第44話 シルヴィー。……離れるんだ。

「シルヴィー。……離れるんだ」

「だ……、ダメですよ。……できません。リヴァイア殿」

「いいから、この毒気は普通の毒ではないみたいだ……」


 ゲホ…… ゲホ……


「リ……リヴァイア殿」


「リヴァイア……サンよ。どうして、お前が……」

 眼光を鋭く覆いかぶさんばかりの身体を見せつけるかの如く、リヴァイアを真上から見ている。

 その目は、大海獣とカズースは勿論のこと、世界中で信仰されている、畏怖されている神獣の堂々とした貫禄ある視線――なんかではなかった。


 死の眼――


 その両目には、神として崇められているが故の――万物を見通す芯のある瞳孔も無くて、あるのは真っ青なくすんだ色の眼だ。

 所詮、人間共の正義なる戦いなんてものは、愚行……無力な種族。

 としてしか思っていないかのような、死んだ大ウナギの目だった。


「ど……どうして! どうして、私に毒気を掛ける?」

 嘔吐を繰り返しながら、真上に鎌首をぶら下げているリヴァイアサンを見上げて、リヴァイアが叫んだ。

「……」

 しかし、リヴァイアサンが、その問い掛けに答えることはなかった。

 沈黙を続けるリヴァイアサン――


「ど……どうして」

「は、離れましょう。ここから、すぐに――」

 動揺を見せ狼狽するリヴァイア――第四騎士団長リヴァイアに、部下のシルヴィー・ア・ライヴが肩を揺らした。

「危険です……ここは」

 リヴァイアの腕を掴み、掴もうとする刹那、

「そ、そんなことは分かっているぞ!!」

 リヴァイアは彼の腕を、大鉈おおなたを一気に振り払うように突っぱねた。

「ですが……。リヴァイア殿!」


「……もう、いい……んだ。シルヴィーよ」

 リヴァイアがよろめきながらも、なんとか立ち上がって呟いた……弱音。

 ゆっくりと……、ゆっくりと立ち上がって、

 なんとか、直立できる姿勢を維持できた。

「もう、いいんだ……」

「何が……ですか」

 その傍でシルヴィーが、よろよろの体制を必死になって維持し続けているリヴァイアを気遣い、騎士団長の腰を両手で支えようとする。

「何が、もういいの……なのですか?」

「知っているか? シルヴィー??」

 リヴァイアが目下の足元に竦んでいるシルヴィーを見る。

「何を……ですか?」


「……預言書だ」

「預言書……」



 そうだ、『究極魔法レイスマ』の預言書を――



「その預言書に、何が書かれていたと思う?」

「何……さ、さあ皆目私には――」

「そうだな……。シルヴィーは読んだことがなかったっけ?」

「はい……仰る通りです」

 ――すると、リヴァイアが彼の頭にそっと手を乗せる。

「……どうしてこんな運命を、私は知ってしまったのかな」

「……リヴァイア殿」

 シルヴィーには、意味が分からなかった。


 彼女の名を呼んだその言葉には、滑舌はない。

 力の抜けた、春の木枯らしがす~っと駆け抜けるかのような発音。

 まるで、リヴァイアと初めて出会った丘の上のサクラの広場で、お互いの間を風が吹き抜けて行った時のそれよりも、なお……愛おしく感じられて。


「どうして? 私は知ってしまった。いや……知るべくして、知ってしまったと言ったほうがいいのだろうな」


 何故なら、預言書にもそう書いていた――


 自らを信仰している木組みの街カズースの人々を守るために……、リヴァイアサンはオメガオーディンと約束を結ぶ。


 何が約束だ――


 何が……守るために……だ。


「忌々しいぞ……。リヴァイアサンよ!」

 真上に伸びる鎌首の如きリヴァイアサンの顔――大ウナギの憎たらしい表情と目。

 死んだ魚の方が、まだ可愛く思える。


「リヴァイア殿……。もう、話はそれくらいに」

 少し身体を揺すったシルヴィー、……彼もこの状況が怖いのだろう。

 いつ、大海獣に喰われるか分からない場面――あの大口に入ったら最後、そんなことは自分も騎士なのだから理解はしていた。

