第2話 魔法少女/高架下

 あれからなにも変化がないから夢だと思っていたが、朝起きたら右腕が亜人のそれになっていた。僕はデミチャイルドだった……? 

 いやいや、デミチャイルドは産まれた時から認識され、その後、政府によって管理される。

 ばあちゃんは僕が亜人の血を引いているだなんて一言も言っていなかったし、政府が見落とすとも思えない。

 

 健康診断を何度もしてきたのだ、

 成長していけば、亜人の血が混ざっていることだって分かるはずだ。


 僕はもう中学三年生だ、この年齢まで分からないなんてことがあるのか……?

 僕は亜人の血を引いていないと考えるべきだ。絶対にそうだ。


 あのチューリップは、デミチャイルドを亜人に変化させる効果がある……同時に、人間を亜人にすることもできるのではないか……?


 だからこそ僕の右手が亜人のそれに変わっていたなら、説明がつく。

 あのチューリップの説明はさすがにできないけど……。


「見た目はチューリップだったけど、違うなにかを嗅がされたんだろうな……」


 植物。スマホで検索して見つかるなら苦労はしない。あれは違法なものだろう。

 麻薬とか、覚醒剤とか、そういう類いのもの。


 じゃあ警察に……。ダメだ、ばあちゃんに心配をかける。

 それに、この右手を見てデミチャイルドだと誤解されたら最悪だ。

 あんな連中と一緒にされたくはない。


「現場に戻ってきたはいいけど、まあ、なにも残ってないよね……」


 不自然な凹みと亀裂は残っている。ワーウルフが着地した時についた傷だ。


「夢じゃない……」


 右手を見れば一目瞭然だけど、いざこうして地面の傷を見ると改めて実感する。

 僕は、大きな渦に、巻き込まれているんじゃないかと――



「君!」



 びくんっ、と肩が跳ねる。声に振り向くと、声の主は警察官だった。


「こんな時間にこんな場所でなにをしている。学校はどうしたんだ?」

「あ、えと、その……」

「その右腕は?」


 ぎくっ、と顔に出ていたらしく、警察官の両目がきゅっと細くなる。


「少し、話を聞かせてもらおうか」

「あの、ちょっ」


 腕を引っ張られ、交番まで連れていかれそうになる。

 幸い、握ってくれたのが左腕で助かったが、交番で事情聴取をされてこの巻き付いた制服を取られたら変化した右手がばれるだろう。


 そうなれば僕はデミチャイルドどころか体が変化した『亜人』として見られる。

 化け物を見るような瞳を向けられて――。


「違いますっ、僕は!!」


「伏せろ、同類」


 顔を下げると、真上をなにかが通り過ぎ、「ごぽ」という水っぽい音が聞こえた。


 僕の腕を握っていた警察官の力が弱くなり、するりと解かれる。

 膝から崩れ落ちた警察官が前のめりに倒れ、やがて血溜まりを広げていく。


 足下に流れてくる赤色を見て嫌悪感から跳ぶように後じさると、どん、と背中がなにかにぶつかった。


 振り向くと、ごわごわとした体毛に覆われた、灰色のワーウルフが立っていた。

 僕を覆うように立つ、二メートルを越えた巨体。


 彼の手が伸び、反射的に目を瞑るが……思っていた痛みはなく、右腕に巻いていた制服が力尽くで剥ぎ取られた。


「見ろ、これがお前の正体だ」


 慌てて、変化した右手を背に隠す。


「違う! これは……あのチューリップは、人間を亜人に変える力があるんだきっと!」


「そんな効果はねえさ。あれは『マナの葉』だ。

 亜人が自身の能力を引き出すために必要な『マナ』を生み出すことができる植物。

 マナを取り込んで反応するのは亜人の血を持つデミチャイルドだけだ……お前は正真正銘の、デミチャイルドなんだよっ!!」


「違う!! 僕はお前らなんかとは、違――」


 彼の手の平が僕の体を包み、地面に叩きつけた。


「がッッ!?」


「お前ら『なんか』だと……? 亜人と人間、なにが違う。

 見た目か? 力か? マナを取り込んだ姿は今みたいに別物だろうなあ。

 だがなあ、普段は身体能力が多少違うだけだろう。たったそれだけで……てめえら人間は、俺たちをなぜ差別する!? 人間がそんなに偉いのか? 

 数が多いから、てめえらが正しいのか!? ふざけるなァッッ!!」


 彼が立てた爪が、地面を抉っていく。

 このまま握り潰されてもおかしくない体勢のまま、彼の牙が僕の首を狙った。


 ワーウルフの荒々しい吐息が頬に何度も当たる。


「うう……っ」


「お前が俺たちをどれだけ忌避しようが、事実は揺るがねえ。その右手が証拠だ。

 お前はこっち側だ。いいや、少し違うか。亜人を敵に回し、人間に忌避されたお前はどっち側にもつけねえ浮いた存在だ。

 中立とは言えねえ爪弾き者。孤立した世界で見届けてくれや」


「……見届け、る……?」


「おっと、口を滑らせたか。だが、想像はつくだろ。

 こんな姿になって、人間に恨みを持っていて、このままなにもしないわけがねえだろう?」


「それって……」


「体制を変える。始祖のエルフさんが頑張ってくれてるらしいが、八十年かけてもこのざまだ、このままじゃ俺たちが死ぬまで改善される気がしねえよ。

 だったらもう、他人に頼るのはもうやめだ。元より不満があるなら当人が動くのが筋ってもんだろうよ。自分で動きもしねえで文句ばっかり言って改善してくれって注文はおかしな話だ。

 だったらリスクを負ってでも、俺たちは戦うぞ」


 ワーウルフの背後に、黒い影が並んでいるのが見える。

 そのシルエットから、人ではない者も混ざっているのだろう……。


 デミチャイルドよりも濃く、その血の本領を発揮した、亜人の姿で。


「後悔しろ人間ども。今度はてめえらが、俺らを見上げる番だ」



 その時、僕は見た。

 ワーウルフの背後から音もなく近づいてくる、腰まで伸びた銀髪を持つ女性――。


 真っ白な衣装を身に纏う、まるで女神が降りてきたかのような……そう思ってしまうほどの、見惚れる美貌だった。


 彼女がまぶたを上げる。長いまつげも銀色だった。

 高架下にもかかわらず、彼女だけ輝いて見えるのは、なぜなのだろう……?


「『マナの葉』『亜人軍団』……見つけては潰しても湧き出てくる君たちの総本山が、一体どこにあるのかを探るのは、どうやら無駄骨のようだね」


 気配もなく背後を取られたことに、ワーウルフが驚いた様子で振り向く。


「……てめえは」


「魔法少女。一応、広告塔じゃなくこうして君たちを捕まえるために実際に連携を取って動けるくらいの人材であるとは自負しているよ」

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