距離を取り、ギャアギャアと喚いてから飛び去った。

 チャヤとシオリが応戦していた鷲二羽も、派手な魔術に恐れをなして離れていく。

 その二羽はその後も上空を旋回し続けたが、十数分後、巣から十分に離れるといつの間にかいなくなっていた。

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力士少女の義父探し 大鳥居まう @OhtoriiMau

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