第27話 疑惑/スパイ

「始祖返りをしない……したくない? それは、嫌悪感からくるものだったりしてな?」


 冗談めかして言っているが、視線を僕からはずさない。

 僕の返答だけじゃない、挙動、動揺を見ている。


 口の端から指先まで、細かい部分から僕の内心を探ろうとしている……。

 身構えたら、誤魔化そうとすれば、それはそれで情報として相手に伝わる。


 だからと言って黙ったままというのも、まだ人間側のままだと判断されてしまう。

 僕が亜人側に本気でつくのであれば、困らなかった状況。


 こうして切羽詰まっているからこそ、僕がスパイである証拠であるけど……。


「僕は……右手だけが、始祖返りしているんです……、

 他にも僕みたいな中途半端な仲間はいるんですか?」


「いや、知る限りではいない……な。マナの葉の量によってはそういうケースもある。

 でも、大体はマナの葉を追加で取り込んで全身を始祖返りさせるものだしな」


「つまり、僕の姿はスタンダードではない……ですよね?」


 彼は僕の言葉を聞いて、結論を保留させている。

 ……このまま押し切れるか?


「僕の右手ですけど、包帯を巻いてアームホルダーで首から吊り下げれば、骨折したように見えるんですよ。

 たとえ健康体でも本人が言い張ればそう見えるんですから、右手が始祖返りした僕が言っても、効果は期待できると思います」


 右手は亜人であるが、それ以外は人間の姿なのだ。


「そんなこと見れば分かる」


 ミラー越しに、ミノタウロスが僕を見る。

 首が固定されてしまっているので彼は振り向けないみたいだ。


「見れば分かる。そうですね。右手を隠せば僕は人間ですし、右手だけを見せれば僕は亜人だと認識されます。自撮りをすれば顕著ですよね。

 隠したい部分と見せたい部分をこっちで操作できますから。

 まあ写真の場合は加工ができるので、ないものをあるように、あるものをないように見せることができるので優秀さでは負けますけど……」


「つまり、なにが言いたい?」


「亜人側にも一人くらい、人間のままの仲間がいても使い道があると思いますよ。

 たとえばさっき言ったように骨折した振りをすれば、僕は人間社会に溶け込めます。

 武力も必要ですけど、それに匹敵するくらい、情報も重要だと僕は考えています」


 ヴァナラは相変わらず僕を見ている。

 しかし、僕の真偽よりも、今は僕の提案が有用かどうかに視点が移っている。

 その時点で僕への疑念は払拭されたと見てもいいだろう。


「僕だけじゃなく、数人、数十人、そういう人材がいても損はないはずです」

「スパイ……ってことか」


 はい、と亜人側に潜入している僕が頷く。


「だから、僕は始祖返りをしていながら人間のようにも振る舞える、このアドバンテージを崩したくはない……もちろん、死にたくはないですから、いざという時になればマナの葉を吸って始祖返りすることを躊躇ったりはしませんよ」


「…………」


 ヴァナラから返答がない。

 ……スパイという案を出したことで、疑いが元に戻った?


 確かに、相手にスパイを送り込む案が出れば、逆に自分たちもされているかもしれないと考える可能性もなくはない。

 亜人でありながら人間のように振る舞える僕は、逆に、人間でありながら亜人のように振る舞えるとも言える。


 苦し紛れにすり寄った口八丁は諸刃の剣。

 返す刃は自分が振るった剣の鋭さだ。


 ……どうだ? 


