母ちゃんはキュウリが切れない【リアル闘病克服記】

キュウリ母ちゃん

第1話 発症以前。新婚母ちゃん

パニック障害を発症したのは今年4月。物語のスタートはそこから7年前へ遡る。

今から7年前。私(キュウリ母ちゃん)は新婚だった。



「これから、どんな生活が待っているのかしら?」少々の不安と一杯の期待が入り混じった気持ちの中、新居(大阪)への引っ越しに向けて実家(愛知)で荷作りをしていた。


そんな中かかってきた一本の電話。主人(ヒョロ長父ちゃん)からだ。


「もしもし。あのさ、急な話なんだけど転勤になったよ。行先は石川県」


えぇえええええええーーー!!!


折しもこの日は4月1日。エイプリルフール。「またまたぁ!!父ちゃん悪い冗談を。」という私の茶化すような言葉に対して、


「いや、ごめん長く話している時間ないから。また仕事終わったら詳しく話すね。」


と重大な内容なのに1分以内に切れる電話。



チーン。



エイプリルフールの冗談だという期待も虚しく新婚早々、私、母ちゃんは東海地方の実家から遠く石川県へと引っ越しをする事になる。



ちなみに、この時母ちゃん妊娠3ヶ月。お腹には現在7才の長男(饅頭太郎)を授かっていた。


妊娠中のドタバタ引っ越しも終わり、生活も落ち着き、お腹も徐々に出てきた頃、季節は春から夏へと変わっていた。


家族も親戚も友達もいない新天地は、母ちゃんにとって思ったより孤独で、大きいお腹をさすりつつ、ちょっぴり寂しい毎日。


それに加え、東海地方からの引っ越しの際、車を1台しか持ってこなかったので、出勤に父ちゃんが車を使うと母ちゃんは移動手段が徒歩しかなかった。


なにせ住んでいたところはなかなかの田舎で、バスも多く通っていない。スーパーへも大きなお腹で歩いて行った。


妊娠後期からはお腹がよく張るようになって、病院でも「あまり重い物は持たないで下さい」と注意を受けた母ちゃん。



それでも大きいお腹で負けじと旅行用のキャリーケースをガラガラ引いて買い物に出かけてたので、道路ですれ違う人から幾度も視線を頂戴していた。もしかしたら、家出妊婦と思われていたのかもしれない。


そんな新天地での妊娠生活後、無事にBIGなBaby、長男の饅頭太郎を出産した。季節は秋になっていた。


初めての出産・育児。母ちゃんは思いの外ナーバスになっていて、父ちゃんにさえ饅頭太郎を預けるのは不安だった。


寝不足と慣れない育児は想像以上にストレスがたまる。その上、愚痴を吐ける古くからの地元の友達や父母は近くにいない。



「ちょっと外でゆっくり一人の時間味わいに行って来たら?」とヒョロ長父ちゃんが言ってくれても「饅頭太郎が心配だからいい」と出かけなかった。



今思えば、もっと甘えていればよかったのだ。何でも自分一人で頑張ろうとしてしまう。それが、悪い癖だ。その上、我慢して積み上げるだけ積み上げて、突然の爆発を起こす!迷惑な女。それが私、キュウリ母ちゃん。



「育児分からない事だらけだし、睡眠不足だし、余裕ないし、饅頭太郎は泣いてばっかりだし、もう私無理ーー!!父ちゃんが仕事から帰ってくるまで話相手もいなくて、世間から取り残されたみたいで孤独で、このままじゃ私日本語ワスレチャウヨーー!!」


と、突然の爆発。



今、パニック障害になってから、ようやく気付いた事がある。“なんでも一人で抱えなくて良い”のだ。


・責任感が強い

・一人で頑張ろうとしがち

・甘えるのが下手

・心配性で不安が強い


この私の生まれ持った性格で、もともと生きづらさを抱えていたのかもしれない。パニック障害になった今になって、ようやく思える。


もっと自分を大切に周りの人に寄りかかって良いんじゃないかな?と…。


~第2話へ続く~

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