私流ポジティブな生き方 (エッセイ)

エッセイ。何書けばいいんだろう。エッセイ。なんか響きがかわいいのでとりあえず連呼して字数を稼ぐ。えっせい。essay.

私の人生はいたって普通だ。道に落ちてるお金を拾って神と同棲することもなければ、好きな人と笑いあうこともない。電車に轢かれなければ(全然轢かれたくはないが)悩みを聞いてくれるおばあさんにも出会わない。(ちゃっかり宣伝)


さて、本題に入ろう。幸せか、幸せじゃないのか。私はよく考えることがあった。


ヒステリックな親に毎日怒られ、極度の怖がりと呼ぶべきか、不安障害と呼ぶべきかは曖昧なところだが、様々なものに対して異常な恐怖心を抱いていて、地震なんかは一人でいると震度3でも泣く。その上adhd気質で、怒ることはないけれど、衝動的に爆買いしてしまったり、突然うわっと泣いたり、やるべきことはやらされない限り出来ないし、不器用でみんなと同じようにやっているつもりなのにいつも何か違って、ちょっと癖がある。幸せじゃない。


本当にそうだろうか。

そんな私と仲良く(本心は知らないけれど)してくれる友達もたくさんいる。お金にも困ってないし、食べるものもある。戦争に巻き込まれて家を追われてないし、飲み水もきれいだし、体は元気100%だし、ヒステリックな親だって優しいときはすごく優しくて、優しい時は大好きだ。学校にも通えていて、習い事もさせてもらっている。幸せ。


分からない。どっちだろう。幸せ?幸せじゃない?


長年追い求めてきたこの疑問。私はある時気づいた。


---幸せって誰が決めるの?


そう。私は決定的なことに気づけていなかった。幸せか、幸せじゃないか。仮に幸せだと思ったとしても、だれも

「違うよ、あんたは幸せじゃないよ。」

なんて言わないだろう。ミステリー小説の悪魔じゃあるまいし。


だったら幸せだと思っておけばいい。そう思った。私は幸せ。私は幸せ。


ところで皆さんは『言霊』を知っているだろうか。日本の古くからの言い伝えの一種に、『言霊』というものがある、と知ったのは小学四年生のとき。国語の読解問題をといていたときに読んだ文章だ。(余談だが、何をやっても人よりワンテンポ遅い私が唯一速かったのは読解問題を解くスピードで、某日本一の中学にいった人といつも密かに競っていた)占いとか、神様とか、幽霊とか、あの世とか。今でもそんなこと信じているくらいだから、小学生のとき言霊を知った時の感動は忘れられない。言葉には魂がある。すごく素敵だと思った。確かこんな話だったと思う。


『言葉には魂がある。例えば、鏡に向かって毎日「私かわいい」と言い続ける。すると実際に周りから、「なんか最近かわいくなった?」と言われることが増えるという研究結果があるのだ。また、他人に向かって「死ね」「ブス」といったり、SNSに芸能人の悪口を書くと、自分では相手だけを傷つけて愉快な気持ちだと思っていても、実際は自分も傷つけていて、どんどんやつれて、自信がなくなっていく。』


うろ覚えなのであてにしないで欲しいけれど、こんな話だった。そんなの信じない人もいるだろう。けれども私は実際そうだと思う。性格のいい人、悪い人は顔に出ている、とよく聞く。それもきっと『言霊』の力なのだろう。 私はよく、

「いい子だよね」

と言われることがあるけれど、いい子ではない。誰にとっても全く得がないのに影口を言ったりする意味が単純に分からないだけだ。悲しくなるだけなのに。


逸れすぎたので、一旦話を戻す。だから私は今日も幸せだ、と思う。例えば、楽しくなくてもとりあえず笑う。すると不思議なことに、ぎこちない作り笑いは話し終わるころには心からの笑顔に変わっている。そういうふうに幸せも、偽りの言い聞かせだったとしても、いつか本当の幸せに変わる。そう信じて。今日も私は幸せだ。






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