第34話 待ち望んだ言葉

 僕たちの言葉が重なり、

「くす」「ふっ」と、二人して噴き出した。


「そっか……そうだよね、みんな、互いに失いたくないのは当たり前、みたいだね……」

「はい。だから……こんなものをさらんさんに使ってほしくないです」


 彼女が握り締めていたのは試験管に入った数滴の液体だ。

 僕が持つものと同じ……マナの葉から抽出した液体……マナそのものだ。


「私がなにをするのか、知っていたのかい……?」

「想像できますよ」


 さらんさんの指を優しく開き、試験管を抜き取る。一切、抵抗されなかった。


「取り込み過ぎれば毒になる、でしたよね? 

 じゃあもう、マナ切れを起こしたさらんさんにとっては毒になるはずです。

 さらんさんなら、始祖返りをしてもニンフですから、見た目に大きな変化はないどころか、僕は少し見たい気もしますけど……。

 毒に犯されたさらんさんを見たくはありませんから――これはこうします」


 僕の右手で握り締める。試験管がばらばらに割れ、液体が零れ落ちていく。


「君のわがままは、分かったよ……でも、じゃあどうするって言うんだい……? 

 マナを取り込んでいない今の私たちじゃ、あの亜人たちに勝てるわけが……っ」


「それは僕がなんとかします」


 僕が持つもう一つの試験管を見て、さらんさんの表情が強張った。


「バカだ、君は! そんなの私が許すはずもないだろう!? 

 その量は……ッ、君も分かっているはずだ、取り込み過ぎれば毒になると! 

 その量は、間違いなく毒になる!!」


「分かってます。だから覚悟の上で、僕は始祖返りをします」

「だったら、私だって……」


「さらんさんのマナの原液は、もうないのに? 

 それとも僕のこれを二人で仲良く分けて飲みますか?」


 間接キスになりますけどねと冗談めかして言ったら、さらんさんが頬を赤くしながら、


「そ、それは困るね……」


 ……ここまで露骨に反応するとは思わなかった。

 いや、たぶん少し前のさらんさんなら

「そうだね、分けて飲もうか」と提案するくらいにはなんとも思わなかっただろう。


 ……僕が、さらんさんのことを女の子として見ていると言ったから、意識してくれているのかもしれない。


 さらんさんの中で、僕はそういう枠にも入れるらしい。

 これ以上に嬉しいことはない。


「僕が始祖返りをして、亜人たちを制圧してきます――その後に」

「そ、その後に……かい?」


 もじもじし出すさらんさんは……うん? なにか勘違いしてるのかな?


