第32話 強さ/弱さ

 戦場のど真ん中。

 言われた通りに、車が向いている方向を真っ直ぐに指差す。


「このまま進めば、いると思いますけど……」

「分かったわ!」


 再び車に乗り込んでアクセルを踏もうとするマネージャーさんだったけど、もちろん、警察官が素直に通すはずもなかった。


「なにをするつもりですか!! この先で魔法少女と亜人が戦っているんです、戦車でもなければこんな車、破壊されてあなたの身だって危ないんですよ!?」


「構わないわ。私よりも今は、さらんの方が心配なのよっっ!!」


 警察官の制止の声を無視し、車が発進した。

 咄嗟に横に避けた警察官はさすがの身のこなしだった。


 彼はすぐに無線で連絡。すると、マネージャーさんの車のタイヤが狙撃されて破裂する。

 制御が利かなくなり、蛇行する車がガードレールに突っ込み、乗り上げた車体が横転する。


 逆さまになった車体のタイヤが、くるくると回っていた。


 フレームが歪み、割れた窓ガラス。

 その窓枠から這い出てくるマネージャーさんは、

 足を引きずりながらも尚、進行方向に歩いていく。


「ッ!」


 ビルの屋上からマネージャーさんを狙う狙撃手の姿が見えた。

 睡眠薬を撃ち込み、マネージャーさんの足を止めるつもりなのだ……、


 確かに今の彼女に口で言っても聞かないだろう。

 なにがなんでも現場に向かうはず。


 彼女の安全を考えるなら、後で恨まれてもいいから眠らせておくのが最善だ……、


 判断は正しい。


 でも。


 なにがなんでも現場へ向かおうとするマネージャーさんは、どうして……?


 理由が必ずある。

 だから――銃声よりも早く、僕の体が動いていた。


 一瞬の差だった。銃声と同時、マネージャーさんを押し倒す。


 間に、合った……?


 二発目を避けるために彼女を抱きしめたまま転がり、ビルの真下へ。

 灯台下暗しだ。


 体の半分以上を乗り出さなければ、真上にいる狙撃手は僕たちを狙えない。


 違うビルからなら角度的に狙われる可能性もあるけど、ひとまずは避難成功だ。

 僕に眠気はない……マネージャーさんも意識が朦朧としている様子もない。


 狙撃は無事に避けられたようだった。


「早く、あの子のところにいかないと……ッ」


 僕を押しのけ、マネージャーさんが立ち上がった。


「待ってくださいっ!」


 マネージャーさんの手を掴んで引き止める。

 睨まれて、咄嗟に手を離しそうになったけどなんとか堪えて、緩みそうになった手に、さらに力を込めた。


「さらんさんは、みんなを守ろうとしているんです……僕たちみたいな特別な力を持たない人間は役に立ちません。

 今いっても、さらんさんの邪魔をすることになります……っ」


 さらんさんが心配なのは分かるけど、僕たちが思っているよりも彼女は強い。

 種族ニンフでありながら、戦闘に特化したアマゾンや巨体を持つミノタウロスに退きもせず、知恵を駆使し、策を練って、勝利を掴んでいる。


 戦いにおいて、僕たちの出る幕はない――。


「さらんさんは、何年も最前線で戦ってきた人です……たとえ亜人たちの犯罪が本格化していても、あの人なら勝ってくれます――だから信じて、待ちましょう!」


 僕の言葉は届いたようだった。

 しかし返ってきたのは、嫌悪と憤怒を含めた、強い舌打ちだった。


「あなたみたいなのがいるから、さらんを追い詰めるのよ……ッッ」


 追い、詰め……て?

 僕たち、が?



「何年も最前線で戦ってきた? 知ってるわよ。

 あの子なら勝ってくれる? そりゃそうでしょうよ、あなたたちが『勝ってほしい』という期待を向けるから、あの子は無理をしてでも、その期待に応え続けてきた。

 いつしかそれが当たり前になって、あの子は絶対に失敗をしない――

 そんな魔法少女だと認識された。


 何百回と繰り返した成功を褒められることはなくなっても、

 たった一回の失敗は執拗に責められ続ける……ッ」



「さらんさんが、失敗を……?」


「しないとでも思っているの? 天才だとか完璧だとか、好き勝手に理想を押しつけて。

 あの子だって一人のデミチャイルドであり、女の子なのよ……?」


 さらんさんは自分の弱さを決して誰にも見せなかった。

 見せなかったのだから、弱さが『ない』――わけではない。


「あの子は全部を背負ってる。

 まさきやきらな、君みたいな弟子だけじゃない。支部を越えた他の魔法少女や怪人の後輩を含めて……魔法少女を信じてくれている小さな子供から頼りにしてくれている老人まで、本当に全部の想いを背負ってる。

 一人の女の子が背負い切れる重さじゃないことを百も承知で、あの子は覚悟を決めて抱え込んでいるのよ――」



「――本当は逃げたいけど、逃げられない」


「――頼れる大人に助けを求めたいけど求められない」


「それはどうして? 君たちから期待されているから――」


「頼りにされているから、あの子は弱音を吐くことができないのよッッ!!」



 ――それはきっと、マネージャーさんにも。

 もしもマネージャーさんにだけでも吐くことができていれば、どれだけ楽だろうか。


「あの子は私にさえ、本音を言わずに強がってる。

 期待通りでなければ私に捨てられるとでも思っているのかしらね……そういう生い立ちだから仕方ないのかもしれないけど」


「さらんさんは……今この瞬間にも逃げ出したいって、思ってるんですか……?」


「本当のところは分からないわ。

 もしかしたら、私の勝手な思い込みで、今が一番、あの子にとってはやりがいがあるのかもしれない……でもね、普通に考えて……よ? 

