第22話 アラクネの悲鳴

「本当は、こんなところにきてほしくなんてなかった。

 危ないことをしてほしくなかったけど……ここまできちゃったなら、もういいよ。

 仕方ないし。

 だからね、危ないって分かってて、助けにきてくれたことが、わたしは嬉しいから」


 すると、隣でも同じようなやり取りがあった。


「やだやだっ、死にたくないよシンドウ助けてなんで捕まってんのばかぁっっ!!」

「あー、うるせえ。両手が縛られてるから耳も塞げねえし……」


 シアナの反応が普通だと思うが、リッカを見た後だと最悪に見えるな……。

 リッカとシアナは正反対の反応を示し……じゃあ、ミーナは?


「……なに笑ってるの?」

「ううん。ゴウは……どうしてここまできたの」


「そんなの――」


 言わずとも分かるだろうと思うが、ミーナの表情は言葉にしてほしいとねだっていた。


「……ミーナを、助けたかったからだよ」

「どうして」


「君は僕のパートナーだろう?」

「でも、リッカやシアナにばっかり、気が向いてて……」


「僕は、まだミーナには相応しくないからね」


 そんなことない、と口を開きかけたミーナは、寸前で口を閉じた。

 こればっかりは、本人の意志が強い。横から口を出しても覆らないだろう。


「相応しくないから、他の子を気にかけるの……?」

「それが、君に近づくための手段だと信じてるから」


「じゃあ……」


 ミーナの表情で悟ったのだろう、ゴウが宣言する。


「僕の本命は、ミーナだけだよ」



 瞬間、


 ブチ、ブチブチブチィィッッ!?!? と。



 ミーナを張り付けにしていた、幾重の糸が引き千切られた。

 あっさりと、簡単に。


 まるで、いつでもできたような気軽さで、だ。


『え?』


 アラクネまでもが声を漏らした。

 さすがにこの状況は彼女たちにとっても想定していなかったことらしい。


「……ミーナ、もしかして、わざと捕まってた……?」

『……は?』


 声を漏らしたのはおれとリッカ、シアナだ。

 シンドウは納得した様子で、指摘されたミーナは否定も肯定もしない。


「おかしいとは思っていたんだよ。

 前回の探索の時に、ミーナたちが攫われたのはどうしてなんだろうって」


「それは……だって今のおれたちみたいに糸が絡まっていたからだろ……?」


「だったら僕たちも一緒に捕まっていなければおかしかった。

 なのに実際に捕まったのはミーナ、リッカ、シアナだ」


「だって……! おれたちの糸はリッカたちが切ってくれていたんじゃないのか……?」


 隣を見ると、リッカが首を左右に振っていた。


「マサトの糸を切るなら自分に絡まってる糸も切るってば」


 ……それもそうだ。

 糸が見えているから、たとえ見えていなくとも直感できたからこそ切ることができる。

 無作為に切れるほど単純な絡まり方をした糸ではない。


 じゃあ、おれたちの糸は切れていて、

 でもリッカたちの糸は切れていなかったことになる。


 ……切らなかった? もちろんタイミングがある。

 切る寸前でアラクネに捕縛されたとすれば切る暇もなかった可能性だってあるが……、

 しかしゴウの予想は違うようだ。


「ミーナ。君は、パーティ内で唯一分かっていながら、絡まっていた糸を見逃したね?」

「……うん」


 隠す気もなく、もう言い逃れできないだろうと覚悟したのだろう、ミーナが頷いた。


「な、なんでそんなこと!」


 おかげでこっちは何度も死にかけたって言うのに!


「簡単に糸を引き千切れる状況でいながら、僕たちの助けを待っていた……君は助けられたかったってことでいいのかな?」


 助けられたかった?


「いや違うか。さっきの君の言葉からすれば……、不安になった? 

