第9話 新しい風

「どーも、またのご来店を」


 常連客に商品を売っていると、背後の扉が開いた。


「……おはよぉ」


 目元を指でこすりながら、リッカが顔を出した。

 当然ながら、

 いつものごつごつ鎧は纏ってはおらず、両肩と太ももから下を大胆に出した部屋着だった。


 いつもは結んでいる黒髪もまったくの手つかず。

 本当に、起きたばかりで鏡も見ずに、一階の店内に降りてきたようだ。


 そして、時刻は既に昼時を過ぎている。


「遠征の疲れがあるのは分かるけどさ……寝過ぎじゃないか?」

「んーん、寝たの遅かったから……」


 言って、リッカが大あくびをする。


「夜更かしかよ……、遠征の疲れが残ってる日くらい、早く寝たらいいのに」


「だって、傷ついた鎧のチェックとか、修繕とかしている内に、気づくと何時間も経ってるんだもん」


「そんなの、おじさんに頼めばいいだろ。一応、一通り教わったから、おれでもできるしさ……疲れてるのにリッカがわざわざやらなくてもいいじゃないか」


「自分の命を預ける道具のメンテナンスを人に任せたくないよ」


 寝ぼけていた意識がはっきりしてきたのか、自分の言葉が気になったようだ。


「あ。違うよ? マサトやお父さんが信用できないわけじゃなくて……わたしにとっての日課でもあるし……鎧も仲間だから。お疲れ様って労ってあげたいの」


 ……分からないでもない。


 おれも、魔界に持っていった盾と短剣は自分の手で汚れを落としたいタイプだ。


 それに、リッカが言わんとしていることも、納得できる。

 まったく警戒しないよりはマシだろう。


 リッカに限らず、鎧がなくとも元々の体が頑丈だ。

 男の腕力で傷つけられないし、高値の武器でも絶対に傷がつけられる、とも言い難い。


 じゃあ、彼女たちの頑丈さをどう突破するか。

 そう、彼女たちが使う武器もしくは防具に細工をするという方法がある。


 魔界帰りの彼女たちは、基本的に装備のメンテナンス依頼をする。

 武具屋もしくは加工屋がサービスしていることが多く、メンテナンスを専門としている店は少ない。


 そのためメンテナンスが一店舗に集中することもなく、スムーズに受け渡しができる。

 メンテナンス自体、手間はかかるが誰にでもできる簡単な作業だ。

 当然、熟練者と初心者では違いが出るが、慣れてしまえば人選による差はさほど出ない。


 中には、

「あの人じゃないと無理!」と注文する人もいるが、

 基本的に店に預けてそれ以外の注文はしない、というのが一般的だ。


 自分の装備が誰の手に渡り、メンテナンスをされているか、詳細を訊ねる人もいない。

 無頓着と言うより、聞いて返ってきた答えの真偽がはっきりするわけでもないのだから、聞いても仕方ないという側面もある。


 店側も、預かった装備を自分たちでメンテナンスをするとも限らない。

 別のところに依頼をして、一から全てを任せる場合もあるためだ。


 あくまでもサービスであり、本業ではないため、優先度は下がってしまう。

 そのせいだろう、誰の手にも渡りやすいし、誰でも手を入れられる環境が整っている。


 細工も簡単。

 痕跡を残しても、触った人間が多ければ多いほど溶け込みやすい。


 事実、鎧の細工による劣化や武器への細工による暴発が原因で怪我をした者もいる。


 細工がされていた、と分かっても、

 そこから犯人を導き出せたケースは事件の数にしては少ないのだ。


 そういう事件があってから、メンテナンスは各自でおこなう収集者が増えた。

 もしくは預けはするが、受け取った時に細部まで確認する意識が高くなった。


 それにつれて細工の数は減ったものの、しかし油断はできない。

 店に頼まない代わりに身内に渡す者が増えた。

 信頼している相手だと、確認の目も緩くなる。


 身内に預けた武器が、その身内も知らない間に他人に触られていた、というケースもあるくらいなのだ。


 どこでどのタイミングで細工されているのか、

 対策されると同時に新たな方法が生まれている。


 毎回武器と防具を買い替えるのは出費が膨らむし、

 新調したからと言って完全に安全とも言い切れない。


 武具屋で働くおれが言うと疑われるかもしれないが、新品の武具にも細工はできるのだから。


 そういう意味では、リッカの警戒意識は高い。

 ただ、それで寝不足になり、注意力散漫で怪我をしていたら元も子もないが。


 すると、リッカが店内を見回した。

 お客さんはいない。けど、店内にたくさん人がいる方が珍しいだろう。


 狭く小さな、常連しかこないような武具屋だ。


