第367話 夜の森の迷宮(40)

「そ、それはお気の毒ね。お悔やみを言わせてもらうわ」


「お悔やみ申し上げます。ベスちゃん、申し訳ない事を聞いちゃいましたね」


 父を亡くしたというベスの言葉に白アリと聖女が真っ先にお悔やみの言葉を口にし、ボギーさんが黙とうする横で俺たちも次々とお悔やみの言葉を告げた。

 当たり前だが、よく分かっていない様子でベスがあいまいな返事をする。


「はあ、ありがとうございます」


「日本人だなあ、俺たち」


 しみじみとテリーがそう言うと、ボギーさんの言葉がそれを打ち消すように響いた。


「交渉相手がいなくなっちまったな。どうする、兄ちゃん?」


「ボギーさん? ダンジョンコアはここにある訳ですから、別に交渉しなくてもこれを持ち出すなり破壊するなりすればこのダンジョンを攻略したことになりますよね?」


 ボギーさんに向かって不思議そうに問い掛けるミランダ。

 その彼女に俺は『目的が違うんだ』と切り出して説明を始める。


「このダンジョンの迷宮守護者が人語を解し、対話ができる相手だと分かった時点で新たな目的が出来た――」


 ミランダだけでなくアイリスの娘たちや奴隷娘たちの視線が集中し、耳が傾けられていることが伝わってくる。


「――迷宮守護者の責務と目的、ダンジョンコアを奪われた際の被害と損失を教えてもらう。その上でお互いに損失を被らない形でダンジョンコアを譲ってもらう方法を模索しようとしていたんだ」


 双方の利害が一致する可能性は低い。だが、互いに損失を被らない可能性なら少しは上がるんじゃないか。


「それって……」


 辛うじてミランダがそれだけを口にした。

 他のアイリスの娘や奴隷娘たちは何も言わずに俺のことを見ていた。


「妥協点を見つけることが出来れば、ここから先のダンジョン攻略で迷宮守護者との戦闘を避けられる可能性がある」

 

「その可能性も次のダンジョンに持ち越しね」


 白アリが落胆したようにそう口にすると聖女が元気づけるようにフォローする。


「白姉、まだベスちゃんのお父さんが迷宮守護者と決まった訳じゃありませんよ。もしかしたら迷宮守護者は他の方かもしれないじゃないですか」


 その可能性は限りなく低そうだよなあ。


「ベス、お前のお父さんってこのダンジョンの守護者だったかどうか分かるか?」


「多分、父がこのダンジョンの迷宮守護者だったと思います」


 俺の質問にベスが即答した。腕の中から俺を見上げるその表情は、さらに何かを伝えようとして躊躇っているようにも見える。

 彼女の耳元で続けるようにささやく。


「ベス、大丈夫だ。俺が一緒にいる。全部話してくれ」


「その父が外の世界に出たきり戻ってこない日々が続いていました。そんなある日、突然、父が死んだと理解しました」


 ベスの言葉にテリーとロビンが声を上げる。


「突然?」


「自分の父親の死を突然理解するってどういう事ですか?」


 二人の疑問に同意するようにアイリスの娘たちや奴隷娘たちまで、互いに視線を交錯させだした。

 すると聖女がベスを庇うようにボギーさんに同意を求める。


「私やボギーさんがあちらの世界で殺されて、こちらに強制転移させられた時に流れ込んできた知識みたいなものじゃないでしょうか?」


「そうかもしれんな。少なくとも一般人じゃあネェ。迷宮守護者の娘なんだ、あり得ネェ事が起きても不思議じゃネェよな」


 皆の間に広がった緊張した空気が二人の言葉で払拭ふっしょくされた。

 安堵して視線をベスに戻そうとする矢先、


「そのときに自分がこのダンジョンの迷宮守護者になった事を理解しました」


 涼やかな声音の爆弾発言が胸元で響いた。


「白状しましたね! 討伐対象!」


 黒アリスちゃん、反応速すぎる!

 声と共に大鎌が煌めく!


