第42話 お前さえいなければ……我も毒気を受けずに生きることができたものを!
ここは、リヴァクラー神殿――
殺風景な辺境の祠である。
祠といっても、小さくはない。
サロニアム大陸の領内――城から北へずっと行ったところにある、砂浜の丘の上に静かに建っている神殿だ。
かつては、多くの修道士がこの神殿で祭儀を執り行っていた――
リヴァイア――1000年前の彼女は、修道士見習いとしてサロニアムで日々を送っていた。
もしも、彼女が聖剣士リヴァイアという道を、運命を背負うことがなかったとしたら、彼女はこのリヴァクラー神殿で、修道士として人生を全うしていただろう。
――あれから時が過ぎ、運命とは分からないものだ。
まして、『究極魔法レイスマ』の預言書に書かれていた自分の運命を、知らずにそれを子供達に読み聞かせていたころの自分を……、
どう割り切ればいいのだろうという思いだけが、日々の“日課”として、それも修道士見習いの頃の癖のような気持ち――自負心。
そう学んできたのだから、しょうがないのかもしれない。
自分で自分を責める気持ちから、なんとか自分の“魂の格”を上げようとする姿勢――
今は昔――
リヴァイアは葛藤していた。
サロニアムの第四騎士団長になった後でも……。
「大海獣リヴァイアサン……」
リヴァイアは跪いていた。
その先に見える北海の海――荒れ狂う潮、冷たい冷気、万年の曇り掛かった遠景――
「大海獣リヴァイアサンよ……」
リヴァイアサンの海に向かって、リヴァイアが心痛な表情で、ただその名を呼ぶ。
リヴァクラー神殿には、信仰対象となる石造も何もない。
北海そのものを神殿から眺めて、祈るという形式。古来から続く原始宗教のような施設である。
自然信仰と言えばいいか……。
北海の波は荒かった。
まるで荒れ狂う地獄から這い上がろうとする魔族の執念のような絵図。
血しぶきのように、もうこれ以上は地獄を耐えられないから……という解放への執念のように。
北海の波が跳ね続けている――
海の色は灰色の青で、まるでクラーケンの体液のような銅色で流れる血液のように……だ。
兜を横に静かに置いて、
「リヴァイアサン……」
ずっと神の名を呼び続けていた。
その声が木霊する――誰もいない神殿で。
「リヴァイアサン…… リヴァイアサン……」
何度も何度もだった。
「聞いてくれ。我が――」
リヴァイアは静かに瞼を閉じる。
刹那――すぐ目を開けてから、北海の荒れる海に睨みをつける。
「――運命を、我と、どうか決別してはもらえないだろうか?」
――リヴァイアは、北海の海を睨みつけ続けた。
「……わ」
波は荒れる――
雲も暗く――
「わ……我は」
その光景は、まるでオメガオーディンが天界から降臨する時の、暗雲めいた魔族の血の色のように。
「我は……もう」
リヴァイアは小刻みに怯えていた――
「我は、もう……」
けれども拳に目一杯に力を入れて、なんとかエクスカリバーの柄を握ろうと……握ろうと手が空を切る。
なんとか、握ってから――
「我は、どうしてこのような運命を背負ってしまったのですか?」
リヴァイアが、悲痛に心情を吐露した――
神殿は静かで、自分の言葉が木霊するだけで、それ以外の神聖なるお告げのような言葉は何も返ってはこない。
波が荒れている――そのしぶきの音だけが、リヴァイアの心中にある怒りと憎しみをコントラストさせている。
その音は、魔族が人間を地獄へと、海の中へと引きずり込む執念のような――
「私は、両親からあなたの名前を、リヴァイアをもらって、カズースで幸せな日々を生きてきたのですよ。あ……あなたにも、何度も海辺で会ってくれたではありませんか!」
リヴァイアの涙腺が緩み、両目の下が濡れてくる――
「……リヴァ……イアサン。……どうか、どうか答えてはくれませんか? 私は、こんな運命を背負わされてしまい、もう……私は」
辛いのですから……
と、リヴァイアは言おうとした。けれど、
「私の運命は最初からすでに決まっていて、それは預言書に書かれている通りで――だから私は、私には逃げる術がないのです――」
その自分の辛さを、どうすることもできない運命であることを彼女は理解していた。
だから、私のせいではない――のだけれど、いや……私の一生が、どうしてこんなにも過酷なのかを知りたかった。
その通りである。
運命でしかないのだけれど、その運命を呪いたい対象がほしかった……
運命――リヴァイアサンの毒気で永遠に生きて、オメガオーディンと対峙し続けるという運命を。
運命を……呪いたい。お前に――
過酷だな――
「……リ?」
リヴァイアに声を掛けてくる気配に気が付いたリヴァイア――
誰もお前を助けてはくれない――それどころか、誰もお前となんか関わりたくないと思っている。
やがて、毒気に生きるお前なんかとは――
誰もが、お前を嫌っているのだ――
「……リヴァ」
お前の願いはなんだ?
