MATCH×POP‐マッチ×ポップ‐

渡貫とゐち

chapter/1 怪人化

第1話 デミチャイルド/変貌

 ……夢じゃない。

 夢っ、なんかっ、じゃっっ!?!?


「レイくん? そろそろ起きないと遅刻するんじゃないかい?」

「ばっ、ばあちゃん!? 大丈夫っ、まだ大丈夫だからあっっ!?」


 部屋のふすまが開き、咄嗟に布団の中に潜り込む。

 え、えへへ……、と引きつった笑みを見せる僕を見つめてくるばあちゃんは、なにかを察したように「ごめんねえ、ばあちゃん気が利かなくて……」と申し訳なさそうに襖を閉めた。


 ……どういう誤解をされたのかはさておき。


「どうしよう……」


 布団から出て、自分の右腕を見る。



 手首から上が黒く変色し、先まで鋭利に尖った五本の指。

 左手と比べて一回り大きくなった手は、

 油断すると布団や着ているパジャマを切り裂いてしまう。

 寝ている間に被害は甚大で、掛け布団をめくると無残に破れた形跡があった。


 ばあちゃんに見つかったら怒られはしないだろうけど……心配をかけてしまう。

 もちろん相談はできない……。


 どうしようじゃないよ……どうにかしないといけないっっ!


 でも、どうやって……?

 すると、再び襖が開いた。


「あ、レイくん、朝ご飯は――」

「だからぁ!? ばあちゃんノックしてよもぉ!!」



 その後、なんとかばあちゃんに右手のことがばれずに家を出ることに成功。

 学ランを脱ぎ、手を覆うことで周囲にもばれないように工作もできた。


 だけど、いつまでもこれで持つわけもない。

 当然、このまま学校へいったら隠した努力が水の泡になってすぐさま問題になる。


 ずっと手を隠しているわけにもいかないし……、

 そもそもこの手で学校にいくわけにもいかないだろう。


「……いくしかない、よね……」


 いや、学校ではなくて。

 この期に及んでサボるのがダメだとか言っている場合じゃない。


 この手を元に戻す手がかりがあるとすれば、一カ所だ。

 思い当たる場所がある。



「……ここ、のはずだけど」


 駅から少し離れたところにある、日中でも薄暗い高架下。

 真上を、電車が短い頻度で行き交っていた。


「僕はここで……なにかを嗅がされた……?」



 昨日の夜……夜の二十時頃だった。


 漫画の新刊を近くの本屋で買って家に戻ろうとここの高架下を通ろうとしたら、黒いフードを被り、白いマスクで口元を隠した男たち四人組とすれ違った。

 そういう風貌の人は珍しくない。じろじろ見なければ向こうも僕を気にしないだろうと思っていたが、中の一人が僕を指差したのだ。


「おい、み、見られたぞ!?」


 反射的に声がした方を向いてしまい……たぶんそれがよくなかった。

 気にせず無視して高架下を抜けていれば、なにもされなかったはず……というのはたらればだけど。反応してしまった僕は男たちが手に持っていた一輪の花を見てしまった。


 チューリップ? 怪しげな取引きに見えたけど、中身がただのチューリップなら……慌てる必要はないと言いかけたけど、それがただのチューリップなら、だ。


 ただのチューリップでなければ、彼らが焦るのも納得できる。

 でも、彼らが過剰反応しなければ、僕はそれがただのチューリップだとしか思わないわけで……時間帯、場所、風貌、物、全てが組み合わさると怪しく思えてしまう。


「し、始末しないと……っ」

「焦るな、ばかやろう。始末なんてしたらそれこそ足がつく。だから、試してみるか」


 一人の男が足を壁にかけ、もう片足を浮かせ、壁につける。


 そのまま壁を走り出した。


 重力をものともせず、あっという間に僕の背後まで回り込んでくる。


「…………その運動神経……っ、デミチャイルドかっ」

「その目……俺たちを見下すくそったれな人間どもの目だなあ、えぇおい」


 がるぐる、という唸り声と共に、耳にかかっていた白いマスクの糸が切れ、足下に落ちる。

 マスクを踏みつけた彼の足は、靴を破り、獣のそれに変わっていた。


 マスクの下にあった口が突き出て、顔が鋭利な体毛に覆われておき、瞳の色が変わる。

 暗闇で光る金色の瞳――。


「ひ、ひい!?」


 服を破裂させるほど膨らんだ筋肉。

 獣の体毛に覆われた全身は全長二メートルを越していた。

 四つん這いになった姿は、完全にワーウルフだ。


 過去の映像でしか見たことがない正真正銘の亜人の姿……。


 でも、なんで! 

