石橋半分

 のどかな旅はしばらく続いた。

 白狼が四頭ほど姿を見せた日があったが、チャヤたち護衛が馬車から下りた途端に逃げ出した。以降白狼たちは姿を見せず、あの四頭は斥候だったのか群れの全頭だったのか結局分からずじまいだ。

 朝稽古では、チャヤとテランスは二人がかりでシオリに挑んだが、仲良く返り討ちにされ続けた。それでも二人の連携は日に日に良くなっていった。

 チャヤの久しぶりのおねしょがマリーズに気付かれることもあったが、本人以外には些細な出来事だ。

 穏やかな旅路は、若い冒険者たちに野営と見張りへの慣れと自信をもたらしてくれている。


 初めて降雨の日となったのは七日目だった。目指すダナデアまで好天は続かず、雨音に目覚めた冒険者たちは、天幕を畳むとすぐに馬車に乗り込んだ。

 強い雨と舞うような小雨。何度かそれが繰り返され、誰もが言葉少なになっていった。




 ぬかるみの中を進み続け、合羽かっぱ姿の御者が荷台を振り返ってきた。


「もうじき『リンゲラの大石橋おおいしばし』でさあ!」


 ほろを打つ雨音に負けないよう張られた声に、皆が集まってきて前方を眺めた。続いていた木立が途切れている。

 昨晩話題に上った『リンゲラ渓谷』だ。

 近づくと、大地に深い切れ目が走り、南北に延々と続いていた。先に荷台から降りたテランスに続き、若者たちが集まって断崖から直下を覗き込む。眼下五十メートルで、雨音をかき消す急流が南に向かって流れていた。まだ雨の影響はさほど受けていないようで、濁流にはなっていない。


「竜が棲んでいてもおかしくないような場所ね」


 マリーズの呟きにテランスさえも反論しなかった。

 谷の深さもさることながら、対岸までの距離も圧巻だった。十数軒の民家を並べてもすっぽり入るほどの長さなのだ。若者たちは、川と呼ぶには壮大な光景にしばし見入った。


「あんたたち、橋も立派だから見てみなさい……よ?」


 歩み寄ってきたシオリが石橋を指差したが、言葉が尻すぼみとなった。彼女の顔が驚きで一色に染まった。

 中央の橋脚と対岸の間。――石橋が落橋していたのだから。



 『リンゲラの大石橋』は、竿を挿すように急流を割る中州の一枚岩を橋脚の基礎にしている。こちらの岸と一枚岩、そしてあちらの岸の三点で巨大な橋は自立していた。しかし橋の内、橋脚と対岸に掛かっていた方が、無惨にも崩れ落ちているのだ。


「回り道……しないといけませんよね……」


 順調な旅路が一転し、呆然とするチャヤ。小雨がまとわりつき、全員が肩を落としている。


「大嵐でも崩れなかったのになあ……。一月前はいつも通りだったのになあ」


 この街道の行き来に慣れた御者でさえ、呆気に取られていた。

 北の採石場で取れた岩を削って整形し、地道に積み重ねて造られた五十年来の石橋。強い風雨の後は、近隣から石積み職人が来て欠かすことなく点検していたこの橋が落ちた。年配の彼にとっては思い出の一部だったのだろう。


 迂回路が無いか尋ねようと、シオリが地理に詳しい御者のほうを向いた時だった。橋のたもとに立つチャヤが何かに気付いた。


「マリーズさん、あそこ……あれ、何でしょう?」


 残った橋の中程を指差した。雨で黒く染色された橋の上、黒っぽい布のような物から白い何かが出ているような――。


「人?……まさか、人?」


 マリーズが怪訝そうに呟くと、壊れかけの橋を前にしても勇敢なテランスが進んでいった。ややあって彼が振り返り、腕を大きく振り始めた。


「人だーー! 矢が刺さってる! 女だーー!」



 ◇


 シオリも向かって二人がかりで運んで来た女は、黒い外套を纏った妙齢の女だった。チャヤの煉瓦れんが色の髪よりも暗い髪色の持ち主で、おそらく魔術師だ。女が倒れていた場所に魔術師の杖も落ちていた。

