迂回の準備

 近隣に渓谷を渡る橋は他に無い。一行は一旦引き返し、南へ逸れて近くの村へ向かうことに決めた。

 あの石橋が渡れないからといって、その場で御者と別れる選択肢はなかった。五人は護衛を務める代わりに乗せてもらっていたのだから。しかし、御者が提案してくれた。その村に着いたら自分と五人は別れるのが良いだろうと。

 チャヤたちは渓谷伝いに渡河できる道を探し、御者は村で荷と護衛を募ってから来た道を引き返すことになるだろう。

 馬車の中は、女の死と経路変更の不安で重々しい雰囲気だった。


「シオリさん、『霧と闇』っておかしな奴らなんだろ? 俺たちの村にも話は伝わってきてたぜ」

「ええ、昔は信仰教団の一派だったみたいなんだけど……王政反対、王都からの住民解放なんかをうたいだして」


 理解できないと言わんばかりにマリーズが眉をひそめて、あからさまに嫌な顔をした。

 『霧と闇』の母体であった教団は、政治不信の人々がうっぷん晴らしに所属していった組織だった。教団の初期の幹部たちは国教の排除を夢見ていたようだが、それは上手くいかなかった。信者たちの願望が想定と異なっていったからだ。最初のうちは幹部と信者が辛うじて折り合いをつけていたらしいが、結局決別した。

 分派した一派は『霧と闇』を名乗り、王政反対、さらには王都の住民解放を謳い文句に信者を集めた。そこに荒くれ者や政治犯なども合流すると、過激な手段を取り始めた。暴動に要人誘拐、さらには殺人まで。

 事態を重く見た国はようやく派兵する。そして『霧と闇』は、その悪行と『三連五芒星』の紋章を人々の記憶に植え付けて壊滅した。――それが世間の認識だった。


 だが、壊滅から十年以上経ってあの紋章を見ることになるとは。

 あの女が信者だったのか否か。それとも別件の罪人だったのか。もはや死人に口無し、だ。

 いずれにしても、あの女は逃走のために橋を壊すほど追い詰められ、追う相手も矢で射るほどの追撃をしたということは事実だった。


「あんたたち。まさかとは思うけど、迂回路で追手に鉢合わせしないとも限らないわ。出来る限り用心しなさいよ?」


 その言葉に若者たちは雨で濡れた体がより一層冷える思いだった。



 ◇


 村に着く頃には西の雲間から見えていた日が沈み、一行は数軒の民家に分かれて泊まらせてもらった。新米冒険者たちは移動の疲れが出たのか、皆その晩は泥のように眠った。

 翌日は渓谷を渡るルートの情報収集のため、家を回り歩いた。猟師の話では、渓谷沿いに南下し三日ほどの所に吊り橋があるらしい。大きな回り道だが、やむを得ない。


 もう一泊させてもらい英気を養ったところで、早朝五人は旅を再開した。村を離れる時、御者が来てくれて道なき道の安全を祈ってくれた。朴訥ぼくとつな彼と特に気が合ったテランスは力強く握手し、別れた。



「マリーズさん、大丈夫ですか?」


 再び街道に出て、再び崩れた『リンゲラの大石橋おおいしばし』を目指している途中、マリーズの歩みが遅くなってきた。心配したチャヤが覗き込むと、彼女は首を横に振った。


「ずっと馬車に揺られていたからかしら。運動不足だわ」


 とはいえ、疲労は無理もない。大きく膨らんだ背嚢はいのうの肩紐が、彼女の幅の狭い肩に食い込んでいるのだ。

 前の休憩からさほど間を置かず、もう一度休みをとることになった。

 石橋に辿り着いたのは、昼食を摂って二時間ほど経ってからだった。若者たちは、馬車のありがたみが骨身に染みていた。


「少しだけ谷沿いに下って、今日はそこで野営するわよ」


 豊満な体格に反して健脚のシオリが発破を掛け、一行は南へ進む。ここからは道なき道だ。

 見下ろすと、雨上がりの濁りは流されていったようで、直下の川は碧色を取り戻していた。だが日が傾くとすぐに川に影が差し、時折見えていた川底はやがて見えなくなった。

 剥き出しになった大木の根を何度も乗り越え、濡れて滑落の危険がある箇所は小さく迂回し、ようやく開けた場所に着いた。疲れ切った若者たちはのろのろと天幕を張ると、順番に仮眠をとっていった。

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