二章 ダナデアへ

馬車を遮るもの

 『遺跡都市ダナデア』まで馬車でおよそ十日。

 旅立ちの日は《黄花きはなの月》の下旬となった。ここ数日は例年以上に暖かく、初夏に咲くはずのエルゼ花も青い花弁が開きつつある。

 丘を回り込むように延びる街道をほろ付きの馬車が進む。荷台を覆う幌に遮るものの無い日差しが注いでいる。老いた御者が操る馬二頭の蹄と車輪の音が、澄んだ空に響き渡る。

 荷台に乗ったチャヤたち五人は揺られながら、会話を楽しんでいた。


「パテュースはダナデアの街と遺跡が好きでね。私も一緒になって、遺跡を何か所も潜ったわ。人型の亡霊レイスモンスターが多くて、けっこう苦戦したのよ」


 若者たちへ思い出を喜々と話すのはシオリだ。遠方への移動は久しぶりということもあって、目指す遺跡都市のことを語っている。チャヤはかの都市のことをたまに聞かされたが、マリーズたち三人にとっては新鮮なようだ。目を輝かせて話に聞き入っている。

 

「亡霊……うぅ、苦手、です」

「何かしら、チャヤ? あぁ、貴女あなた、そういうの苦手そうだものね」

「マリーズさんは平気なんですか?」

「当たり前よ。十体の大群でもなければ、わたくしを怖がらせるなんて不可能だわ」

「本当に昔から可愛げのない女だな……」

「何か言ったかしら!」


 少女たちの会話にテランスが茶々を入れると、すぐさまマリーズとテランスの口喧嘩が始まった。慣れてきたチャヤが苦笑いをすると、不意にエタンと目が合った。だが途端に二人は目を逸らしてしまう。


 ――エタンさん……あれ以来まともに顔を見られないよ……。


 あの敗北直後の『お尻洗浄』の一件から日が経つというのに、二人は互いを変に意識してしまう。

 どうにか関係を改善させなければ。チャヤもエタンもそう考えていた。だが、なかなか機会を得られず、先延ばしになっていたのだった。



 ◇


 馬たちが突然いなないたのは、昼食の後、馬車が進み始めてしばらく経った時だった。


「どうしました?」


 シオリが幌をめくって尋ねると、御者が馬たちを制しながら厳しい目つきで右前方を指し示した。


 二頭の鉈角鹿ハチェット・ホーンが道を塞いでいた。馬たちへ角を向けて唸っている。


 二頭は平原で暮らす鹿の一種だ。森に棲む鹿よりも体は一回り大きく、特に首が太い。通常、鹿の角は枝のように分岐しているが、この種の角は分岐せず根元から幅が広い。その形状はまさに『なた』だ。刃の鋭利さこそ無いが、太い首の筋肉でこれを振り回せば強力な鈍器だ。


 彼らの縄張りに入ってしまったのかもしれない。今の時期は繁殖期で、侵入者に特に過敏だ。

 すぐさま荷台からシオリが降りる。残りの四人も続く。馬車の護衛も兼ねて乗せてもらっているため、当然の対応だ。全員、装備は着用したままである。


 遠距離攻撃の出来るマリーズが呪文を唱えようとする。だが、シオリが急いで遮った。


馬車馬ばしゃうまの近くで魔術はなるだけ使わないで。驚いて走り出せば、最悪横転よ」


 考えが及ばなかったことを恥じたマリーズは直ちに詠唱中止の文言を言い、魔術の暴発を防いだ。その間に前衛三人が前に出る。エタンはマリーズと馬たちの両方を護衛できる位置に立った。


「チャヤ、テランス君。あんたたちは左のをお願い」

「シオリさん、一人で大丈夫か!?」

「心配しないで。あんたたちこそ、二人で大丈夫?」

「問題ねえよ」


 テランスが強気に言い放つと、三人は二組に分かれ、それぞれ鉈角鹿の注意を引く。

 チャヤもテランスも相手の分厚い角に視線を奪われながらも、互いに並び立った。


「チャヤ、『荒熊あらぐまかた』。出来るわよね?」

「えっ!?」


 ――師匠、みんなの前で『型』ですか!?


 チャヤは動揺し、即答できなかった。

 『型』――敵や味方に心理的な変化を促す、相撲格闘術の動作だ。

 恥ずかしがり屋でもあるチャヤは、注目が集まる『型』に苦手意識がある。しかも、こんな切迫した場面で行うのは初めてだ。


「やりなさい! 戦わなくて済むかもしれないんだから」

「は、はいぃ……」


 怒られ、チャヤもようやく決心した。にじり寄る鉈角鹿へ《まわし》姿の《力士》二人が前に出る。

 『荒熊の型』は『威嚇』の型。相手の戦意を喪失させる型だ。上手くいけば、鹿たちは逃走するかもしれない。


 ――私は荒熊、荒熊……。指は熊のように爪を立てて……。


 チャヤは暗示を掛けるかのように自分に言い聞かせた。

 二人はまなじりと奥歯に力を込め、両腕を斜め上に突き上げる。急な威嚇動作に鹿たちがびくりと反応し、動きが止まった。ゆっくりと左腕を下ろしていき、今度は右足を浮かせ、裸足の足裏が空に向けられるほど高々と掲げる。


「ふっ!」

「はぁっ」


 ズンッ!

 気迫とともに足を落とし、股を大きく開いて地面を踏みつける。シオリに相対する鹿が、悲鳴のような甲高い声を漏らした。

 直後、勢いよく三歩、すり足で迫る。脇腹に両肘を付け、獣のように爪を立てた掌を向けながらだ。シオリに怯えた一頭は飛び退き、そのまま逃げ去った。


 しかし一方、チャヤが対している鹿は逆に闘争心を増したようだった。シオリに比べて迫力不足であることが原因だ。

 鹿は首を倒し、頭突きを仕掛けてきた。


「ひにゃっ!」


 チャヤは慌てて『荒熊の型』を中断し、両腕で鹿の頭を押さえ、角の一撃を防いだ。乳房を鹿の額に押し付け、股間に鼻息を感じながら四足獣の馬力を堪えようとする。


「そのまま抑えてろ! らああっ!」


 回り込んだテランスが刺突で鹿の肩付近を狙った。剣先は皮を貫くが、硬い筋肉で止まる。だが、鹿が悶絶するには十分だった。鹿はたまらず四つ足で地団太を踏むように暴れ、チャヤの力が緩んだところで抜け出し、去っていった。


 チャヤは大きく息を吐く。遠のく二頭の尻を眺めていると、テランスに肩を叩かれた。


「ふうぅ、なんとかなったな、チャヤちゃん。シオリさんのと比べると、可愛い動きだったけどな」

「ぅう、忘れてください……」


 上手くいかなかった『型』をからかわれながら馬車へ戻る。馬たちは熟練の御者になだめられ、落ち着きを取り戻していた。


「チャヤ、あんた、大丈夫だった?」


 シオリが尋ねてきた。師匠に心配をしてもらえてチャヤは内心喜んでいると、シオリの悪戯な視線が股間に向いていることに気付く。


「っ!……こ、今回は漏らしてませんっ!」


 羞恥を覚えて股間を隠し、軽い苛立ちをぶつけた。その声量に全員の視線が集まった。チャヤは気付き、今度こそ赤面した。

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