チャヤの誕生日

「チャヤちゃん、お誕生日おめでとう」


 サヤカに祝われたのは、朝の稽古が終わり、女三人、体を井戸の水で流している時だった。チャヤは桶を持ったまま照れ笑いを向ける。

 春も半ばの《黄花きはなの月》の十日。蝶が三人の裸体の横をひらひらと舞っていく。

 今日は私の誕生日、と自分で言うのはさすがに恥ずかしくて、サヤカかシオリ師匠、どちらでも良いから言って欲しかった。小さな記念日を忘れないサヤカが案の定覚えていてくれて、嬉しくなった。

 

「おめでとう、十六歳」

「二人とも……ありがとうございます」


 チャヤはあざの多い筋肉質の体を二人に向けた後、少しはにかんだ。


「あのおねしょばっかりしてたチャヤが成人かあ……早いわね」

「お母さんも三十六になったもんね。大人になると時間が経つのが早いって本当?」

「あっという間よ。あんたもすぐに成人なんだから、もっとしっかりするのよ」


 母娘の会話にチャヤも加わりたかったが、タイミングを逃してしまい、所在なくもう一度水で体を流した。冷水が腹を下り、薄い陰毛を伝っていった。

 ちらりと母娘を見やる。男性並みの高身長に肉付きの良い体、血の繋がった二人のよく似た体。サヤカが成長してシオリの体つきに近づくほど、羨ましい思いに駆られてしまう。


「チャヤ? チャヤ?」

「……え? 何ですか、師匠」

「サヤカが言ったとおり、今晩はあんたのパーティだからね。私もちゃんと帰ってくるから、お腹を空かせておくのよ」


 チャヤは笑顔を作ってこくりと頷く。



 ◇


「十六歳、そして大人の仲間入り、おめでとう」

「おめでと~~」


 量だけが自慢の普段の食卓が、今日だけは華やいでいる。

 チャヤの好物の川魚料理が並び、香草や赤い木の実で目にも鮮やかだ。高級品である甘味は無いものの、豪華な食事に三人は涎を垂らさないように気を付けている。


「ありがとうございます……。今年も弟子の私の誕生日をお祝いしてくださって……」

「そういう堅いのはいいわよ。たくさん食べてよね」

「あ、お母さん、それは作った私が言うセリフ!」


 個人の誕生日を盛大に祝うなんて、孤児院に居た頃では体験できなかった。人数も多く、御馳走を毎回用意していては、院の経営が破綻してしまう。

 弟子になってもう六年が経った。

 最初の誕生日、シオリ師匠にサヤカ、そしてパテュースさんに祝われた時、チャヤは泣いてしまった。憧れだった誕生パーティに感極まったのだ。

 しかし、今ではパテュースさんがいない。

 母娘二人に祝ってもらって嬉しいが、やはりパテュースさんがいないと何か違うのだ。


 

 ご馳走が六割がた胃に収まると、シオリ師匠が真剣な顔つきになって聞いてくる。


「チャヤ、何かしたい仕事はあるの? ……あぁ! あんたを追い出したいわけじゃないから、勘違いしないでね」

「師匠、勘違いなんて……。あの、私は……」


 冒険者になりたい、そう告げるだけなのに逡巡してしまった。

 相撲拳闘術の先生になることに未練が残っているのかもしれない。

 先生になるには、師匠の下でもっともっと稽古を続けないといけない。居候の身分でそれは高望みだ。この六年間だって、迷惑だけしか掛けていないのに。

 口に出して、決意を伝えなくてはいけない。先生になるのは、自分より強いサヤカがふさわしいのだから。

 チャヤは喉の渇きを覚えながら声を震わせる。


「あの、師匠……。私は……ぼう、けん……しゃに、なります」

「……冒険者? あんたが?」


 「意外」と師匠が口にした。

 向いていない、という意味だろうか。小心者のチャヤは、先回りして師匠の言外の意を汲み取ろうとする。が、それより早く師匠が続ける。


「あんた、本当に熱心に相撲拳闘術の稽古をしてるから、先生にでもなりたいのかと思ってた」


 見抜かれていた――!?

 驚きで心音が大きくなった気がする。師匠たちを気遣って本心を隠した浅ましい自分が情けない。しかし、だからといって前言を撤回するのはもっと情けない。


「冒険者は大変よ? モンスターと戦うこともあるし、色々な人と関わるし。怖がりで人見知りのチャヤが……本当に意外」

「……えぅ……ぁ」

「ちなみに、どうして冒険者になりたいの? もしかしてあの時、私やパテュースに憧れた、とか?」


 とっさに答えられなかった。

 こくりこくりと頷いてから、唾を飲み込んで何とか回答しようとした。


「あの……相撲拳闘術を活かして、何かできないかなって……それで冒険者に」


 出まかせだ。

 師匠たちの視線がつらい。脇汗が流れ始めている。


「あんたも大人になってきてるのね、最近はおねしょもしてないし。まだまだ心配だけど、自分で決めたことなら挑戦したほうがいいわ。……あ、そうだ。明日、講師の仕事だから、一緒にギルドに行きましょ」

「えっ……えと……は、はい」


 師匠に流されるまま、ギルド訪問まで決まってしまった。


背嚢リュックと野営道具は……私のもあるから、しばらくはそれを使うとして……他は……」

「あの! お母さん!」


 シオリが装備品の算段をし始めようとしていたところで、サヤカの大きな声が部屋に響いた。


「私もしたい仕事があるの!」

「えっ」

「領主様のお屋敷のメイド! 家族のボディガードもできると尚良い、って求人があったの。面接行ってみようと思って」

「はああっ!? サヤカ、それって成人になってからじゃなくて、すぐにってこと!?」

「うん!」


 サヤカのまっすぐな目が母親に向かっている。

 チャヤは師匠があんなに驚いているのを久しぶりに見た。娘の思いがけない告白に動揺している。チャヤ自身もそうだ。サヤカがそんなことを考えていたなんて思ってもみなかった。

 確かに、成人になる前から働き始めている子どももいる。だが、それはあくまで経済的に苦しい家であって、今の三人暮らしでも生活はできている。

 困窮しているわけではないから、シオリもチャヤもサヤカの言葉を理解できていない。


「あんた、もう稽古したくなくてそういうこと言ってるんでしょ? それとも何か不満でもあるわけ?」

「そうじゃないの!」

「じゃあ、何? チャヤと喧嘩でもしたの?」

「だからそうじゃなくて……」


 「何よ」と言ったシオリの眉間にしわが寄っている。チャヤは、怒ると怖い師匠と勝気なサヤカを交互に見て縮こまってしまう。




「お母さんに、お父さんを探してきてほしいの!!」




 部屋の中がシンとなった。

 声を張ったサヤカの呼吸だけが聞こえる。


「私がまだ子どもだから、お母さんはお父さんを探しに行けないんでしょ! お母さんもお父さんを見つけたいんでしょ! いつもあんなに酔っぱらって、寝言でもお父さんの名前言って!」


 サヤカは大きく息を吸って続けた。


「私、もう十四なんだから働けるよ! 私も……私もお父さんに会いたいよ!」

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