「ベスちゃん、死んだー!」


 マリエルの悲鳴と甲高い金属音が鳴り響く! 右手に持ったアーマードスネークの鱗から切り出した短剣が、ベスの首筋まで数センチメートルのところで大釜の刃を食い止めた。


「こら、マリエル! 不吉な事を言うな! 死んでないからな!」


「ヒッ! ミチナガ様っ!」


 数舜のタイミング遅れでベスが小さな悲鳴を上げて俺の胸に顔を埋めた。

 ダメだ。

 戦闘経験の差なのか性格の差なのかは分からないが、同じ【身体強化 LV5】なのにまるで勝負になりそうにない。


 その間にボギーさんと白アリ、テリーの三人が黒アリスちゃんを宥めにかかり、


「ちょ、ちょっと待て、黒の嬢ちゃん! 討伐対象じゃネェからな!」


「そ、そうよ、黒ちゃん。交渉相手よ、交渉相手」


「黒ちゃん、話し合いをしようか、話し合いをさ」


 聖女とロビンが黒アリスちゃんとベスとの間に移動した。


「本気の訳ないじゃないですか。ミチナガさんにくっ付きすぎていたからちょっと脅かしただけですよ」


 黒アリスちゃんが周りに集まった皆に笑顔で告げる。

 目が本気な気もするが……そうだよな、さっきの一撃も寸止めするつもりだったんだよな? 彼女にはその技術がある。問題なく寸止め出来る。もしくは皮一枚とか、かな……


 黒アリスちゃんを押さえた状態で白アリが首だけを巡らせる。


「ベスちゃん、今の話は迷宮守護者だったあなたのお父さんが外出中に亡くなって、あなたが迷宮守護者になった、って事でいいのよね?」


「はい、そうです。理由は分かりませんが今は私がこのダンジョンの迷宮守護者です」


 ベスの能力は魔族というだけでなく迷宮守護者である事も理由なんだろうな。

 皆を見回すと、俺と同じかそう遠くない結論に至ったと思える、そんな目をベスに向けていた。


 一人、黒アリスちゃんだけがベスを睨んでいる。

 やっぱりベスを抱きしめたまま会話をするのは良くないよな。


「立ち話もなんだし、どこか腰を落ち着けて話をしよう」


 俺の提案にテリーが即座に賛成した。


「賛成だ。ティナ、テーブルを出すからお茶の用意を頼む」


 その声と同時に聖女が大理石の大テーブルと椅子を出現させた。


 ◇

 ◆

 ◇


 大理石の大テーブルには果物とお菓子が並び、それぞれの前にはティーカップが置かれている。

 白アリの隣、ティーポットから直接お茶を飲んでいる水の精霊の前にだけは果物とお菓子が山と積まれていた。


 いつもの風景だ。流れる空気はまるで違うけどな。


「つまり、嬢ちゃんは迷宮守護者の責務もダンジョンを攻略された際の損失が何であるかも、知らないって事だな?」


「はい、その通りです」


「でも、迷宮守護者である事は確かなんだよね?」


「そうですね。父が死亡してすぐに自分が迷宮守護者であると理解すると同時に、迷宮守護者しか使えない魔法が使えるようになりましたし、魔法の使い方も突然理解しました」


「その迷宮守護者しか使えないってのはどんな魔法なんだ?」


「【闇の門 LV5】という魔法です。空間を捻じ曲げて、この任意の二つの場所を繋ぐことが出来る魔法です」


 ちょっとまて。そんな魔法やスキル、【鑑定 LV5】でも確認出来ていないぞ。

 俺たち転移者全員の視線が交錯する。


 疑問は一緒のようだ。

 俺が代表してベスに尋ねる。


「その【闇の門 LV5】というのは今もベスが持っているのか? 使えるのか?」


「はい、使えます。ここから直接ダンジョンの外へ出られるように出来ます――」


 俺に質問に得意げに答えると、ベスは満面の笑みでさらに続ける。


「――迷宮守護者になって、この魔法が使えるようになって、初めて自分の意思で外の世界に出られるようになったんです」


「それって魔法なんですか? スキルとかではなく?」


 ロビンの質問にベスが小首を傾げる。


「スキルというのは知りません。魔法だとばかり思っていましたが……――」


 ベスは少し考えるような様子を見せると、


「――言われてみれば魔法とは少し違うかもしれません」


 不安げな表情でそう口にした。

 この異世界の住人同様、ベスもスキルの存在を知らないのか。


「その【闇の門 LV5】とかいう魔法の検証は後でやるとして、先ずはダンジョンコアを台座から外してどんな変化が現れるか確認してみネェか?」


「私もボギーさんに賛成です」


「ベス、ダンジョンコアを台座から外して構わないか?」


「はい、どうぞ。ミチナガ様の思うようにしてください」


 いや、そう言うセリは控えようか。黒アリスちゃんの目つきが険しくなるからさ。などと言える訳もない。


「じゃあ、お言葉に甘えて」


 俺はベスを伴ってダンジョンコアの設置された台座の前に移動した。


「どうぞ、ミチナガ様。覚悟は出来ています」


 いろんな意味に取れそうな言葉を背中に受けて、台座からダンジョンコアを持ち上げた。


「あ!」


 突然ベスが声を上げた。


「どうした、ベス!」


「何かあったの?」


 俺と白アリの声に続いて、ブレることを知らない聖女の言葉が黒アリスちゃんを刺激する。


「ベスちゃん、フジワラさんに何かされたんですか?」


「油断も隙もあったもんじゃないのね、生贄!」


 スタンバイしていたテリーとロビンが間髪を容れずに動いた。


「違うから、黒ちゃん違うからね」


「黒ちゃん、聖女さんの言うことを真に受けちゃだめですよ」


 黒アリスちゃんのことはテリーとロビンに任せよう。


「ミチナガ様、ダンジョン内の魔力が薄くなりました!」


 迷宮守護者ってそんな事まで瞬時に分かるのか、凄いな。


「ダンジョンコアがダンジョンに魔力を供給しているのかしら?」


「違います、白姉様。その台座に魔力が流れ込んでいます。新しいダンジョンコアを作ろうとしているようです」


 これはもしかして、最も望ましいパターンじゃないのか?

 白アリと目が合った。

 口元が綻んでいるぞ、白アリ。視線を巡らせるとボギーさんとテリーも口元に笑みを浮かべていた。

 

「ベス、ダンジョン内の魔力が薄くなっている他に何か問題はあるか?」


「そうですね――」


 少し考えるように辺りを見回して俺へと視線を戻す。


「――何だか、とっても大切なモノをミチナガ様に奪われたような感じがします」


 頬を染めて恥ずかしそうにしているベスにさらに言う。


「いや、そういうのもういいから。異常は感じないか? 違和感みたいなものは? ダンジョン内の魔力が薄くなったために魔物たちの力が弱まったり活動が鈍ったりとかはないのか?」


「他の魔物たちがどうなっているかは分かりません」


 さすがにそこまでは分からないか。


「兄ちゃん、一日二日、ダンジョン内で様子を見ようや。それで問題がなかったらダンジョンコアを持って地上へ戻る、ってのでどうだ?」


「賛成です。少し経過を観察しましょう」


 見回すと全員が静かに首肯した。

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