 誰一人として頼ってもいい存在がいなくて、自分だけがデミチャイルドとして、魔法少女として見本とされているこの状況で、

 周りから完璧だと思われてるあの子が、自分の不完全な部分を簡単に見せられると思う?」


 見せられない。

 もしも誰かが「気にしなくていい」と言っても、誰よりもさらんさん本人が気にするだろう。

 あの人こそ、自分に掲げているハードルが高いのだ。


 完璧でも不十分だ、と言わんばかりに。

 現状維持は認めず、進化を求め続ける。


 自分で自分の首を絞めていることに――彼女なら気付いていそうだけど。


 だとしても、止まらなかったのだろう。

 止められなかった。


 進化し続けている以上、停滞できない。


 一度でも立ち止まれば、自身の評価が下がると思い込んで。

 魔法少女の人気だけじゃない、高原さらんという存在の否定に繋がると信じている。


 悩まずに前進し続けることは塞ぎ込んでしまうよりはいいかもしれないけど……さらんさんの場合はもう脅迫に近い。

 被害妄想が肥大化し喉元に常に切っ先があるような……。


 さらんさんはもう何年も……十何年も、か。

 頑張り続けていた。


 もうこれが通常運転と言えるほどに。

 でも、


「……慣れているからと言って、疲弊しないとは限らないよね……?」


「そうね。平気な顔をしてるからって、傷ついていないとは限らない。

 あの子は元々、感情を表に出すタイプではないから。

 それも人の顔を窺って平坦で落ち着いた性格になったのかもしれないけどね……」


 大人っぽくて頼りになるさらんさんの落ち着いた雰囲気は、長年の積み重ねによって作り上げられた、人から見られた時に評価されやすい仮面なのだとしたら。


 本当のさらんさんは、その仮面の下でどんな表情をしているのだろう――。



 泣きじゃくる小さなさらんさんが、手を伸ばしてくる。


 僕はその手を、強く、強く――掴みたかった。


 ふと、そんな光景を幻視した。



「……僕たちがここにいれば、きっと、亜人をこの区画で一網打尽にする作戦はこのまま問題なく収束すると思います……。

 僕たちがさらんさんの元にいくことで順調だった作戦が歪むかもしれません――それでも、僕はこの先へ、いってもいいんでしょうか……?」


 僕の気持ちだけの問題じゃない。

 マネージャーさんも絡んでいる作戦のはずだ。


「確かに、問題が起こるかもしれないわ……でも、あの子の殻をこじ開けるには、今しかないかもしれない――。

 その上で、君はどうしたいの?」


 どうしたいのかと聞かれれば、優先するのはこの衝動だ。

 僕は人間よりも、世界よりも、たった一人の……、さらんさんを助けたい。


 弟子として師匠に、

 あの人に、認められたい。


 ……いや、もっと素直に言おう。


 僕は、


 好きな人に、頼られたいだけなんだ――。



「マネージャーさん」

「うん?」


「命令違反には目を瞑ってくれませんか?」


「事務所として、上司としては頷けないわね。

 ちゃんと処罰は受けてもらうわよ? 

 少しくらいは私も軽くなるように上に掛け合ってはみるけどね……ただ」


 マネージャーさんが僕の背を押した。


「あの子のお姉さんを務めてきた新山さとみとしては、君を認める。

 少なくとも、あの子に近づく悪い虫だとは思わないわよ」


「……今までは思ってたみたいな言い方ですけど」


「さらんに惚れたませガキって印象だったことはそうね――でも今の君は、間違いなく男よ。

 私から見ても、もう少し年齢差がなければ手を出していたかも」


「…………」


「冗談よ」


 男と言われたことに、嬉しさが込み上げてくる。

 だけどまだ、まだ顔には出さないように――。


「あの子を、任せてもいい?」


「――はい」


「君が考えていることはなんとなく分かるけど……、

 だからこそ、もう君は元の生活には戻れない。もちろん人間としても、それ以上に、もしかしたら私たちと毎日顔を合わせることもできなくなるかもしれない――。

 それでも、君はあの子の手を引いてくれる?」


 試されている、とは思わない。

 マネージャーさんも、僕がなんて答えるか分かった上で質問している。


 もちろん、


 答えは、

 変わらない。


 僕の握られた拳の中に眠るのは――、


 たった数滴の、劇薬だった。

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