 期待に応えられないのが申し訳ないけど……でも、期待はしてくれているのか。

 全部が終わった後に、ちゃんと言おう。


 そのためにも。

 さらんさんには、手伝ってもらいたいことがある。


「ここから先は全部を僕がやります、とは言いませんし、言えません。

 さすがに、始祖返りをした僕が出ていって亜人を制圧したところで、テレビの向こうの子供たちは納得なんてしてくれませんからね。

 だから、これまで積み上げてきたさらんさんの功績を利用させてもらいます。

 さらんさんにこそ、お願いしたいことなんです」


「私に……?」


「はい。ただ守られるだけのお姫様役では、がまんできないタイプですよね?」


「そうだね、自分でできることは自分で対処してしまう困ったお姫様だろうね」

「それはそれで可愛いですけど」


 そういうお姫様が可愛いのか、そもそもなにをしてもさらんさんだから可愛いのか。

 後者であることは言うまでもない。


「そ、それでだよ? 私は、なにをすればいいんだい?」


 ここで待っていてくれと言えば、

 さらんさんは反発し、無理やりにでも戦場に出てきていたはずだ。


 僕だけが戦うことを絶対に許可しない。

 でも、これこそを解決へ向けた一つのステップにしてしまえば、さらんさんは待機せざるを得なくなる。


 頭ごなしにああしろこうしろと言うのではなく、必要なことを必要なタイミングでしてほしいとお願いすれば、不満も減るはずだ。

 守られるお姫様は不満ゆえに勝手に動いて、敵に捕まり人質になったりするけど、作戦に組み込んでしまい、立ち位置を決めてあげれば、そんな事故も起こらない。


 守られるだけの立場には、もううんざりだ。

 僕が一番、そのつらさを分かっている。嫌なことを他人に強いたりはしない。


 結局、これは僕がさらんさんに求めていたことと同じなのだ。

 僕も、あなたの力の一つに加わりたかった――。


「まだ、納得はしていないよ?」

「…………」


「でも、君の気持ちを少し考えてみたら……確かに子供扱いをしていたと思ってね」


 それ、やっと自覚したの……?


「君も、男の子なんだって……分かったよ」

「頼りない女顔の僕ですからね、無理もないですよ」


 むすっとしていると、さらんさんが僕の頬を指で押す。


「拗ねないで。ごめんね……でも、今はすごく、頼れる男の子だよ」

「……さらんさんは……僕を、頼ってくれますか?」


「君が頼れと言ったのに? ここにきて、それを聞くのかい?」

「あなたの口から聞きたいです」


 誰にも頼れないさらんさんが、僕への同情ではなく自分の意思で頼りたいと思って頼ってくれているのか――、疑うわけではないけど、知りたかったのだ。


 僕は彼女の中で、頼れる男の子……いや、男、なのか、どうかを。


「君は頼れる男の子だよ」


「……僕は、さらんさんのどんな姿を見ても、幻滅なんてしませんよ。

 あなたは強がり過ぎなんです、こっちが心配するくらいに……だから、見せてください。

 八方美人でいるのもいいですけど、どこかで弱みを見せないと、パンクしますよ……だから」



「僕では、満足できませんか? 信頼できませんか? 

 頼れる男の子なんて言い方は気を遣ったようにしか聞こえません。

 あなたの、さらんさんの本音を言ってください!」



「気、なんて遣っていないさ、本当に君は、頼れる――」


 怒られる覚悟で、彼女を抱きしめた。

 互いの体温を感じ合うように密着する。


 相手の心音が聞こえるように、僕の心音もきっと伝わっている。


「言葉だけ取り繕っても、表情までは、強がれていませんよ」


 声だけならこれこそがさらんさんの本音なのだと勘違いしただろう。

 だけど正面から見てしまえば、ちぐはぐ感は明白だ。

 今にも泣き出しそうな彼女の言葉を信じて、引き下がれるわけがなかった。


 こんなの、泣きじゃくる迷子の子供をそのまま見て見ぬ振りをするようなものだ。


「さらんさん、僕は、ずっとあなたの傍にいます。なにがあっても、必ずです。

 これはあなたに救われた恩があるからじゃないですよ? きっかけはそうかもしれませんけど、でも、一緒に過ごして、あなたに恋をして、強く抱いた感情ですから。

 僕はさらんさんを、守りたい――」


 狭い世界に閉じ込められて正義を強要されたあなたを、


「助けたいんです」



 もしもこれが迷惑なのだと言われたら、おとなしく引くしかない。

 さらんさんに信頼されなかった僕が悪い。僕の、努力不足なのだから。


 覚悟は見せた。

 気持ちも伝えた。


 聞くことも聞いた。


 あとは、彼女の言葉を待つだけだ――。

 ぎゅっと、さらんさんの方から、僕の体を抱きしめた。



「……助けて、ほしい……っ」



 ――その言葉を、どれだけ待っていたか。

 その言葉さえあれば、僕はどこまででも、登っていける。


 はっ、としたさらんさんが取り繕うように、慌てて前言撤回を申し立てる。


「い、今のは……ッ、気を抜いて思わず……っっ!?」

「ふっ――」


「い、今っ、笑ったね!?」

「そりゃ笑いますよ……だって、すっごく素でしたから」


 考えに考え抜いた言葉よりも、

 咄嗟に出てきたその言葉が、なによりも信じられる。



「助けます」


「絶対に、僕たちの日常へ、一緒に帰りましょう」

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