 ……けれども、足を上げようとしても、思うように上がらないのだ。


「シルヴィー……逃げたいなら、お前1人で行け」

 彼の頭を触っていた手を、静かに下す。

「リヴァイア殿……そ、それだけは部下として……できかねます」

 すかさず、シルヴィーが大声で反応した。


「……」

 しばらく無言に見つめる彼の顔を、リヴァイアが


 ククッ……


 何故か? リヴァイアが微笑む。


「リヴァイア……殿?」

「いや、なんでもない」



 今から1000年後――


 リヴァイアサンとの最後の対峙となる日が来るだろう――

 リヴァイアよ……、お前はそこで最後の聖剣と出会う


 忌まわしいリヴァイアサンから教えられる、最後の戦いの道を――

 リヴァイア……、お前は受け入れるのか?


 入れないのか?

 その選択する道の数は限られている。


 リヴァイア―― お前にある道は生きることだけなのだから。



「忌々しい預言書め……」

「リヴァイア……殿。は、早く避難しましょう」

 再び彼女の身体を大きく揺らしてシルヴィーが一時的撤退を提案する。

「なあ? 滑稽な物語だとは……思わんか? シルヴィーよ……」

「……な、にがでしょう」


「……預言書のために我の命があるのか? それとも、我の命の道標みちしるべ、羅針盤として預言書があるのか? いろいろ悩み考えてはみたけれど……どうやら、前者が正解らしい。我ながら無力だ。だから、笑うことで忘れたい――んだ」

 だから、リヴァイアは笑ってしまったのである。

 

 自分の人生――

 それを、そのすべてが書かれている預言書『究極魔法レイスマ』の内容を知ってしまって。

 修道士見習いの時には、それを面白おかしく子供達に読み聞かせていた……ことは以前に書いた。


 やがて毒気をもらい、その相手が自分も信仰していたリヴァイアサンであることを知ってしまい、

 事実、今こうして毒気をもらってしまった――


 やがて、自分の運命がどうなるのか?

 それも自分は当然知っている。


 永遠に死ねない身体となってしまい、永遠に闇の象徴であるオメガオーディンと戦う運命を与えられることを。



「悪に屈した自然界の畏怖よ……。お前は、もはや悪そのものだ……」

 リヴァイア……は、ゆっくりと一歩、また一歩と足を引きずりながら歩いていく。

 その先には、悪に屈したもはや信仰の対象ではなくなったリヴァイアサン――海の怪物、大災害と大津波を引き起こすだけの海洋生物に……


 眼光を鋭く眉間に皺ができる。

 怒り―― 憎しみ―― 絶望――

 諦め―― はできなかった。


 リヴァイアの両目には、死んだ大ウナギのそれとは対照的に、憤怒の執念を燃料とする闘志が感じられてくる。

「お前さえいなければ、お前さえいなければ……」

 一歩、一歩と……、リヴァイアが歩みを続ける。

 それも睨みつけながら、怒りを増しながら、悔しさを通り越した“仕返し”を企みながら――

「我はな……、これから聖剣士リヴァイアとして生きることもなかったんだぞ!」


 聖剣士――よ


 その時、リヴァイアサンの口が開いた。

「リヴァイアサン――か?」


 リヴァイア……、我が名をもらった聖剣士となる女よ


 カカカ……


「な! 何がおかしい!!」

 思わず反射的に、手に持ったエクスカリバー。

 それを両手で握り直してから、切っ先をリヴァイアサンの喉元に向けた。


 カカカ…… リヴァイアよ。


 どうだ…… 我が毒気で永遠に死ねなくなったな……


「……ああ、そうだな。お前の……せいでな」


 可愛い女騎士――


「う……、うるさい!」

 リヴァイアが歩みを速める――

 それでも足を引きずりながら、両手に重くエクスカリバーを構えながら――

「リヴァイアサン! お前という海獣は、何が人々を守るための約束だ。お前は! お前は! ただ怖かっただけだろう?」


 怖いとな?