 もしも「お前がスパイだ」と指摘されたら、僕は否定だけしかできない。


 スパイではない根拠が示せない。


 最悪、始祖返りをすれば信頼は勝ち取れるだろうが……だったら最初からやっている。

 僕は亜人側に、スパイという発想を与えてしまっただけだ。


 今後、僕ではない誰かが政府の中に潜入してしまうかもしれない――僕のミスだ。

 だから、始祖返りだけはなんとか防ぎ、僕の立ち位置を亜人側で定着させる。


 そのためにも……、

 僕はこれ以上、喋らない方がいい。


 言うべきことは言ったのだ、後は彼らが判断するだろう。

 ここで口を出し過ぎるとぼろが出る。


 必要以上の情報は、不信感しか生み出さない。

 ……じっと、黙って待つ。


 この行動も疑惑の判断材料にされているとなるともう為す術もないが、仕方ない。

 緊張は、ある意味、僕の素だ。


 平静を保とうとするよりかは、今この場では緊張している方が自然だ。

 ……と、思うけど。


「…………」


 時間が長く感じる。

 ギロチンが徐々に吊り上げられていく感覚。


 僕の首は、彼ら次第なのだ。

 果たして――、


「ふっ、お前、面白いこと思いつくなあっ」


 空気が弛緩しかんした。

 ヴァナラの手が、僕の頭を乱暴だが、敵意なく撫でてくる。


 認められた……?


「スパイね……向こうの情報が筒抜けなら、逃げることも襲撃することもできる。

 こりゃあ俺らだけで抱え込んで、別部隊を出し抜く策にしといた方が良さそうだよなあ」


「……共有しておいた方がいいだろ」


 ミノタウロスが提案するが、ヴァナラが否定する。


「俺たちが先に結果を出しちまえば、一目置かれる存在になれるだろっ。

 そうしたら亜人が支配する先の世界で、立場が良くなるんだ、普通に考えてよ!」


 別部隊、出し抜く……やっぱり、亜人軍団は統率が取れているわけではないみたいだ。


 政府と違って、命令系統一本で末端まで支配できるわけではない。


 そもそもトップが明確でないのだから、亜人たちは誰を立てればいいのか分かっていない。

 復讐と野望が受け継がれ、発端が薄まってしまったゆえにあらゆる亜人の個人的な感情が入り交じり、目的が分岐しているのだろう……人間への復讐、現状の人間と亜人の立場をひっくり返し、社会を乗っ取るという目的こそあれど、やり方はまとまりがない。


 出し抜く、と言っていることから、亜人同士のいざこざもありそうだ。


「そんなことよりも、あの子の回収にいこう。

 もう随分と時間が経ってる。

 待ち合わせ場所に長々と待たせて、知らない間に政府に捕まっていたら寝覚めが悪い」


「あいつを警察が捕まえられると思うかよ? 戦闘に特化したアマゾンだぞ?」


 …………それって――。


「あの、その子ってのは……」


 その時、

 こんこん、と窓ガラスが叩かれ、振り向く。


 そこに立っていたのは……噂をすれば、だ。


 運転席からの操作なのか、窓ガラスが自動で開いた。


「……ねえ、遅いんですけどおー」


 顔を乗り出し、頬が触れ合いそうな距離でも、彼女の視線は運転席に向いている。


「悪い悪い、こっちもこっちで忙しかったんだ……嘘じゃないからな?」

「念を押すところが怪しい……まあ、いいけどねー」


 扉がスライドして開き、

 僕の肩を「奥へいって」と手で押してくる。


 ……南国帰りのような色黒の肌をしているけど、きらなだ。

 アホ毛ツインテールが特徴的な、年下の女の子。


 彼女が車に乗り込み、扉が閉まる。

 それを合図にして、車が動き出した。



 フードを被っているせいなのか、僕に気付いていない……わけではなさそうだ。

 さっきからちらちらと、僕を窺っている。


 ……僕と知り合いであることを、ばらしたりはしない……?


 きらなのことだ、僕が本当に亜人側についたと考えているわけではないだろう。

 第一にスパイだと疑うはず。


 きらなが『本当に』亜人側についているのであれば、僕を見た瞬間に吊るし上げるはず……だけど、前にいる二人の亜人に告発する気配がない。


 じゃあ、きらなも……?


 彼女も彼女で、亜人側に潜入しているのだとしたら……。


 ……目的がある。


 なんだろう……? 僕たちの元の人間関係を匂わせず、会話で探るしかない。

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