 デミチャイルドは亜人の血が混ざってはいても、姿は人間と大して変わらないって言うのに!


 ……チューリップ?

 まさか!!


「デミチャイルドを、亜人に変える……?」

「――後悔しろ、人間」


 ワーウルフの大顎が、僕の首を狙って迫ってくる。


 ガチンッ、

 という石を石に打ち付けたような音を聞きながら、僕の体が真後ろに吹き飛んでいた。


 途中で止まることができず、そのまま高架下から抜け出る。

 噛まれるかと思ったが、突き飛ばされたのか……?


 家とは真逆の商業ビル方面に抜けることになってしまうけど、今は仕方ない。

 ワーウルフたちに背を向け、買った新刊も手放して全速力で逃げる。


 だけど、僕の努力を笑うように、ワーウルフは僕の前に降りてきた。

 着地した地面が凹み、亀裂が走る。


 背後を振り向くと、残りの三人が退路を塞いでいた。

 よく見ると、ワーウルフほどではないが、彼らも体を変化させていた。


 小柄な体格はそのままに、横幅の広いがっしりとした筋肉が膨らんでいた。

 ドワーフだ。


 高身長なもう一人の男は、口元から見える牙からすると、ヴァンパイアだろうか。


 その隣、竜の頭部と尻尾を持つ二足歩行の男は、ズメウ、だっけ?


 人間離れした身体能力という形で、亜人の力を引き継いでいた彼らの中に混ざっていた亜人の血が、チューリップをきっかけにして元の姿を取り戻した……と言うのか?


 たかがチューリップ一輪で? 違う、たぶんチューリップは隠れ蓑。

 こんな場所で取引きをしているくらいだ、

 見せかけているだけで中身はまったく違うなにかだ。


「余所見とは余裕だな」


 ガチン、というゾッとする噛み合わせの音が僕のほんの数センチ前で聞こえた。

 反射的に後退していなければ、今頃、僕の首は噛み千切られていただろう。


「反射的に避けた? そんなわけがねえだろ、ただの人間が、たとえ分かっていても俺たちの攻撃を避けられるわけがねえ」


 デミチャイルドは武装した軍人が十人いれば制圧できる。

 身体能力が人間離れしているとは言え、魔法を使うわけでなければ充分に対処できる。


 この世界でデミチャイルドが猛威を振るわないのは、政府の武力行使で対処できてしまうからだ。


 でも、今の彼らを武装した軍人、十人で取り押さえられるかと言われたら、怪しい。


 ここまでの亜人らしい亜人は、日本では度々メディアで露出している始祖のエルフくらいのものだろう……あれは長寿であり、政府と取引きをした結果、生きている特例。


 大半の純粋な亜人は既にほぼ死亡していると聞いている。

 八十年前のことだから、僕の記憶には当然ない。


「お前……、なんで人間を目の敵にしないんだ?」


 軍人が十人いれば制圧できる程度の差だ、とは言っても、それが希望になるわけもない。

 結局、僕一人じゃ彼らに追い詰められて、撃退できるわけもないのだから。


「なんでもなにも……僕は、人間だからだ!!」

「…………」


 ワーウルフが顎で指示を出した。

 すると鱗に覆われた手が、背後から僕の口を塞ぐ。


「おとなしく、だ。暴れたところで君の力では振り解けるはずもないが」


 竜頭のズメウの言うとおり、

 背後からがっしりと押さえられてしまっていて身動きが取れなかった。


「っ、っ! っっ!!」


「悪いようにはしないっすよ、可愛い顔した新入りちゃん。

 きみもこれを嗅げば、こちらの世界に仲間入りさ」


 ドワーフが僕の鼻にチューリップを近づけてくる。


 意地でも吸ってやるもんかと呼吸を止めるも、口を塞がれてしまえばいずれ酸素を吸わざるを得なくなる。その時に必ず、チューリップの匂いを嗅いでしまうだろう。


 これ、を、吸った、とこ、ろ、で……僕は、お前ら、みたいになんか……っ。


「自覚がないなら楽しみにしていればいい。どうやって監視下から逃げてきたのか知らないが、お前が散々ばかにしてきた敗者の世界を目の当たりにするだろうぜ、人間」


 ワーウルフがニヤリと笑って、僕の額を指で軽く小突いた。


「いいや、人間じゃねえのか――初めまして、同類」


 そして、僕は意識を失い……約一時間後に、この場所で目覚めた。

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