「あれ? そう言えばお父さんは?」

「新しい加工屋に武具を依頼しにいった」


「新しい? でも、いつものところじゃないと嫌だって言ってたけど……」


 おじさんからされた説明を、リッカにもする。


「そういうことなら仕方ないね。……じゃあどこの加工屋にしたんだろ」


「おれもそこまでは聞いてないな。でも、質を求めると仕入れるのに値が張るから、安いところにした、とは聞いてるけどな……」


 おっとり顔をして、意外と武具に関してはこだわるおじさんだ。

 そもそも熱量がなければ、店なんて出せないのだから当たり前か。


 こだわり抜いた末に、仕入れていた商品だ。それが、仕入れられなくなったからと言って、しかし半端な商品で妥協するとは思えない……。


 質と値を天秤にかけるのは構わないが、間違っても質を取らなければいいけど。


「もしかしたら……ひいきにしてくれてたその職人さんの弟子だったりして」

「何度か会ったことあるけど、弟子を取らなそうな人だったぞ」


 昔は魔界にこもって加工していたとか、そんな噂もある人だ。

 魔界の仙人、とも呼ばれていたらしい。


「仮に弟子がいたとしても、満足に教えてもらっているかは怪しいよな」

「あはは、だね。見て盗めって感じするもん」


 おれたちがそんな会話で盛り上がっている時だった。


 ぎぃ、と、立て付けの悪い店の扉が音を鳴らしながら開いた。

 長年の癖で、反射的に言ってから気づく。


「あ、いらっしゃい……って、ゴウか」


 桜色の前髪で目元を隠した少年が手を挙げる。


「やあ、マサトにリッカ」


 二日間に渡る集団遠征で、余り者同士、パーティを組んでいた少年だ。

 しかし、見てみると足りない。


 いつもなら傍らにいるはずの褐色少女のミーナが、今はいなかった。


「ミーナはメンテナンス中だよ。体の方ね。

 全身マッサージを定期的にしておかないと、後々肉体が壊れることもあるから。

 僕はまあ、その場に付き添うわけにもいかないし、近いしちょうどいいからこうして挨拶しにきたってわけ」


「挨拶か。あの時だけ、暫定的に組んだだけで大げさじゃないか?」

「ん? ……ああそうか、まだ君たちには伝わっていないんだね。それとは別件だよ」


 別件? と、リッカと見合う。

 思い当たる節がまったくなかった。


「僕はまだ新米だけどね、加工屋の職人なんだ。

 僕の師匠がどうやら君たちの武具屋と契約するみたいでさ。聞いてみたら顔見知りがいるし、なにも言わないのも冷たいと思ってこうして挨拶にきたんだよ。

 もしかしたら僕が加工する一品もあるかもしれないし、よろしくって意味を込めてね――パーティが継続するのか解散するのかは分からないけど、加工屋としては、これからよろしく頼むよ、二人とも」


 差し出されたゴウの手を握る。


「あらためて、よろしくだ。……それにしても、加工職人だったなんて意外だな。

 収集者の中に混じっていることは珍しくもないけど、素材採取をさせたら飽きずに何十時間と続けるタイプが多いらしいって聞いたことがある。

 しかも知識豊富で素材のこととなると口が回って止まらなくなるとも。

 でも、ゴウからそんな匂いは感じなかったからなあ」


「昔、親が加工屋だったから、少し経験があるくらいだからね。

 根っからの職人ってわけじゃないんだ。知識もなければ興味も薄いよ。

 希少な素材には目がないけど、加工に使ったらどんな武具が作れるんだろうと考えるよりも、換金した時の値の方が気になるね」


 視線を回し、ゴウが店内を物色する。


「店内の武具を見ても凄さがいまいち分からないんだ。

 ただ、希少素材の目利きはできる方だから、凄さの判断基準は素材だよ。

 武具の造形美にはあまり着目しないんだ」


 職人同士だと技術の差がはっきりと分かる見方があるらしいが、おれにはとんと分からない。

 職人じゃなければそんなものだろう。

 職人でありながら冷めた目をしているゴウが、職人世界からしたら異端なはず。


 隣ではうずうずとリッカが喋りたそうにしていた。


 武具屋の娘であることを『可愛くない』からで嫌がる彼女だが、やっぱり根っからの武具屋の娘なので、自然と詳しくなる。


 なんだかんだ言いながら、錆び臭い金属が好きなのだ。

 小さい頃からぬいぐるみの代わりに鎧を抱えて寝るくらいだ。


 リッカの方がよほど武具に関してはマニアになるだろう。


「なんで職人やってんだ?」

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