第十三話 翌々日





 学校の授業に集中出来ないまま、柊は事務所への道を重い足取りで進んでいた。

 あの事件から休みを一日挟んだが、それは逆に考える時間を増やすだけだった。




 あの日、車の中ですっかり眠ってしまった彼女は、鳥居跡に起こされるまで目を覚ますことは無かった。

 肩を揺すられるのを感じて目を開けた時に、すぐ近くに彼の顔があり驚きすぎて軽く悲鳴を上げたぐらいだ。


「ついたぞ」


 耳を塞ぎながら彼が指した先には、彼女にとって見覚えのある安心出来る家があった。


「あ、すみません。私、すっかり寝ちゃって。ありがとうございます」


「色々あったからな。無理もない」


 慌てて謝った彼女に対して、優しい言葉をかけながら後部座席から荷物を取り出して持つ。


「あの……」


「遅くなったからな。親御さんにちゃんと説明する。その方が安心するだろ」


「あ、そうですか」


 完全に厚意で申し出ている鳥居跡に対し、彼女は口から出してしまいそうになった言葉を、何とか押しとどめた。

 説明するために鳥居跡と一緒に帰ったら、普通であれば逆に警戒される。

 下手すれば、淫行などの容疑をかけられるかもしれない。

 しかし自分の母親なら軽く受け流すだろうと、根拠の無い自信を持ちながら、彼女は先導した。



「あらあら、わざわざすみませんねえ」


 予想通り、柊の母親は明らかに不審者にしか見えない鳥居跡に、普通の応対をした。


「いえ。こんな遅くまで仕事させてしまったので、当然のことです。むしろ申し訳ありません」


「いいんですよお。家にいたってゴロゴロしているだけですから、どんどんこき使ってやってください」


「お母さん!」


「あら、本当のことじゃないの」


 母親というものは他人も前だとしても、平気で恥ずかしい話をする。

 柊が怒ってもどこ吹く風だ。


「鳥居跡さん、でしたよね。この子は元気だけが取り柄ですが、どうぞよろしくお願いします」


「こちらこそ、よろしくお願いします」


 大人が頭を下げあっている様子を見ながら、少しだけいたたまれない気持ちになりつつ、それでも母親が鳥居跡を受け入れて安心していた。

 近所の噂に惑わされることなく、鳥居跡本人を見て、大丈夫だと判断したことに誇らしさすらも感じていた。


「お夕飯はもう召し上がりましたか? こんな時間ですし、もしよろしかったら食べていかれません?」


「あー、いや。まだ仕事があるので、今度はぜひ」


「お仕事なら仕方ありませんね。娘を送って下さりありがとうございました。お気をつけて」


「はい。では、失礼します。明日はゆっくり休めよ」


「分かりました」


 母親が夕飯に誘ったが、丁寧に断り軽く頭を下げて彼は帰っていった。


「丁寧でいい人ねえ」


「そうでしょう。いい人だよ」


「お世話になっているんだから、今度菓子折りでも持っていきなさいね」


「お菓子作る予定だから大丈夫」


「そう、それなら腕によりをかけなきゃね」


「うん」


 鳥居跡が帰った後、そんな会話をしながら二人は家の中へと入る。




 ♢♢♢



 その次の日は、元々アルバイトが入っていない日で、学校も休みであった。

 鳥居跡にしっかり休めと言われていたが、どうしても気になってしまい、休むことはおろか常にそのことを考えているせいで睡眠もままならなかった。


 そういうわけで頭がぼんやりとしているようで、足取りもどことなく危なっかしい。

 そんな疲れ切った体に鞭打つように、ビルの階段が彼女に襲い掛かった。

 いつもより倍以上のスピードをかけてのぼりきると、壁に手をついて寄りかかり休憩する。

 一分ぐらいその体勢でいて、そして頬を軽く叩いて喝を入れて、事務所の扉を開けた。


「こんにちは」


 アルバイトの始まりの時間は定めておらず、彼女の都合に完全に合わせられている。

 学生の身分のためテストや課外授業、行事などの時間を気にする必要が無くなるのは、とても恵まれている方であった。


 始まりの時間が定まっていないせいか、基本的に彼女が行くと鳥居跡はソファの上で寝ている。

 もしも急にお客が来たらどうしているのかと、いつも不思議に思っているのだが、現在のところ確かめられたことは無い。


「おう。今日は少し早いな」


「師匠? 珍しいですね。今日はどうしたんですか?」


 そのため定位置のソファではなく、給湯室から出てきた鳥居跡を珍しいとまじまじ見た。


「どうしたんですかって、今日話すって言っていただろ。だから待っていたんだよ」


「そうだったんですね。えっと、それは?」


 鳥居跡が起きていたことにも驚いていたが、それ以上に彼が手に持っている物が気になっていた。


「何って見れば分かるだろう。ティーセットだ」


「それは分かるんですけど。私が聞きたいのは……」


 何故それを鳥居跡が今持っているのか、ということだ。

 今まで一度もそんな姿を見たことは無く、アルバイトの面接の時も出されたのは市販のペットボトルのお茶だった。

 鳥居跡とティーセットがあまりにも不釣り合いで、苦笑いを浮かべている。


「話をするのに、ちょうどいいと思ったからな。いつも来る時間に用意しようと思っていたから、少し待つけどいいか?」


「はい。あ、そうだ。ちょうどクッキーを焼いてきたんですよ」


「何? それを早く言え。一緒に食べるぞ」


 前日眠れなかったせいで時間がありあまっていた柊は、約束を思い出してクッキーを作っていた。

 クッキーはタッパーに入れて持ってきていたのだが、それを見た瞬間、鳥居跡の目の色が変わった。

 奪い取るぐらいの勢いで彼女からタッパーをもらうと、いそいそと大皿を出して上に中身を乗せて、そしてテーブルへと運んだ。


「美味そうだな。これ、全部食べていいんだよな?」


「はい。そのために作ってきたので。こんなに喜んでもらえるとは思ってもみませんでした」


「美味いものは、それぐらい価値があるんだ。さ、座れ座れ」


 まずは話を先にするようで、エプロンを着る暇も与えず座るように促した。

 カバンをロッカーに入れた柊は、促されるままにソファに座った。


「えーっと。どうぞ食べてください」


「いいのか?」


「はい。そのために作ってきたんですから」


 座ってすぐに話が始められるのかと思えば、鳥居跡の視線はクッキーだけに注がれていた。

 これでは話に集中しないと、柊が食べる許可を出した途端、すぐに数枚が彼の胃袋の中におさまった。

 目にも止まらないようなスピードに、どれだけ飢えていたのかと、彼女は驚きよりも同情した。


「美味い」


「それなら良かったです。紅茶いただきますね」


 お弁当の時と同様、いい食べっぷりである。

 それを眺めながら、柊も淹れてもらった紅茶に口をつけた。


「師匠、これって」


「よく気づいたな」


 一口飲んだ瞬間、驚いた彼女に、まるでいたずらが成功したかのような表情を鳥居跡は浮かべる。


「あの時の紅茶だ。話をするのにおあつらえ向きだと思って、おととい頼んでおいた」


 その行動力と、味だけで紅茶のメーカーが分かったことは凄いが、口の端にクッキーのカスがついているせいで、色々と台無しにしていた。

 紅茶の味は美味しいようだが、飲むと微妙な気持ちになるらしく、もう一口だけ飲んでカップを置く。


「師匠、教えてもらえますか」


「分かっているって」


 このままティータイムをしていられないとばかりに、柊は真剣な表情を向け、それを見た鳥居跡はクッキーを置いて話をするために居住まいを正した。




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