「……リヴァイアサン?」
その時、
ザッパーーーン!!!
荒れる北海の海から――二本の柱の壁が、違う。
大きなヒレが姿を現した。
そのヒレが荒れる波を大きく叩き払っている。……北海の海を叩きつけて、更に大きな大波を作っている。
ザッパーーーン!!!
まるで怒号だ――
何度も何度も、2枚の大きなヒレが海面を叩きつける音が激しさを増してくる。
「リヴァ……イアサン……」
その勢いの中から、あの忌まわしい――
無論、預言書の通りであるのだから、リヴァイアにとってはであるが――誰にでもそうなのかもしれないけれど、なんでこんな怪物と関わらなければ?
という“無意識の中にある攻撃性”が、あの音を聞く度に意識化されてくるようで……、いたたまれない、耐えられない気持ちを、リヴァイアは隠そうとも思わない。思えない。
怒りとは、それくらいに、はっきり言って殺意の前夜祭のような感情なのだから。
お前の望みはなんだ――
「望み……ですか?」
――今度は両膝を屈するリヴァイアだ。
リヴァイアサンを……殺したいか?
「……はい」
小さく呟いて頷いた。正直に、信仰の対象への懺悔だった。
「……そうか、殺しても、お前のこれからの運命は、やがての呪いは消えないだろうな?」
「……御意に」
小刻みに両手を、跪いきながらも、エクスカリバーを握っている手を微かに震わせている――
怖かった――
カズースで生を受けて、リヴァイアサンを信仰してきた自分が、その信仰対象の神を殺したいと……憎んでいると、それを口から発するなんて、到底できなかった。
ご法度だ――でも、言った。
言わなければ、この運命を変えられないと思ったからだ。
リヴァイアサンは、自らの心中に抱える信仰心と異端の狭間に、自らを置くリヴァイアの様子なんか気にも思わずに、
「リヴァイアよ……。もう、諦めんか?」
「あ……諦め?」
「お前はよく、生きている。我の呪いと共に……そして、これから1000年をも生きていく運命を受け入れていけ……」
「……」
沈黙を武器として、リヴァイアは認めたくなかった。そうしたくなかった。
いくら預言書に書かれているからといっても、一方的に被害を被っていることは客観的な現実だと、
リヴァイアは自分の悲運の運命の怒りの矛先を、その元凶へ向けている。
「……その方が楽なんじゃないか?」
リヴァイアサンは鎌首の如き顔を、神殿にまでグイっと押し出してくる。
「……楽と?」
「ああ、そうだ。お前も知っているだろう? どうせオメガオーディンは死なん。何度も何度も……復活を繰り返す闇の象徴――そのものだ。光ある所に必ず闇ができるように。倒せないのだから、お前はその運命を受け入れて――」
「受け入れて」
「日々を全うしていけばいい……」
悲運の人生を――永遠に生きろと??
――できない、
「な……なにを、リヴァイアサン!」
キッと眼光を鋭くしてから、リヴァイアが立ち上がる。
荒れ狂う、北海に浮いている大海獣リヴァイアサンに向ける視線は怒りに満ちている。
正直、一番憎むべき相手から、一番聞きたくない言葉をあっけらかんに言われたリヴァイアが、
どうしたリヴァイアよ――怖いんだろ。我を。
「う……うるさい!」
全部、すべてお前のせいだ――
本気で思っていた。
「お前さえいなければ……我も毒気を受けずに生きることができたものを」
では、どうする?
我を憎むか?
「当然だ!」
リヴァイアが震える手をなんとかもう一つの手で押さえる。
その震えを押し殺した瞬間に、彼女はエクスカリバーを鞘から取り出す!
騎士団長としての誇り、わが分身――エクスカリバーの切っ先を、荒海のリヴァイアサンへと突きつけた。
……
しばらく、リヴァイアサンは、
では、我を殺せばいい。
「ああ、我はお前を殺そうと」
……できるのか
「できるぞ!」
一層にエクスカリバーを握る両手に力を入れてから、リヴァイアが言い切った。
では、お前のリヴァイアサンへの信仰心はどうなる。
「……どう……?」
一瞬、柄を握る両手が緩んでしまう。
信仰心――それは幼い頃から木組みの街カズースで生を授かった時から、両親から刻み込まれてきた心の拠り所である大海獣リヴァイアサンへの感謝の気持ちだ。
お前は、我の名からリヴァイアと名付けられたと、言っていたではないか?
「そ……」
両親からの愛……というやつか?
「……」
リヴァイアは視線を少し落とした。
自分の名前は両親から与えられた、大海獣リヴァイアサンへの信仰心から両親が自分の娘に名付けてくれた、愛の証拠を、これだけは捨てられない。
無論、捨てたくない。なかった……。
そうすると、やはりここでも矛盾が発生してしまう――
我を殺すこと、即ち、我への信仰と、そして両親への気持ちに裏切るということにならないのか?