「ああ……そうだ! オメガオーディンに殺される自分を想像して、お前は言い訳を……考えた。何がカズースの人々を守るためだ。信仰の神であるならば、最後まで悪に立ち向かえ!!」


 立ち向かえ?


「我に責任を転嫁したかっただけだろう! リヴァイアサンよ!!」


 タッタッ タッ……


 リヴァイアは、エクスカリバーを頭上のリヴァイアサンに突き出した。

 切っ先は大海獣の喉元を……、あの鱗の先の肉を掻っ切ることができれば……、

「この、エクスカリバー……後に聖剣となり、そしてオメガオーディンの分身として、何度も、これから何度も……何度も……」


 忌々しいあいつを、仕留めることが、殺すことができる――


「リヴァイアサン! 死んでくれ!!」


 歩みを早めながらも……毅然とした騎士団長としての戦場で上げた覚悟の言葉、敵に向けて発するその姿を――

 痛めた足を引きずりながらも、猛然となんとか走り行く姿は、


 狂気だった――


「このエクスカリバーが! 1000年後の彼らにとって代わる聖剣になるまでは……。我と共に」


 そうしなければ、オメガオーディンは倒せんぞ――


「違う! 我は知っているぞ。預言書を読んでいるからな!」


 預言書……か?


の聖剣ですら、オメガオーディンは倒せんということをな――」

 近場にあった大石を踏み台にして、リヴァイアはジャンプする!

 大きく身を反らして、エクスカリバーを背中に回して切り掛かろうと、

「お前ならば、リヴァイアサン! お前ならば!! この剣で倒すことが」


 我を倒してなんとする?


「うるさい! うるさい!! うるさい!!」


 我を倒すことは、神殺しとなるぞ……それでもいいのか?


「無論、承知なり!」

 勢い付けてリヴァイアサンの鎌首に目掛けて、あの肉を掻っ切ればいい……そう思い、願い、自らを信じ、怒りを、怒りを、何が何でも――殺した。



 最後は、無心に……無神に……なって、

 振りかぶった――



 お前のせいで、これからの我は――


 聖剣士として周囲の人々から称えられて、オメガオーディンを倒してくれる御方だと思われて、

 でも、倒せないことを我は知ってしまていて、

 こうなった自分の人生が、リヴァイアサンよ……

 お前の保身の結果であり、カズースの人々を守るためという言い訳であることを知って、


 永遠に……死ねない、

 1000年後のその時まで、

 に委ねるまで、

 それでも死ねない身体を、


「死ね! リヴァイアサンよ!」


 リヴァイアが振りかぶるエクスカリバーを、一気に鎌首の喉元へと切り裂こうとする!



 無理だ―― リヴァイア――



 エラをひとつ大きく横に振るリヴァイアサン。

 刹那、巻き起こった風に、リヴァイア――思わず傷ついた身体をヨロわせる。

「けっ! くそう……」

 あと少しで、あの忌々しい大海獣を殺すことができた……のに……

 リヴァイアは大海獣をあと少しのところで仕留め逃してしまう。


 彼女の身体は、そのまま重力に引っ張られて……落ちてきた。

 しかし、

「リ……リヴァイアサン! だったら我を殺せよ!!」

 その最中にも、リヴァイアは大声でリヴァイアサンを睨みつけて怒号を!

