第15話 矛と盾を失った勇者

「……っ、シアナ……! ミーナ!?」


 見上げると、張られたガラスのひび割れのような蜘蛛の巣に、二人が捕らわれていた。

 シアナはともかく、あのミーナまで……!


 彼女さえも、この細い糸には気づけなかったのか!?


「マサト! リッカはどうした!?」


 おれと同じく地面に膝をつく、シンドウからの叫び声。

 そして、三角形を作るようにおれとシンドウから離れた場所に、ゴウがいた。


 質問に答えるよりも早く、だ。

 糸に縛られ、吊るされているリッカが塔の上空へと引っ張り上げられていく。


「させる……ッ、かよッ!」


 短剣を抜き、リッカを追って糸を斬ろうと振り下ろすが、短剣の刃が入らない。

 肉眼で見えないようなこんな細い糸さえも、斬れないのか……っ!


「微々たる栄養素か。美味い料理が並ぶ食卓に不味い料理は興が冷めるだけね」


 三十代に見える黒髪の女性の冷たい声と視線。

 上半身は見慣れた女性の姿だが、下半身は生理的嫌悪感が止まらない。


 わさわさと八本足が動き、糸の上を移動する。

 まるで、ピアノを弾くように彼女が指を動かすと、再びおれの首がきゅっと絞まる。


 一気に呼吸ができなくなった。


 ここはアラクネの巣だ……、

 彼女たちの武器は全方位にあらかじめ仕込まれているはず。


 入った時点で、おれたちには最初から逃げ場がない。


「人間の男はいらないの」


 アラクネが、演奏の終わりのように指を弾こうとした時だ。


 みしみし、と塔全体が揺れた。

 上の方から、ブチブチブチィ! と糸が切れていく音が連続して下降してくる。

 やがておれたちの元まで音が辿り着き、

 今まで首を絞めていた糸の力が、ふっ、となくなった。


「み、ミーナ、か……?」


 捕らわれても尚、力技でおれたちを救うために……。


「逃げて」


 無口なミーナの、喉が張り裂けんばかりの叫び声。

 遥か上空にいても、その声はちゃんとおれたちに聞こえている。


「こっちは大丈夫、だから……みんな、逃げて」

「見捨てろって!? そんなことできるわけが――」



「うん、分かった」



 そう答えたのは、ゴウだった。

 彼の返事に、捕らわれているミーナが微笑む。


 ……なにを、考えて……っ、――ふざっけんなッッ!


「リッカを、シアナを、ミーナを! 

 このまま見捨てられるわけないだろうがッッ!」


 ゴウの判断には従う約束だった。パーティを組む時に、そう決めている。


 周囲を見て今後の展開を読むことに長けているゴウは、誰よりも引き際を見極めるのが早く、正確だ。


 遠征中も、彼の指示に従っていれば、スムーズに進めた箇所が何度もあった。

 胸を張って言うほどなのだ、実力は本物なのだろう。


 だけど、だとしても、ゴウの今の判断は、間違っている。


「いいのかよ……ッ、シンドウ!!」

「うるせぇぞ」


 眉間に親指をとんとんと一定のテンポで当てながら、彼は思考している。

 立ち向かう算段か? 逃げる段取りか?


 作戦を担当するシンドウの策が起点となる。


 だが、


「……無理だ、今のオレらじゃどうしたって救えねえよ」

「な……ッ!」


 肩をすくめ、大きな息を吐く。

 張り詰めていた緊張を一気に解いた証拠だ。


「だからここは諦めて退くぞ、逃げるんだ」

「お前……本気で言ってんのか!? 見捨てるって、その口で言ってんだぞ!?」


「ああ、そうだ。見捨てる」

「お前ぇ……ッッ!」


 シンドウの胸倉を掴み、思いっきり引き寄せる。

 睨み付けるおれの目に、彼はなんの反応も示さなかった。


 ただただ、冷たく見下している。


「じゃあお前一人で助け出してみろ。

 頑張って、吠えて、努力して、気合いと言葉だけで粘って時間をかけても結局、助けられなくちゃ意味がねえんだ」


「それは……」


「ほら、やってみろよ。助け出してみろ。

 この状況でろくな武器も力もねえお前が一人で魔族相手に、その短剣一本と薄い盾一つで助け出してみろよ、ほらよぉ!!」


 おれの胸倉を掴んで引き寄せ、ガッ、と自分の額をおれの額に叩き付けてくる。


 一瞬、脳内で星が散った後、真横に投げ飛ばされた。

 アラクネの目下、だ。


「オレたちは戻る。戻って準備をする。その間、死にたきゃ一人で勝手にやってろ」

「……助け出す気は、じゃあ、あるんだな……?」


「当たり前だろ」




「助けたくて仕方ねえのが、お前だけだと思うな」




 シアナは言っていた。シンドウは、できないことは最初からやらない。

 でも逆に言えば、できると確信したなら行動をする、と。


 だから、助ける気があって、一度退くという選択をしたなら、その先には必ず、全員を助け出した未来があるということだ。


「オレの策には、お前も入ってんだ」

「…………ああ」


「あいつらを助けるために、本当は死なれたら困るんだよ」

「……ああ」


「それでもてめぇは、感情に任せてここで自殺するつもりで挑むっつうのか!?」

「分かってる!」


 リッカを、シアナを、ミーナを救い出すためには。

 今のおれたちの装備じゃ、どう足掻いたって不可能なのだ。


 だから。


 おれたちには準備が必要だ。


 この世界は、アイテム次第で力関係をひっくり返すことができる。

 そして、強力なアイテムを入手するには、簡単な方法がある。


 ――金だ。


 そう、金があれば、なんでも手に入る。

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