「……リヴァ……イアサン」
どうだ、悔しいか?
荒波に鎌首を見せるリヴァイアサンが、ケラケラと口を開いてリヴァイアサンへ笑止の顔を見せつけている。
お前に、我は殺せんな――
「いや、殺せる」
ほう……
またケラケラと――
「我が、そのお前への……リヴァイアサンへの」
への?
「……信仰を捨てれば、我はお前を殺すことができるのだから」
……
「わ……、我は信仰を……捨てよう」
……
北海の荒れる海の、波の音だけがリヴァクラー神殿から睨みつけるリヴァイアを包み込んでいた。
……
いまだ沈黙を続けるリヴァイアサン。
「……」
リヴァイアも同じく口を閉ざす。
本当にそれでいいんだな? 覚悟を決めるんだな――我への信仰を捨てると。
「そうだ……捨てる」
カカッ カカカッ
大きく笑い声を上げるリヴァイアサンが――
では、その証拠を見せろ?
無慈悲にリヴァイアに要求する。
「証拠……とは?」
リヴァイアがエクスカリバーを握る両手の力を緩めてしまう。
ああ、証拠だ。お前が信仰を捨てる証拠を我に見せてみろ!
一体、何を言い出すか?
そもそもの原因はリヴァイアサンの毒気から生じた呪い――死ねなくなってしまったという悪夢を、
居直ってその原因の転嫁を自分に、さも言葉巧みにかき消そうと、自責へと誘おうと。
「ふざけて……いる……ぞ」
リヴァイアがキレる。
なんなのだ……お前は? 神として信仰を……してきた。
のに……。
リヴァイアよ―― 我がお前に与えてやるか!
「与えて……?」
その思い掛けない言葉を耳にするなり、
そうだ……
リヴァイアサンの身体が大きく反れる。
その反動で、一気に水面へと身体を叩きつけると――砂浜に大きな地響きを、大きなとても大きな津波を北海の海に――
「……リヴァイアサン……よ。ど……どうし」
……て。
そんな慈悲は、あてにしない方がよさそうだ。
あっという間に、荒波にできあがった大津波――無慈悲に作られたリヴァイアサンからの、人工的な大津波だった。
波は波と重なりあり、重なり合い、次第に大津波に代わって、……それがリヴァクラー神殿へと向かってくる。
「な……リヴァイアサン。血迷うか!」
信仰を捨てたお前なのだから、その証拠にここ我を祀るリヴァクラー神殿を破壊しようと思ってな……
破壊して……お前の未練を断ち切ってやろうと。
「な……リヴァイアサンよ。この神殿はサロニアムもグルガガムも、そしてカズースの多くの民が祈りに来る神殿であるぞ。そこをリヴァイアサン! 自ら破壊するというのか」
その通りだ――
「どうして?」
我がオメガオーディンと取引をして日々の平和を得られたカズース、北海ではないか?
しかしな、誰も我のおかげであるとは……思ってはくれんのだ。
「――それは、あなたは神で、その神がオメガオーディンと取引なんて」
そうだな……だから、壊そう。
なにもかも、我の大津波でこの神殿も――なにもかもを。
「やめろ!」
大津波が……、リヴァクラー神殿に立つリヴァイアへ向かってくる…… …
*
「ねえ……リヴァイア?」
シルヴィーがリヴァイアの袖を引っ張った。
「……あ。……ああ! すまんな。少し思い出を巡らせていた」
そっと、彼の頭に手を乗せる。
「……リヴァイア? 大丈夫」
「……勿論だぞ」
ふふっと、空元気に微笑んで見せた。
「……ふ~ん。へんなの」
「変ではないぞ……。懐かしいなこの街は何も変わってない」
リヴァイアが立ち止まって見渡した風景、木組みの街カズースの日常――
こんな積雪の北海の街。木組みの屋根に積もる雪の笠は、子供の頃から見慣れた光景だ。
行きかう人々も、この寒さにも負けずに日々の生活を、商いを、談笑を続けている。
本当に懐かしかった。
あの時、グルガガムの徴兵逃れで自分はサロニアムへと逃避行をして――
それが今ではウソのように、軍事国家に怯える素振りもなくて――
なんだか、自分の苦心が惨めに感じてしまう程に、羨ましく思えてくる。
「で……何の話をしていたっけ」
「もう! リヴァイアがリヴァクラー神殿でオメガオーディンと戦ったっていう伝説の話だよ!」
ニコニコと、嬉しそうにシルヴィーが教えてくれた。
「リヴァクラー神殿か……」
「そうだよ……ボク達の信仰の拠り所のリヴァクラー神殿を守ってくれた話だって」
……そうか、そういう伝説になっているんだな。
「でも、結局はオメガオーディンに破壊されちゃったんだよね?」
「……そうだな」
リヴァイアが顔を下げてしまう――
だって、本当の出来事を言えなかったからだ。
続く
この物語はフィクションです。
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