「リヴァイアサン! 我はこんな運命なんか……、こんな……」


 こんな、運命なんか嫌だ――


 その間、数秒だった。

 リヴァイアの身体は、おもいきり地面に叩きつけられる。

「リ……リヴァイア殿!」

 慌てたのはシルヴィーだった。

 彼女が地面にぶつかったと同時に、彼は反射的に駆け寄る。

「リヴァイア殿! もう、逃げましょう……あなたが死なれてしまっては第四騎士団も壊滅してしまいます!!」


 そうじゃない……シルヴィー

 我は、もう死ねなくなったのだ――

 この……毒気によってな



 まだ、毒気が足りんようだな――



 そろそろと……リヴァイアサンが身体を地面に擦りながら近寄ってくる。


「な、何をリヴァイアサン……考えている?」

 身体をシルヴィーに支えられながら、迫りくる大海獣のその言葉に、何とも言えない違和感を見出してしまう。


 毒気を…… 今一度、

 毒気をリヴァイア…… お前に与えて……


 やろうと……


 すかさず、大きく口を開くリヴァイアサンだった。

 口の中が明るく光り出した。


「に……」

 思わず……、リヴァイアが痛む身体を地面に擦りながら、後ずさりする。

「に……げ……」


「リヴァイア殿?」

 その彼女に寄り添いながら、シルヴィーがなんとかその声を聞かんとして口元に自分の耳を近づけて――


 そんな行為しなくても、聞こえた。

 次に、リヴァイアがありったけの大声で叫んでくれたからだ。



「シルヴィー! 逃げろ!! 毒気から!! 今すぐ!!」




       *




「シルヴィー! 逃げろ!! 毒気から!! 今すぐ!!」


「リヴァイア!」



 はっ…



 夜だ――

「……わ、たしは? 私は、私は……夢??」

「リヴァイア……悪い夢を見ていたの? かなりね、うなされていたよ……」

「……シル……ヴィー? シルヴィーか」

 どうやら、シルヴィーがリヴァイアを目覚めさせてくれた様子だ。


 ここは木組みの街カズースの宿、オニオンの2階の部屋である。

「……シルヴィー。ああ……シルヴィーか」

 大分、リヴァイアも意識を取り戻してくる。

 ぼんやりと、隣に寄り添ってくれている

「……シルヴィー」

 このシルヴィーはカズースの孤児、幼い男の子のシルヴィー・ル・クリスタリアである。

「リヴァイア……」

 心配そうに、さっきまで魘されていた彼女の名を呼びながら視線を向けている。


「……大丈夫だぞ」

 そんな彼に気負いせまいと、リヴァイアは彼の頭に優しく手を乗せて、

「……少し、夢を見ていただけだ」

 口角を上げて微笑みを見せてあげた。

「悪い夢?」

「……そうだな」


 リヴァイアは椅子を窓に向けて座っていた……らしい。

 その窓枠に寄り添う形で、彼女は眠りについてしまった。


 よくは覚えていない……


「でも、大丈夫だぞ……もうな」

「……リヴァイア? 本当に??」

 シルヴィーが不安そうな顔を向ける。


「シルヴィー……」

 その顔をじっと……見つめる聖剣士リヴァイアだった。

 そのまま、しばらく――


 しばらく。



 懐かしいなんて……思う年齢でもなくなったな。

 もう1000年前だ。



「リヴァ……」

 シルヴィーが彼女の名を、もう一度呼ぼうとした時、

「お前は、この街が好きか……」

 突然、リヴァイアが彼に質問した――

「この街……カズースのこと」

「ああ、そうだ」


「……うん」


 そうか……


「だって、ほら見て!」

 表情を一気に明るくさせるシルヴィーが、窓の外を指さした。

「だってさ、木組みの街カズースの夜市って、こんなにも綺麗なんだもん」

 その指に連れられ、リヴァイアも窓の外を見る――


 ランタンの明かりが一斉に街を覆っている。

 その光景は、どこかの世界の送り火のような……幻想的だ。

 そして、その送り火のような光は、


「リヴァイアサンさまも……。この光を見て喜んでくれているはずだね」

「シルヴィー……」

 そう、この夜市の光は信仰の対象であるリヴァイアサンへの敬意を表していた。


「……」


 それを無言に見ているリヴァイアだ。


「リヴァイア?」

「……そうだな、綺麗だな」


 リヴァイアは、ただそれだけを言う。





 続く


 この物語はフィクションです。

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