 杖の他に辺りには数本の矢が落ちていた。その内の二本が女に当たったようで、右肩と左太ももに一本ずつ突き立っている。辛うじて脈動はあるが、流血が多いのか、こけた頬に血色が無かった。


 シオリが慎重に矢を抜いて毒矢でないことを確かめると、すぐさまエタンが回復の加護を掛ける。すると女は閉じていた目を痙攣させながら開き始めていく。全員が喜び、女を支えていたシオリが最初に口を開く。


「あんた、大丈夫? 名前は言える?」

「わ、私は、あ、う、ぅ、あが」


 血の気が無く冷え切っているせいか、言葉が滑らかに出てこない。エタンが再度加護を掛けるが、失った体温が戻る気配はなかった。

 しかし、女は焦点が合わない目で虚空を見つめ、体温低下で強張る唇を必死に動かし続けた。

 命ある内の最後の言葉なのかもしれない。

 誰もがそう思い始め、エタンも加護の言葉を止めた。


「『銅の森』、から、に、逃げ、て……石の、魔術で、は、橋を、壊し、て」

「あんた、誰かから追われていたの?」

「壊し、て、逃げ切れ、た、と思った……射ら、れた」


 誰に追われたのか、自分の名前は何なのか、朦朧とし始めた女は語れなかった。唾液に血が混じり、やがて細かな血の泡を吹き始める。それでも女はしゃべり続け、ついに人名を挙げた。


「ぱ、パトリッ、ク、アル、ノーを………………」


 こと切れた。名前を知らない女の亡骸だけが残った。

 雨足が強まる。皆の背中を雨が打ち、重い沈黙が湿った空気とともに堆積する。

 

「『パトリック・アルノー』ですって……?」


 最後の人名を呟いたシオリが、腕の中の女を呆然と見下ろし続けた。



 ◇


 女の亡骸を埋めると、マリーズが女の杖から魔石を外し、杖は墓標代わりに立てた。皆が馬車の中へ戻る頃には雨は完全に止んだ。

 結局、女が腰に巻いていたかばんと杖の魔石だけは遺品として残し、運良く遺族に会えたら返還するということにした。

 今現在、チャヤたち女性陣三人が鞄の中身を調べ始めるところだが、シオリは明らかに上の空だ。


「師匠? 師匠?」

「シオリさん、どうしたのかしら?」

「……ああ、ごめんなさいね」


 チャヤとマリーズが心配すると、気付いたシオリが返事をした。不安げにシオリの顔を覗き込んだチャヤが「間違っていたらすみません」と断って尋ねる。


「師匠、さっきの名前に心当たりがあるんですか?」

「……もしかして聞こえていたの?」

「はい」

「そう……あれ、パテュースがたまに使っていたなのよ」


 冒険者として長く活動していると、本名だけでは都合が悪い時もある。そういう時に使うのが偽名だが、毎回変える者もいれば、同じ名を使い続ける者もいる。シオリの夫パテュースは後者だった。

 パトリック・アルノー。ありふれた名に、珍しくもない姓。

 他人の空似か否か。

 シオリが気にするのは当然だった。


「シオリさん。旦那さんの関係者かどうか、確かめるためにも遺品調べは必要でしょう? しっかりしてくれないかしら?」

「ごめんね、マリーズちゃん」


 マリーズに叱られ、シオリは手にした鞄を開いた。三人で覗き込み、中身を取り出して手分けした。


「こちらには身元が分かる物は無いようね」

「こっちもです。師匠のほうは?」

「ん、この鞄……やっぱりね」


 鞄自体に違和感を持ったシオリが底に敷いてあった革を剥がす。何やら黒い布が出てきた。広げると、紋章が描かれ、まるで旗のようだった。その紋章にシオリは息を飲んだ。


「『霧と闇』の紋章……」


 紫色、赤色、再び紫色の五芒星が三つ重なっている。

 かつて西域を震撼させた一派、『霧と闇』の紋章。――『三重五芒星』が、黒い旗の上で揺れていた。

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