二章 ダナデアへ
馬車を遮るもの
『遺跡都市ダナデア』まで馬車でおよそ十日。
旅立ちの日は《
丘を回り込むように延びる街道を
荷台に乗ったチャヤたち五人は揺られながら、会話を楽しんでいた。
「パテュースはダナデアの街と遺跡が好きでね。私も一緒になって、遺跡を何か所も潜ったわ。人型の
若者たちへ思い出を喜々と話すのはシオリだ。遠方への移動は久しぶりということもあって、目指す遺跡都市のことを語っている。チャヤはかの都市のことをたまに聞かされたが、マリーズたち三人にとっては新鮮なようだ。目を輝かせて話に聞き入っている。
「亡霊……うぅ、苦手、です」
「何かしら、チャヤ? あぁ、
「マリーズさんは平気なんですか?」
「当たり前よ。十体の大群でもなければ、わたくしを怖がらせるなんて不可能だわ」
「本当に昔から可愛げのない女だな……」
「何か言ったかしら!」
少女たちの会話にテランスが茶々を入れると、すぐさまマリーズとテランスの口喧嘩が始まった。慣れてきたチャヤが苦笑いをすると、不意にエタンと目が合った。だが途端に二人は目を逸らしてしまう。
――エタンさん……あれ以来まともに顔を見られないよ……。
あの敗北直後の『お尻洗浄』の一件から日が経つというのに、二人は互いを変に意識してしまう。
どうにか関係を改善させなければ。チャヤもエタンもそう考えていた。だが、なかなか機会を得られず、先延ばしになっていたのだった。
◇
馬たちが突然
「どうしました?」
シオリが幌をめくって尋ねると、御者が馬たちを制しながら厳しい目つきで右前方を指し示した。
二頭の
二頭は平原で暮らす鹿の一種だ。森に棲む鹿よりも体は一回り大きく、特に首が太い。通常、鹿の角は枝のように分岐しているが、この種の角は分岐せず根元から幅が広い。その形状はまさに『
彼らの縄張りに入ってしまったのかもしれない。今の時期は繁殖期で、侵入者に特に過敏だ。
すぐさま荷台からシオリが降りる。残りの四人も続く。馬車の護衛も兼ねて乗せてもらっているため、当然の対応だ。全員、装備は着用したままである。
遠距離攻撃の出来るマリーズが呪文を唱えようとする。だが、シオリが急いで遮った。
「
考えが及ばなかったことを恥じたマリーズは直ちに詠唱中止の文言を言い、魔術の暴発を防いだ。その間に前衛三人が前に出る。エタンはマリーズと馬たちの両方を護衛できる位置に立った。
「チャヤ、テランス君。あんたたちは左のをお願い」
「シオリさん、一人で大丈夫か!?」
「心配しないで。あんたたちこそ、二人で大丈夫?」
「問題ねえよ」
テランスが強気に言い放つと、三人は二組に分かれ、それぞれ鉈角鹿の注意を引く。
チャヤもテランスも相手の分厚い角に視線を奪われながらも、互いに並び立った。
「チャヤ、『
「えっ!?」
――師匠、みんなの前で『型』ですか!?
チャヤは動揺し、即答できなかった。
『型』――敵や味方に心理的な変化を促す、相撲格闘術の動作だ。
恥ずかしがり屋でもあるチャヤは、注目が集まる『型』に苦手意識がある。しかも、こんな切迫した場面で行うのは初めてだ。
「やりなさい! 戦わなくて済むかもしれないんだから」
「は、はいぃ……」
怒られ、チャヤもようやく決心した。にじり寄る鉈角鹿へ《まわし》姿の《力士》二人が前に出る。
『荒熊の型』は『威嚇』の型。相手の戦意を喪失させる型だ。上手くいけば、鹿たちは逃走するかもしれない。
――私は荒熊、荒熊……。指は熊のように爪を立てて……。
チャヤは暗示を掛けるかのように自分に言い聞かせた。
二人は
「ふっ!」
「はぁっ」
ズンッ!
気迫とともに足を落とし、股を大きく開いて地面を踏みつける。シオリに相対する鹿が、悲鳴のような甲高い声を漏らした。
直後、勢いよく三歩、すり足で迫る。脇腹に両肘を付け、獣のように爪を立てた掌を向けながらだ。シオリに怯えた一頭は飛び退き、そのまま逃げ去った。
しかし一方、チャヤが対している鹿は逆に闘争心を増したようだった。シオリに比べて迫力不足であることが原因だ。
鹿は首を倒し、頭突きを仕掛けてきた。
「ひにゃっ!」
チャヤは慌てて『荒熊の型』を中断し、両腕で鹿の頭を押さえ、角の一撃を防いだ。乳房を鹿の額に押し付け、股間に鼻息を感じながら四足獣の馬力を堪えようとする。
「そのまま抑えてろ! らああっ!」
回り込んだテランスが刺突で鹿の肩付近を狙った。剣先は皮を貫くが、硬い筋肉で止まる。だが、鹿が悶絶するには十分だった。鹿はたまらず四つ足で地団太を踏むように暴れ、チャヤの力が緩んだところで抜け出し、去っていった。
チャヤは大きく息を吐く。遠のく二頭の尻を眺めていると、テランスに肩を叩かれた。
「ふうぅ、なんとかなったな、チャヤちゃん。シオリさんのと比べると、可愛い動きだったけどな」
「ぅう、忘れてください……」
上手くいかなかった『型』をからかわれながら馬車へ戻る。馬たちは熟練の御者になだめられ、落ち着きを取り戻していた。
「チャヤ、あんた、大丈夫だった?」
シオリが尋ねてきた。師匠に心配をしてもらえてチャヤは内心喜んでいると、シオリの悪戯な視線が股間に向いていることに気付く。
「っ!……こ、今回は漏らしてませんっ!」
羞恥を覚えて股間を隠し、軽い苛立ちをぶつけた。その声量に全員の視線が集まった。チャヤは気付き、今度こそ赤面した。
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