第六話 奇妙な気配









 鳥居跡にさっさと行ってこいと見送られ、柊はトイレに向かっていた。

 普通の一軒家といった感じなのだが、年数は経っているからか、場所によっては床を踏むときしんだ音がする。

 その音にいちいち反応しつつ、彼女は家の中を見回した。


 白色と言うよりもクリーム色の壁には、等間隔で家族写真が飾られている。

 メインは花奈で、たまに一緒に白石が写っていた。

 二人はどの写真でも笑顔で、病気になる前のものしかないようである。

 本人が残したがらなかったのか、写真があるが飾っていないのか、彼女には判断出来なかった。

 明かりはあるが少し薄暗い廊下では、楽しそうな家族写真も陰があるように見えた。

 今にも目が合ってしまいそうな気がして、彼女はそっと目をそらした。


「……そういえば、いつ頃亡くなったのか聞いていなかったな。それにご両親はどこにいるんだろう」


 そこら辺についての説明が無かったため、今のところは全く不明である。

 写真は見せてもらったが、白石はその辺りの詳しい説明をしなかった。

 忘れていたのか、それともわざとなのか。後者だとすれば、彼女に対する疑問が出てくる。

 何か言えないような事情があるのか。そしてそれはどんな理由なのか。


 柊は腕を組み首を傾げると、お手洗いを探した。

 家の間取り図を簡単には教えてもらっていたが、ブローチを探すのに夢中になって完全に忘れてしまっていた。

 そのため何となくそれらしいところの扉を見つけると、一応ノックをしてゆっくりと扉を開ける。


「……良かった。あってた」


 開けた先は、彼女の予想通りトイレだった。

 ピンク色でまとめられた中は、ラベンダーの芳香剤の匂いがした。

 窓際には多肉植物が置かれ、何故かその脇に盛り塩が置かれていた。


「トイレは悪いものが溜まりそうだしね」


 あまり無い光景だが、家庭によってはそういうこともあるだろうと、彼女は受け入れながら中へと入った。

 鳥居跡を待たせるわけにはいかない。

 そう考えすぐに用を済ませ、さっさとトイレから出ようとした。


 その時、扉がノックされる。


「あ、入ってます」


 慌てて声を出し返事をしたが、何故かもう一度ノックされた。


「白石さん、ですか? 柊です。トイレお借りしました。今出ますので、ちょっと待ってください」


 鳥居跡は柊がトイレに行ったことを知っている。

 両親の姿が無いため、扉の向こうにいる人が白石だと予想した。

 しかし声が聞こえてくることはなく、またノックされた。

 外開きの扉なので、開けてぶつけたら危ないと思い、彼女は扉を開けられなかった。


「あ、あの! 聞こえていますか? 入ってます!」


 その代わり叫ぶが止まらない。


「鳥居跡さん? 変ないたずらは止めてください! 笑えないですよ!」


 白石でなければ、彼女を怖がらせようと鳥居跡いたずらしていると考え、止めてくれと怒ったが止まることなく、むしろスピードを上げた。

 扉の向こう側にいるのは、一体誰なのか。

 得体のしれない恐怖を感じ、思わず扉から距離を置き、そしてしゃがみ込んだ。

 もはや扉が震えるのではないかというぐらいの勢いに、耐え切れなくなってしまった彼女は耳を塞いで叫んだ。


「もう止めて!!」


 その叫び声に反応したのか偶然か、その途端音がぴたりと止まった。

 あんなに勢いが良かったのが嘘かのように静まり返り、本当に終わったのか信じられず、塞いでいた手を下ろした彼女はしばらくの間動けずにいた。

 しかし、いつまでもそうしているわけにもいかず、スローモーションかのようにゆっくりと、しめていた鍵を外し扉を開けた。


 開けた先には鳥居跡がいてニヤニヤといたずらが成功したと笑っていることも無く、白石が驚かせてしまって申し訳ないと立って待っていることも無く、廊下の先まで誰の姿も見当たらなかった。


 耳を塞いでいたせいで逃げる足音などを聞けず、ただただ彼女にとっては恐怖と不思議しか残らない。

 あれは何だったのか。答えは無い。

 このままここにいてまた何か始まったら困ると、出来る限り何も見たり聞こえたりしないように、感覚をシャットアウトさせながら元来た道を走った。




 ♢♢♢




 飛び込むぐらいの勢いでリビングへと戻ってきた柊を、鳥居跡は少し驚きながら出迎えた。


「随分長かったな。腹でも壊したのか?」


「ち、違います! 今……」


 今あったことを説明しようとして、そこで彼女はふと気づく。

 トイレという閉め切られた場所とはいえ、同じ家の中だ。

 あそこまで大きなノックの音や、彼女の叫び声は普通であれば聞こえたはず。

 それなのに鳥居跡も白石も駆けつけてはこなかったし、心配している様子が全く無い。

 さすがにおかしいと、彼女は恐る恐る尋ねる。


「私の声、聞こえませんでしたか?」


「何だ? 紙でも切れていたのか」


「そうじゃなくドアをノックする音とか叫び声とか、そういうのが聞こえてきませんでしたか?」


「いいや全く。何かあったのか?」


「さっきトイレで……」


 嘘をついているわけでもなく、本気で彼女の言っている意味が分からないようだ。

 先ほどの出来事は何かおかしな力が働いていたということなのか、そう考えた彼女はトイレでの一連の出来事を語った。




 ♢♢♢




「なるほど。ノックの音か」


 柊が簡単にトイレであったことを説明し終えると、鳥居跡は腕を組んで考える。


「はい。最初は白石さんか、師匠がからかっているのかと思ったんです。でも何を言っても返事が無くて、ただノックの音だけでした。それがどんどん早くなって、最後には扉が震えるぐらいでした。本当に怖かったんですよ」


 未だに恐怖から震えそうになる体を、彼女は自身で抱きしめる。


「ずっとここで待っていたが、全くそんな音は聞こえてこなかったな。叫び声がしたら、さすがに気が付いたはずだ」


「そうですよね。でも、どうして聞こえなかったんでしょうか」


「さあな。トイレが防音なのか、俺の耳がおかしかったのか、それとも何か不思議な力でも働いていたのか」


「それじゃあ確かめてみますか?」


 彼が候補を出したので、彼女は望みをかけて調べてみるかと提案する。

 防音だったり、彼の耳が聞こえなかった方が、彼女にとってはまだ救いになった。


「いや、必要ない。多分試せば声は聞こえてくるはずだろうからな」


「あ、はははは。それじゃあ聞こえなかったのって……」


 しかし次は声が聞こえると言われ、彼女は乾いた笑いをこぼす。


「この家には、何か不思議な力が働いているということだ」


「そういうの信じていないんじゃないんですか?」


「別に信じていないとは言っていないだろ」


「そんなあ……本当に怖かったんですから、もうトイレに行けませんよ。無理です、絶対に無理。今度は一緒についてきてください。お願いします」


「大丈夫だ。今度何かあったら骨は拾う」


「助けてください! お願いします!」


 涙目になった顔を見ながら、鳥居跡は腕を組む。


「そういえば最後はどうしていなくなった? 何かきっかけがあったのか?」


「え……満足したからじゃないんですか?」


「それじゃあ何でわざわざこんなことをしたんだ。なにか意図があったからだろう。ただ怖がらせたかっただけなら、俺の方にもアクションを起こしていただろうし」


「そう言われましても……私にだって分かりません」


「そうか……まあ分からないことを考えていても仕方がない。次の部屋に行くか」


 彼女に何か心当たりがあるはずもなく、解決出来ないもやもやを残したまま、捜索を再開することとなった。




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