第8話 デビュー戦/パニック

「なにか問題があったのかもね」


 森下先輩がスマホで連絡を取ろうとしていると……ん?

 リザードマンに近づく、小柄な少女がいた。


 逃げ遅れた女の子が興味本位で近づいている、わけではないだろう。


 さらんさんとは真逆とも言える、ゆるふわ系の子供っぽいオレンジ色の衣装は、魔法少女に間違いない。……ということは、あの子も魔法少女……?


 アホ毛ツインテールが特徴の、肩まで伸ばした黒髪。

 にひひ、と声が聞こえてきそうな表情を浮かべる少女は、人を小馬鹿にしているように見えなくもない。


「わたしのデビュー戦ですからねえ、華々しく散ってくれますかー、せ・ん・ぱ・い」


 リザードマンが目を細めた。

 頬を指で掻いて、溜息を吐く……ように見えた。


「――了解」


 短く答えたリザードマンが動く。


「え?」


 頭を鷲掴みにされた魔法少女の小柄な体が、リザードマンの腕力で投げ飛ばされる。


 方向は、駅。

 そう、僕たち目がけて、小柄とは言え、人一人の体が飛んできたのだ。


『はぁあ!?』


「うそうそうそ!? ぜんっぜん止まらないんですけど!?」


 空中で両手をばたばたと羽ばたかせる魔法少女が、放物線ではなく一直線に僕たちの元へ突っ込んできた。


 このまま勢いが止まらなければ階段を転がり落ちることになる。

 いくら魔法少女とは言っても、頭など、打ち所によっては致命傷でなくとも後遺症になる可能性もある。


「危ないっ!」


 咄嗟に受け止めようとしたけど、左手しか前に出せなくて戸惑う。

 ……あ、そっか。右手はアームホルダーで固定していて……、


 瞬間、


 視界が大きくぶれ、気付いたら左腕で魔法少女を抱えて階段を転がり落ちていた。


 見えるのは天井だ。すぐ近くには多くの人の気配。

 今は悲鳴ではなく、転がり落ちてきた僕たちに向けた戸惑いの方が大きいのだろう。


 片や魔法少女。彼女が現れても安堵できないのはこの魔法少女の信頼が足りないからだろうか……そう言えば、デビュー戦って言ってたっけ? なら当然だ。


「っっ!」


 背中に痛みが走る。どうにも、自力では起き上がれそうになかった。


「いったたた……あ! 大丈夫ですか!? う、腕が骨折してるっっ!?」


 わたしのせいで!? とパニックになっているみたいだけど、今ので骨折していたなら僕はいつアームホルダーを付けたんだって話になる。

 だいぶ焦ってるみたいだけど、ゆっくり落ち着いてとも言えない。


 魔法少女の背後……ぺたぺたと階段を下りてくる怪人の姿が見えたからだ。


 止んだばかりの悲鳴が再び地下に木霊する。

 人の塊が一斉に動いたことで駅全体が揺れたような気がした。


 見ると、床に倒れた人が数人どころではなくたくさんいて、その人たちは起き上がれずにその場でうずくまってしまっている。


 転んで波に乗れなかった人は多くの逃げる人に下敷きにされたのだろう。


「……酷い……っ」


 自分だけ助かればいいと思っているから、簡単に見捨てられる。

 倒れている人が目に入らないくらい、気が動転していたのかもしれないが……。


「おーおー、一網打尽ってのはこのことか」


 通勤ラッシュ二日分くらいの人口密度と言ってもいいかもしれない。


「このまま追ってもいいが、それよりも――」


 手足で天井に張り付いたリザードマンが密集する人たちの真ん中へ飛び降りた。

 すると、蜘蛛の子を散らすように人々が避け、生まれた丸い空間がリザードマンを引き立てている。まるでスポットライトでも当たっているかのようだ。


「それ、言い得て妙ね」


 と、遅れて階段を下りてきた森下先輩が言った。


「あ、まさき先生」

「やっぱりきらなだ。なんであんたが参加してるのよ」


「大筋に影響がないように新山さんが参加させてくれたんですよう」


「そうなの。あんたの身勝手な行動じゃなければいいけど。

 ……で、いつまでそいつに馬乗りしてるわけ?」


 先輩に言われて気付き、オレンジ色の魔法少女が僕の上から慌ててどいた。


「ごめんなさいっ! でもその、腕が、折れて……ッ」

「これは違うから大丈夫。ただその……起き上がろうとすると背中が痛くて……」

「わたしが手伝います!」


 左腕を少女の肩に回し、支えてもらう。

 痛みを最小限にし、立ち上がることができた。


「あのリザードマンは……?」


 森下先輩が指差す。

 視線を向けると、リザードマンが今まさに、人間に襲いかかろうとしていた瞬間だった。


 森下先輩もオレンジ色の魔法少女も動かない。……分かっているからだ。


 人々を救うために、魔法少女が登場することを。


 リザードマンが振り上げた腕に、真っ白いロープが絡みついた。


「……なんだ?」

「仕掛けは終わったからね、あとは捕獲するのみだよ」


 その白いロープの先を握っているのは、長い銀髪を結い、ポニーテールにしている、白く神々しい、魔法少女の姿だった。


 人混みの中からすり抜けるように真ん中の空間に出る。

 怪人の登場にパニックに陥っていた人々が息をするのも忘れ、彼女に見惚れていた。


 僕もその内の一人だ。

 あの髪型が魔法少女として活動する彼女のスタンダードなのだと分かっていても、実際に目の前で見ると普段と違う印象で感想がまとまらない。


 綺麗だとか可愛いだとか似合ってるだとか、そんな言葉でいいのかと思う。


「綺麗ですねえ」


 と、隣で魔法少女が呟いた。


「当たり前でしょ、先輩は魔法少女の中でもトップの人気を誇るんだからっ!」


 つまり知名度は魔法少女の中でも一位。

 さらんさんを見た人々が水を得た魚のように、今度はリザードマンを追い詰めるように、生まれた円の空間を狭めていく。


「怪人を逃がすなっ、さらん様のために!」

『おお!』


 大学生くらいの熱狂的なファンが、周りを巻き込んでボルテージを上げている。


「様づけはやめてほしいけどね……でも、ありがとう。君たちの友好に感謝するよ」


「チッ、魔法少女が、邪魔をしてくれやがって――」


 一本のロープに抵抗する怪人だったが、

 気付けば両足、もう片腕にもロープが巻き付いていた。


 さらんさんが片方の腕で別のロープをぐっと引っ張ると……繋がっているロープが連動して動き、リザードマンの両手両足をぎゅっと縛った。


「なに!?」


 大の字で宙に浮くリザードマンは身動きが取れない。

 これでは彼の武器である弓矢も機能しないだろう。


 それでも諦めずに爪でロープを切ろうとする怪人に、さらんさんがさらにロープを引っ張って手首をさらに強く絞める。


「ぐ、くっ……こ、の、魔法、少女、が……ぁ!」


 威嚇するリザードマンを相手にしても、さらんさんは態度を変えなかった。


「残念だったね、君の負けだよ」

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