第4話 魔界の洗礼

「んっ……く、うう……っ」

「リッカ! お前、もう限界だろ! もういい、おれを守らなくていいから――」

「うるさいからちょっと黙ってて」


 その時だ、ドラゴンが一度飛び上がり、落下の勢いをつけて再び岩を踏みつける。


 ドゴッッ!! という衝撃音。

 さらなる追撃に、リッカの両手が地面に突き刺さる。


 リッカが、おれに覆い被さってくる……。

 鼻先が触れる距離。彼女と目が合った。


「えへへ……これだけ近いと、なんだか照れるね」


 こんな状況で、リッカは笑っていた。

 ……それどころじゃない、だろ。


 リッカが岩を支えてくれていなければ、

 おれはとっくのとうに岩と地面に挟まれて、ぺしゃんこされていた。


 ……リッカがいなければ、

 おれは随分前から色々なタイミングでいつ死んでいてもおかしくなかったのだ。


 リッカがいるから。

 今ここに、おれがいられる。


 分かってはいる。


 いる、けど……!


 足手まといだって、理解してる。

 それでも!!



「守られるだけの男になんか、成り下がりたくないっっ」



 リッカの懐からするりと抜けて、岩から遠ざかる。

 逆光の範囲から抜け、巨大なシルエットに本来の色が戻る。


 赤いドラゴンだ。

 よし、ここからおれに注意を引きつけて……、


 瞬間、ぴり、と全身に電流が走ったような感覚。


「――なん、だ……?」


 すると、突然急ブレーキを踏むように、足が止まった。

 止まろうと思ったわけでもないのに、勝手に足が固まったのだ。


 ドラゴンを見る。

 首元を舌なめずりされたような悪寒が全身に走る。


「…………っっ」


 ドラゴンの視線がおれを捉えた。

 産毛が総毛立つ。


 全身の血流が一気に流れていく感覚。

 ……鼓動の音がうるさい。


 視界を占めていく音に、意識が持っていかれそうになる。

 ふらつく体を、強く踏み込んだ足でその場に押し止め、ドラゴンを見返す。


 と、


 既に、ドラゴンの姿がそこになかった。



「え?」



『マサト!!』



 上下に開いたドラゴンの顎。

 牙の切っ先がおれの上半身に狙いを定め――、


 一気に、噛み砕こうと顎が収束する。



 ガギィギィッギィッッ!! 


 と、金属が擦れる音が耳をつんざく。



 上下の牙に亀裂が走り、ぼろぼろと崩れ落ちる。

 その鎧には、一切の傷がなかった。

 牙と牙の間には、ごつごつ鎧を身に纏う、リッカの姿があった。


「だから言ったのに」


 響く鈍い音と共に、ドラゴンの喉奥から胃液が流れてくる。

 リッカと一緒に、悪臭を放つ液体を頭の上から被った。


「うえ……わたしたちがまだいるのに……」


 恐らく、ミーナがドラゴンの腹を攻撃したのだろう。

 だがそのおかげで、ドラゴンが力をなくして伏せたのだ。


 べたべたする体には、ドラゴンが捕食したのだろう、砕けた骨がついてあった。

 それを手で落とすと、地面に転がる中には人骨も当然ある。


 欠けた頭部が、周囲にごろごろと転がっていた。


「けほっ、けほっ……あなたたち……無事……?」


 いくつも重なった瓦礫の下から這い出てきたのは、赤いドレスを身に纏った女性だった。

 総指揮を取っていた男の仲間……だったはず。


 見れば、瓦礫と一緒に落ちてきたのは彼女だけではなく、食糧チームとして分けられていた収集者ばかりだ。……しかも、ほとんどが女性。


 男もいないわけではないが、圧倒的に女性が多かった。

 ……まだ新しい人骨。


 そして、彼女の仲間であり、二時間の航路で早々に酔っていた男の姿が、ない。

 まだそうと決めつける段階ではないが、それでも……。


「被害は?」


 ゴウが赤いドレスの女性に訊ねる。


「見ての通りよ。男性陣は過半数がコイツにやられた。

 守れなかったわけでもないけど、命よりも持ち帰る食糧を優先したわ。

 一応、食糧に関してノルマは達成よ。このドラゴンの肉も鱗も回収すれば、お釣りがくるくらいじゃないかしらね。

 鉱石の方はどう?」


 ゴウとドレスの女性が話し合っている間、おれたちは被った胃液を拭う。

 悪臭はしばらく取れないが、仕方がない。


「あなた、無謀なことするのね。驚いたわよ。そして、珍しいタイプね」


 シアナが鼻をつまみながら近づいてくる。


「まさか、ドラゴンに勝てると思ってたの?」

「……不可能じゃ、ないだろ」


「それはそうだけど。ふうん、口先だけかと思ってたけど、案外ずぶずぶなのね」

「……バカにしてるのか?」


「してないよ。

 女は戦うべきじゃないって意見が本気なんだって分かって安心しただけ。

 ただ好感度を上げたいだけのヤツじゃないんだなって。

 まあ、頭がおかしいとは思ってるけどね」


 ……こいつ、やっぱりバカにしてないか?


 鼻をつまみながらだから、鼻声なので絶妙にムカつく声だ。


「今こうしてマサトが生きているのと、そこで転がってる人骨の違いって、リッカが向けてる気持ちだよね?」


 転がる人骨の男たちは、女性に見捨てられ、ドラゴンに捕食された。

 比べておれは、寸前でリッカに助けられたからこそ、こうして生きている。


 リッカがいてくれたから、おれは今日もまた、何度目か分からない死を回避している。


 何度も落ちかけている、綱渡りの毎日だ。


「大事にしてあげないとね、リッカのこと」

「……分かってるよ」


「じゃないと、いつ見捨てられるか、分からないものね」

「…………」


 別におれは、見捨てられたくないから、リッカに肩入れしているわけじゃない。

 こういう時に助けてほしいから、ご機嫌を取っているわけじゃないんだ。


「リッカは戦場に立つべきじゃない」

「じゃあ、マサトは?」


 リッカがいないなら、おれはじゃあ……なんのために戦場に立つ?


「ほら、マサトだって、ここが似合うわけではないよね」




「そんな人が戦場で女の子を守りたいって言って、守れるわけがないよ」


「ま、おとなしく家で待ってた方がいいよ。その方が、リッカも安心だと思うけど?」




 ……言い返せなかった。

 シアナの言い分は至極真っ当で正しいからだ。


 家で待っていた方が安全なのは、百も承知だ。

 それでもおれのわがままで、こうして一緒に、魔界にきている。


 それは……リッカのことが、心配だからだ。


 絶対に帰ってくるから。


 ……そんな言葉は、信じられない。


 ただじっと待っているなんて、おれにはできない。

 失いたくない人がいるなら、自分の手で守ればいい。


 それが一番、確実だと思ったから――。




 元より、


 そこに自分の危険なんか、勘定に入れていないのだから。

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