 僕がミーナ以外を見たことで、自分が捨てられるんじゃないかって?」


「…………」


 ミーナの沈黙。

 だが、期待するような表情でなにを考えているのかが、おれでも分かる。


「だから試したのか? 自分が攫われたら僕が助けにきてくれるのかどうかを」


 リッカとシアナを巻き込んだのは、彼女たちの力を使えばアラクネの巣に侵入してミーナを救うことは造作もないことだからだ。

 男だけの状況で、救える保障もない中で、それでもゴウは持ち前の判断力に背いて自分を助けにきてくれるのかを、測った。


 危機的状況に陥ればすぐに助けられると踏んでのミーナの企み。

 実際、ミーナはこうしておれたちの危機に糸を引き千切り、助けに入ってくれた。


 彼女にとって助けられたかどうかは問題じゃない。

 助けようとしてくれたかどうかなのだから。


「助けるよ、当たり前だ」


 聞いたミーナの口元が緩む。


「だって、僕は君の雇い主――パートナーじゃないか」



 それは、ビジネスの関係で、一見薄情にも思えるかもしれない。

 だが、彼は加工屋だ。

 ビジネスの関係をなによりも重視するし、仲間として、困っていれば助けようとする。


 友人、家族よりも重視する関係性だ。

 そんな彼の言葉は、加工屋を知る彼女からすれば最も欲しかった言葉なのだろう。


 その一言のために。


 アラクネを利用した。


 そして、ミーナは欲しいものを思惑通りに手に入れたのだ。


「満足そうな顔をしてさ……僕たちがどれだけ苦労して……。

 はあ、じゃあミーナ、後のことは任せてもいいかな。

 さすがにもう僕たちには武器も気力もないからね」


 ギリギリだった。

 というか万策尽きた上でぐるぐる巻きにされている状況だ。


 ミーナが糸を引き千切らなければ、間違いなくアラクネに捕食されていただろう。


「うん……みんなで、帰ろう」


 射貫くような視線で、ミーナがアラクネたちを見下ろした。

 だから、というわけじゃないだろう。彼女の威圧がアラクネを圧倒したわけではない。


 彼女たちは元々、こうなる性質を持っていた。



『あぁああああああああああああああああああああああああああああああああ!?!?』



 重なる叫び声、断末魔。

 次々と。


 アラクネたちは自身の糸を使って首を縛り――吊っていた。


 だらんと力なく垂れる全身。


 蜘蛛の下半身と人間の上半身を合わせた体重の全てが首の一点に。


 首吊り。

 自殺。


 アラクネの巣が、一気に死体安置所に成り下がる。


「なっ、にを、して……!?」


 ミーナに気圧されて? 彼女たちはそこまで弱い魔族なのか?


 おれたちを罠にはめたアラクネからは確かに強さを感じた。

 たとえ目上の敵からの威圧だろうと、絶対に屈しないようなものが。


 にもかかわらず、どうして……?


 こうしている間にも次々と命が散っていく。


 糸の性能なのか、思い切りの良さなのか、死亡までの間がまったくない。

 止める声をかけるよりも早く、彼女たちは逝ってしまう。


 おれが止めるのはお門違いかもしれない……でも。


「完璧主義者ゆえに、一つのミスでもしたらそこで命を絶つ魔族か」


 シンドウが嫌悪感を滲ませながら。



「生まれてからずっと台本通りに生きてきたってか? 

 一度のミスもなく、いや、そのミスさえも予定に組み込まれて指示通りに動いてきた、か? 

 想定外のねえ人生ねえ……そりゃ安心だろうよ、不安もないだろうよ。

 だから耐性がねえんだ。


 小さなミス一つで予定が狂って、そのリカバリーもできず、前例がないからこそわけも分からずパンクする頭に耐えられずに、命を絶つほど追い込まれんだ。

 こっちは想定外ばかりの人生だっつの。それでいちいち命を絶ってたら、オレらはどれだけ首を吊ればいいんだ?」



 人生は臨機応変の連続だ。

 失敗が当たり前。だからこそ成功できる。


 失敗があるからこそ、成功という結果が分かる。


「ミーナ。みんなの糸を切って早く出よう。こんな空間にいるのは不快だ」


 淡々と自殺を見せられるのは正直きつい。

 相手が魔族とは言え、上半身は人間なのだから。


 それぞれ、パートナーに抱えられ、地面に降りる。

 やまない断末魔を聞きながら、巣を後にしようとした時。


 見えた。見えてしまった。

 だったら、動き出さないわけにはいかなかった。


「えっ、マサト!?」


 リッカの声を振り払って、吊るされたままの死体の間を縫って奥へ。

 見えた一体のアラクネを押し倒す。彼女の体は凄く軽い。


 死ぬ寸前ということもあり、力を抜いていたのだろう。


「……ふざけんな……っ、一度のミスで、簡単に命を捨てる、だと……!? 

 お前らは、ずるい! 失敗した後の世界を見ずに、楽な方へ楽な方へいきやがって!!」


 口から唾液を垂らし、両目から涙を流した蜘蛛の下半身を持つ少女。

 その顔で……ッ、その姿で、おれの前で首を吊らせてたまるか……ッ!


「お前の人生をおれが決めるつもりはない。おれたちが去った後に、それでも死にたければ死ねばいいよ……ただ、おれの前ではやらせない。

 もしも、お前が一族のルールや風潮に流されて死ななければならないことに涙を流しているのなら……もういい。周りを見ろよ、お前を咎めるやつなんかどこにもいない。

 みんな、死んでるよ……」


 周囲のアラクネは全員、首を吊っており、断末魔はおろか息遣いも聞こえない。


 アラクネの巣に残ったのは、おれが押し倒しているこの少女のみ。


「巣に閉じこもって台本通りの毎日を過ごしていただけなら……外を見てみろよ。

 確かに魔界は危険な場所だ、他の魔獣や魔族に殺されるかもしれない……でも、どうせ自殺するなら同じことじゃないか。

 だったら見てみろよ。世界を見て、台本なんてない生き方を模索してみろ。

 それから決めても遅くはないと思う――」


 返事を聞く前に、彼女から離れる。

 言いたいことは言った。これで彼女が首を吊っても、それは彼女の選択だ。


 もう、おれにはどうしようもない。

 死体の間を縫って、仲間たちの元へ戻る。


「なんだ、連れてくるのかと思ったがな」

「あの子がついてくるなら……それでもいいけどさ」


 シンドウが肩をすくめる。


「アラクネを巣の外に出したらどっちみち殺されると思うが……それはいいのかよ」

「おれの目の前で死ぬよりは。……気分悪いだろ」


 まあな、とシンドウも共感した。


「だってあいつ、リッカにそっくりだもんな」

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